そういうときに限って重なる


 あけましておめでとうございますと言っていいのか我らは喪中。言うくらいはいいのだろうか。みんな揃ってないし、ということだからやっぱり駄目なのか。でもまあ残ったモンだけでも無事年を越したのだし、とかなんとか、挨拶はむづかしい。

 ともかくも明けて必要になるのは新しい手帳である。スケジュール帳。わたしは古代の人なので、ケータイのスケジュール表を使うとか、そういうデジタル化は一切やっていないのだった。紙の手帳が要るのだ。開いて紙面にペンで書いて、ページを指でめくって見る、ということをしないと自分の予定が全く把握できなくなる。(だがそうして書いたからといって全ての予定をきちんと把握できているわけではない。それをしてなお取りこぼすのがわたしである。)


 去年一昨年は化粧品を買ったときにおまけで付いてきた手帳を使っていた。前にも書いたが衣服はもとより文房具のおしゃれからも遠いので、何のこだわりもなくそれを使っていた。ありがたく、使っていた。だのに今年はメーカーも経費削減なのか、手帳の配布をやめてしまったのである。

 じゃあなにか。買わなくてはならんのか。自分で。

 いや、普通はそうするのだと思うよ。なんのためらいもなく。文房具屋さんなどに行って。でもね、二年続けてかからなかった「経費」があらたに発生するとなると、吝嗇なわたしにはなんかものすごくゴツい負担のように思われてしまうのだ。

 まあ今は百均の品ぞろえが著しく発展しているから、スケジュール帳だってもちろんある。百円だ。だから百円、出せばいいのだ。男らしく。ところが二年続けてかからなかった「経費」があらたに発生するとなると、吝嗇なわたしにはその多寡が問題なのではなく、とりあえず出すのがイヤ、という心境になっているのである。

 誰かくれへんかな。どんなんでもええから。

 二年続けてかからなかった「経費」を引き続きゼロに抑えるべく、わたしは十二月いっぴから各所に猛アピールを開始した。もしいらん手帳あったら頂戴! どんなんでもええねん!

 しかしどこもかしこもご事情は同じなのか、手帳って配らなくなっているのね。容赦なく日は過ぎて、冬至になってしまった。もはやこれまで。わたしは渋々百均に足を運び、三秒で品物を決めて帰ってきた。


 そこからである。わたしの元にさまざまな手帳がなだれ込んできたのは。まず次女が義母にねだって買ってもらったという漫画雑誌の付録に、スケジュール帳が付いていた。姉と二人してわたしよりもずっと先に、お小遣いをもって手帳を購入していた次女はあっさり、お母さんこれあげるわ、もう持ってるし、とその付録を譲ってくれた。その翌日には夫の仕事関係のところから一冊、翌々日には実家の方から一冊、人生は皮肉である。

 次女のくれた手帳に関して言うと、各ページに人気漫画のイラストが施され、「どんなんでもええねん」と言っていた自分が手に入れた手帳がもしも今年これだけだったとしても、さすがにサンパチのオバハンがこれをおおやけの場で広げるのはいくらなんでもはばかられると思いとどまっただろうが、いやいや人前でなかったらええんやろ、暗闇で書くとか、などとわたしはおそらく、多分、きっと、最終的にはそれを使っていたのではなかろうか。二年続けてかからなかった「経費」を今年もなくするためだったらやりかねない。執念というか、もう軽めの病気である。

 しかし次女。少なくとも五倍以上の予定があるであろう母親がこうしてスケジュール帳一冊買うのにさんざぶつくさ言っているのに、その若さで、いくらもない予定を書きつけるために自ら手帳を購おうとはわが子ながら見上げたものだ。なおかつダブったとはいえ一旦手に入れた可愛い付録を惜しげもなくわたしに与えるなど、付録よりもその男気を譲ってほしいと思う。

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