花のワルツ
去年、子どもと一緒に、ちゃんとしたデカいホールまで、ちゃんとした交響楽団が演奏をする初心者向けのクラシックコンサートを観に行った。聴きに行った、という方が正しいのか。それもよくわからないくらい、わたしはそういうのに疎いのである。そう、わたしはなんの楽器も弾けないし、譜面も当然ながら読めない。
実は、四歳から八歳まで、先生が直々に我が家へ来て下さるという「出稽古」のかたちまでとってある楽器を習ったが(特に種類を秘す)、1ミクロンの上達も見ないまま投げだした。曲がりなりにも四年もやっていて、逆に稀有のことだと思うがどうか。とにかく嫌いだったのである。だから、毎週レッスンのあった金曜というのは、陰鬱極まりない忌むべき曜日だった。今日は金曜日か……と思ったとたん目に映るすべてのものが灰色になり、19時からの『ドラえもん』さえも、わたしのこころを鼓舞するには力不足であった。先生のお引っ越しと、必死の抵抗の甲斐あってわたしはそこから足を洗えることとなり、金曜日はふたたび「何でもない日」に戻ったが、未だに「金曜日」ということばからはイヤな感じが抜けないのである。いくら次の日が休みでも、金曜日に心を許すことは今もってできないのだ。
同じ楽器を習っていた兄は先生から別の先生を紹介してもらって中学二年生になるまでレッスンを続けた。そもそも兄が先に習っていたから、わたしもやってみたいと言って、実際やることになったのだ。わたしはお兄ちゃん崇拝で育っていたので、それは当然の成り行きだった。ただ、始めてみれば「思てたのんとちゃう」ということだったのである。
しかしながら、年齢とともに後悔するところは苛烈になった。あれさえやってりゃあなあ、と思うようになった。楽器の出来る人は、とかく、楽しそうだったのだ。
わたしは(結果的には)したくなかった楽器は四年もさせてもらったのだけども、心からやってみたい、と熱望したバレエは、とうとう習わせてもらえなかった。楽器の放擲のみならず、ほぼ同じ頃、兄の中耳炎に便乗してスイミングも辞め(背泳ぎのとき、どうしても鼻から水が入るのが嫌だったのだ)、一族無双の根性なしという評判を確たるものにした自分の「前科」に加え、親がまるでマネージャーのようにつききりになる必要のあるバレエという習いごとは、何かと忙しかったわたしの母には論外であった。あまりにもやかましく言い募ったわたしを黙らせるためだけに一度見学、という機会が用意されたが、以降、十九で裏千家のお茶を習い始めるまで、わたしは何の習い事とも無縁なまま過ごした。
さて、そのような無芸大食無為徒食のわたしが我が子を連れて観に行った件のコンサートはさすが初心者対象、ひとつひとつの楽器の紹介からあり、それをするにしても、クラシックの名曲のさわりにおりまぜて、アニメの主題歌やゲームの曲なんかも聴かせてくれたり、客席の最若年層を飽きさせない構成がとられていた。初心者向きというのはなんて親切なんだろう。しかもわたしですら知ってる曲ばかり、演奏してくれるのである。そして「それ、知ってる!」というのは、どうしてあんなに嬉しいのか。
わたしは演奏を楽しむ一方、舞台を見ながらずっと考えていた。もし未開の人喰族に、自分とたとえばあのオーボエ奏者の人とが捕まったら。
王の前に引きずり出されて、命乞いのチャンスが与えられる。「お前、何かできるか」
あ~~~、え~~、と呻くわたしを尻目に、オーボエ奏者は言うだろう。
「王様、わたくしはオーボエが吹けます」実際演奏するだろう。妙なる調べが辺りに響く。
わたしは丸焼きにされるために、すでに老若男女が車座になっている広場にひっ立てられる。まん中にはどんどが赤く燃えている。あかんあかんあかんあかん何か今からでも何かひとつぐらい何か言うべきことは「王様、ウチ、九九出来る!」
わたしの叫び声を聞いたオーボエ奏者は素早く王に耳打ちする。
「わたくしも出来ます」
かくてわたしは余計念入りに、こんがり焼かれることになる。
やがてチャイコフスキーのバレエ組曲が始まり、それはもう知ってる曲の連発である。昔ディアゴスティーニで買いました。なんちゅう貧乏臭い告白だ。「花のワルツ」のクライマックスでは感極まって涙が出た。ぎゃー、おかあさん、なんで泣いてるん! まだまだデリカシーとかエチケットという概念の埒外に存在している次女がびっくりして訊いてきたが、あなたもおかあさんのような大人になればわかる、とは答えられなかった。洟も垂れた。
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