武装解除のむづかしさ
世間は連休である。皆さんお元気ですか。わたしは一昨日、頂き物のおいしい赤のスパークリングワインを飲んで、酔っ払って風呂に入ったら、上がりしな、右足首に風呂のフタをぶつけ、すっぽんぽんのまましばらく悶絶した。フタを閉めようとしたのに手につかず、蛇腹のフタが丸まった姿で足首に刺さるように滑ってきたのである。酔っていたため一瞬何も感じなかったが、やがて当然のこと、痛みが襲ってきた。わたしは血が怖いので、とにかく血さえ出ていなければいい、皮膚が破れてさえいなければ、と恐る恐る確認すると、はたしてそうした傷はなかった。ただ、もうどんどこ痛みが深まってきており、やばい、ことによると折れたんじゃないか、とすら思った。大げさなんだが。でも。
家の中のことで言うと、大分前に二階の納戸で、頭をしたたか打ちつけたことがあった。天井に。
今借りている家の二階はもともと、ひとが住むようには作られていなかったのだが、大家さんはさすが大家さんだけあって甲斐性がある、工務店を頼んで一日それを改築し、人間の部屋にしたのだそうだ。ただ、元屋根裏だから、屋根の傾斜に従って室内の天井も斜めになっており、部屋の端っこにいくほど天井は低いという造りになっている。いちばん低いところが百十センチくらいか。
その端っこの方に、わたしは四つん這いの姿勢で入って行って、目当ての物を見つけ手に取った瞬間、あろうことかすべてを忘れて勢いよく立ち上がったのだった。わたしはだあっ、と絶叫して同じ地点にうずくまった。舌を噛むようなことがなくて本当によかった、というのは後々出てきた感想で、とにかくその時は燃えるように痛む頭を抱えてその場でしばらく唸り続けた。不注意で、天井にぶつけたくらいでこんなに痛いのだから、「鈍器で頭を殴られる」などというのは一体どれほどの痛みなのであろうか、と以来おりおりに考え、無用に戦慄するようになった。鈍器。激安の殿堂。それはドンキ。
個人的な所感なのであるが、いま述べたような強い打撲による痛みは、そのときの衝撃こそすごいが、出来たコブや青タンを何度もわざと押さえてみて「自分が現在どんだけ痛いか」をしつこく確認したくなるような種類のものではないように思う。むしろ、なるだけそっとしておきたい。
それに対して、自分がどんだけ痛いかをもう常に把握しておきたい、いやしておきたいわけでもないのにしてしまう、そんな痛みがある。何かというと、わたしの場合それは、口内炎、深爪、そして瘭疽(ひょうそ)なのだった。疼痛御三家と呼んでいる。いずれも地味な、些細な経緯で起こるものだ。酔っ払って転倒、とかいう派手さとは無縁の。
三つのうち特に厄介に思っているのが瘭疽で、体質なのか何なのか、わたしは爪の脇に固いささくれがしょっちゅう出来る。むかしは横着して、それを爪切りで摘まず、指先でピッと取ってしまっていたのだが、そうするともう八割以上の確率でバイキンが入って瘭疽になる。そうしてこしらえた赤い腫れを、わたしは四六時中ぐいぐい押して「痛い」「ホンマ痛い」「いやホンマ」などと嘆き倒す。
あまりにも頻繁にやるのでさすがに懲り、また我が愛する友人Oのおかーちゃんから、あれだけは絶対に爪切りで切れ、と耳にタコが出来るほど言われたので、以来爪切りをポーチに入れて毎日持ち歩くようになった。
今、わたしのポーチは手鏡やリップクリーム、ウェットティッシュなどといったおんなひと通りの必需品に加えて様々な便利小道具、簡易のソーイングセットやら綿棒、爪楊枝、虫刺され軟膏、輪ゴム、絆創膏、クリップなどでパンパンになっているが、自分の小道具の持ちはじめというのはこの爪切りからなのだった。使うたびに、Oのおかーちゃんに感謝している。しかしたいがい嵩張るので、月一くらいでポーチのスリム化を検討する。それでも、一向に中身は減らせない。一度武装してしまうと丸腰になるには相当の勇気が要るのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます