豚キムチとの和解

 この年になるまで、わたしは豚キムチなんて絶対に食べなかったし、作らなかった。キムチを、それ単体でおかずとして立派に独り立ちしているおいしいキムチを、半ば調味料として使うなどというのは愚行もいいところだと思っていて、豚キムチのことは、唾棄すべきものである、くらいに考えていた。だいたいやな、豚肉とキムチが手元にあれば、キムチでまず何も労せずに一品、豚肉は玉葱かキャベツなんかと炒めてもう一品、あとはこんにゃくと里芋の煮物でも作って献立完成やろうが、それをキムチと豚でおかず作ってしもたら一品損やないか阿呆。週に三日か四日は、パート先でおかずを作りたおすのである。なんてったって自分はお総菜屋さん。うどん屋さん時代はぎりぎり凝ったおかずもしないではなかったけども、今じゃあ家に帰って来たらもうなるべく料理なんかしたくないのだ、我が家はもはや毎日が手抜きごはん。しかしよりよい暮らしをするために働きに出たはずなんだけど、現金を得る代わりにごはんがいい加減になっているのはええか悪いかで言うとどっちなのだろう、とときどき思う。

 とにかく、豚キムチと聞いて身の内に最初に湧き出るのは、うまそうとか食いたいとか今晩作るぜいぇー!! いう前向きな情動ではなしに、大昔の、レイカーズにいたチャールズ・バークレーがバスケットボールを指先でくりくり回しながら一言、

「ブタ・キムチィ」

 と言うだけの、商品は何だったのかはもう忘れた、テレビのコマーシャルの映像だったのだ。


 豚キムチかよ。けっ。


 それをわたしに作らせ、食べさせたのは実に、作家絲山秋子の筆の力である。

 わたしは絲山さんの小説が好きで、短編「へたれ」や「ベル・エポック」は名作だとかねがね愛読してきたのだが、料理のことだけを書いたエッセイ『絲的炊事記 豚キムチにジンクスはあるのか』(講談社文庫)を読んだときには意外な気持ちがした。小説からは、絲山さんのことを、謹厳で真面目な人なのだろうと想像していたのだが、収録の「すき焼き実況中継」なんか、さながらアホ大学生(先輩と後輩)の会話のようである。絲山さんて、こんな感じの人なのか……。

 で、その絲山さんが同書のタイトルエッセイである「豚キムチにジンクスはあるのか」で滔々と語っているのが、豚キムチがいかに素晴らしい料理であるか、という一点、それはもう熱い語りなのだ。

「私は豚キムチが好きです。大好きです。豚キムチを食べているとき、世の中には豚キムチと私しか存在しなくなります。」(68ページ)

 そんなことを言われたら、いかなわたしといえども作ってみざるをえない。えないのよ。

 でもなー、キムチは子どもが食べへんやろなー。辛いとか言うやろ。

 作る決心はしたものの、やっぱり子どもが食べないのなら、もう一品別に何か作ってやらなければ、とにわかに面倒臭くなった。だがそのあと、上の二人に今日のごはん何? と聞かれて、あー、豚キムチとか何か……と口ごもりつつ答えたところ、二人は異常に盛り上がるではないか。

「食べられるん?!」

「食べられるで!」

「だって学校で出るもん!」

 どうやら給食にもあるメニューらしいのだ。まじでか。居酒屋やんけ。

 そんならと豚小間を600g買ってきて、牛角のキムチをじゃんじゃん入れて、絲山さんの書いたとおりの手順で豚キムチ、作ってみた。したら大人も子供も食う食う、これが。昔からわたしが豚キムチを毛嫌いしていることをよく知っていた夫が一番びっくりしていた。

「ウチで豚キムチが出るなんて!!」

と言う夫にわたしはこたえた。

「時代は変わる」


 以来、困ったときは豚キムチである。豚キムチに対する偏見が消え失せたと同時に、その他のキムチ系の料理にもことごとく寛大になり、今ではキムチの容器の底に残った白菜のクズと汁をも捨てずに、昼一人でキムチ炒飯を作ったりしている。食べると毎回、

「今まですみませんでした」

 と思う。

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