番外編

番外ノ巻 出藍の誉れ

― 王国歴 1052年夏-


― サンレオナール西部 ペルティエ領、ラプラント領




 俺の名前はロベール・デュケット、ペルティエ領の街外れで小さな診療所を営むしがない医者だ。


 俺には優秀な助手、マルゲリット・ソンルグレ医師が居る。今となっては彼女なしではこの診療所はやっていけない。


 そんな彼女を俺はソンルグレと呼んでいる。何となく名前で呼ぶのは親しすぎて躊躇ためらわれるのである。俺達はあくまでも仕事仲間なのだ。


 ソンルグレはこんな田舎の、吹けば飛ぶような診療所で働いているが、実は押しも押されもせぬ侯爵令嬢、お貴族様である。




 初めて彼女がやって来た時は何か押し売りか、お涙頂戴の詐欺かと思った。質素な身なりだったが、俺も医者で色々な人間と接するから彼女の身振りや言葉遣いから大金持ちか高貴な身分の人間だと言うことがすぐに分かった。余りにも場違いだったのだ。


 彼女は診療所で働きたいと言い、何とペルティエの大旦那の紹介状まで持ってきたのである。面倒臭いのが乗り込んできた、と心の中で悪態をつきながらとりあえず仮採用ということにした。二、三日で重労働と俺の野蛮な怒鳴り声に嫌気がさして辞めるものだとばかり思っていた。


 ソンルグレが優秀で、見た目によらず働き者で体力もあることは一週間もしないうちに分かった。それに初日、彼女が握手のために差し出した手を握った俺は彼女がただのお嬢様ではないと気付いていた。その華奢きゃしゃな手は働き者の荒れた手というか護衛や兵士のようなタコだらけの手だったのだ。


 ソンルグレという苗字は珍しく、どこかで聞いたことがあったがすぐには思い出せなかった。とりあえず彼女を送り込んできたペルティエの大旦那、元領主に挨拶に行こうとしてやっと気付いた。


 大旦那の次男は貴族学院卒業後も王都に残り、高級文官としてかなりのお偉いさんになっていた。二十年ほど前、まだ十代だった彼は芥子栽培などの重罪の疑いがあったある貴族を数年かけて独自で調査をし、告発したことはここ地元ペルティエ領でも盛んに語られていた。その後、彼は高位の貴族に養子に入り、確かもうペルティエ姓ではなかった。


 急いで街の図書館で新聞を漁ったら、案の定それがソンルグレ侯爵家だった。大旦那の所へ挨拶に伺う前に気付いて良かった。ソンルグレの祖父にあたる大旦那の前で知らずに余計なことを口走るところだった。




 ペルティエの大旦那には大恩がある。流行り病で妻と娘を失って自堕落になっていた俺に喝を入れ、見限らずに俺が医者として再び診療所で働き始めることを全面的に支援してくれたのだ。


 医者として大事な家族を救えなかった俺も、彼女達の分までペルティエの民の為に尽くそうという気にやっとなれたのである。人生に絶望していても生きるのをやめるわけにはいかなかった。


 そんな俺にソンルグレの真っ直ぐな瞳は娘を思い出させるのだ。娘も生きていれば彼女くらいの歳だ。




「大旦那様、先日マルゲリット・ソンルグレ様が私の診療所を訪ねてこられました」


「そうか、マルゴは早速君の所へ行ったか」


「で、ロベール、マルゴを雇ったの? 彼女は良くやっているかしら?」


 夫妻は何だか楽しそうである。俺が大旦那の紹介状を持った人間を無下にできないと分かっているのだ。


「それはもう……お嬢様にあんな形で乗り込まれては……私も断れませんよ」


「しっかり鍛えてやってくれよ、ロベール」


「そうですよ。マルゴは真剣に働きたいと思っているのですから」


「彼女は彼女なりに頑張って働いてくれています」


「あの子も王都の大貴族として生まれ育ったけれどね、昨日の今日ふと働こうと思いついたわけではないのだよ。もう二年も前から着々とこの地に移り住む計画を立てていたからね」


 大旦那もそれ以上詳しい事情は教えてくれなかった。


「はい。実は彼女が来てくれてからとても助かっているのです」


「それを聞いて一安心だわ」


 その後俺はソンルグレを本採用した。彼女は仕事を覚えるのも早く、日に日にその存在がうちの診療所になくてはならないものとなった。愛想も良く誰にでも優しく接する彼女は患者たちにもすぐに慕われるようになっていた。




 それからしばらくして侯爵令嬢であるソンルグレの事情が少し分かった。診療所が休みの日に隣のラプラント領に買い物に行った時である。


 ラプラントの街はペルティエよりも大きく、王国各地の名産品に珍しい食材など何でも手に入る。医療器具や物資も品揃えがいいのだ。俺は時々薬や仕事に必要な物品を買い出しに来ることがあった。


 そのラプラントの市場でソンルグレを見かけたのである。庶民の中ではやたら目立ちそうな金髪を帽子とスカーフで隠していたから初めは気付かなかった。俺が少し離れたところから彼女の姿を認めた時には、連れの男と手を繋ぎ二人寄り添って親しげにしていた。


 俺がソンルグレに声を掛けようと二人に近付くと、その黒髪の男の方とまず目が合い、そいつがほんの一瞬だが鋭い眼差しで俺を睨んできたのである。


 俺も伊達にペルティエ領で生きていない。すぐにその男が里の人間であることをさとった。そして男は微笑みながらソンルグレに何か囁いていた。そうしたら彼女が俺の方を向き、挨拶をしようと近寄ってきた。その時にはもう男の姿は人混みに紛れて見えなくなっていた。


「デュケット先生、こんにちは。先生もお買い物ですか?」


「あ、ああ。そこの薬局で注文していた薬とハーブをな……」


 何か世間話でもと思ったが、何も言葉が出てこなかった俺だった。


「私、たちも……時々この街に来るのです」


「まあ、うちの街よりも賑わっているし、色々手に入るからな。じゃあな」


「はい、先生もまた明日。失礼いたします」


 貴族のお嬢様が間者と駆け落ちと言ったところか……道理でソンルグレは街外れの森という辺鄙な場所に住んでいると言っていたがその理由も分かった。確かにペルティエ領の街には間者くずれの人間や、里から出稼ぎに来ている者も多い。


 しかし、間者と貴族という組み合わせはまず聞いたことがなかった。このラプラントの街の方が二人には人目をはばからなくても良くて気楽なのだろう。俺が振り向いた時には市の反対側に向かうソンルグレの隣には再びあの男が寄り添っていた。


 それからはソンルグレにラプラントの街まで薬や医療品の買い出しを時々任せることにした。俺からはあの間者について聞かなかったし、彼女も何も言わなかった。




 ソンルグレに初めての妊娠を告げられた時、彼女は今までになく幸せそうだった。


「きっと元気な赤ん坊が生まれるさ。なんつったって妊娠中ずっと経過を診るのも、赤ん坊を取り上げるのもこの俺なんだからな」


「えっ、先生が?」


「俺じゃ不満か? だったら他の医者と産婆を紹介してやる」


「いえ、そうではありません。デュケット先生はただでさえお忙しいので……けれど先生以外に考えられません。よろしくお願いいたします」




 ソンルグレの夫には彼女の出産時に初めて正式に会った。


「デュケット先生、妻がいつもお世話になっております。今日は本当にありがとうございました。元気な子が生まれたのも全て先生のお陰です」


 赤ん坊を抱き涙ぐむ彼に頭を下げられてそう礼を言われたのだ。俺まで妻や娘のことを思い出して不覚にも涙がにじんできた。


「新米父さん、頑張ってくれよ。ソンルグレ医師には早く仕事に復帰してもらいたいからな」


 結局俺はソンルグレの子供全員を取り上げることになった。俺はその子達にえらく懐かれ、今では自分の孫のように可愛がっている。




 俺は歳を取っても手足が動き、目が見えるうちは診療所を続けるつもりだった。それでも段々勤務時間を減らし、ソンルグレに仕事を任せて診療所はいずれ彼女に譲ることにした。俺は変わらず診療所の二階に住み続けた。


「デュケット先生、お早うございます。この子の具合が……」


「今日デュケット先生は休診日で、俺はこれから朝の散歩だ。名医ソンルグレ先生に診てもらえ!」


「名医のソンルグレ先生、お願いします!」


「何ですか、その呼び方は? マルゴと呼んで下さい!」


 今日も診療所にはいつものように大勢の患者が訪れている。




***ひとこと***

最初はただのコワいおっちゃんだったデュケット先生、味のある良い人ですよね。

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