番外ノ巻 可愛い子には旅をさせよ(一)


― 王国歴 1037年-1042年


― サンレオナール王都



 僕の名前はアントワーヌ・ソンルグレ、この物語の主人公マルゲリットの父親です。


 次女のマルゲリットは僕達の末っ子ということもあって、僕は彼女をマルゴ姫と呼んで溺愛していました。彼女に対して甘すぎると常に妻のフロレンスからたしなめられていたものです。


 マルゲリットは妻の金髪と青緑の目を引き継いだそれは美しい女の子です。しかし、彼女はいかにもお淑やかな令嬢らしい見た目とは裏腹に、体を動かすことが好きで、活発でした。


 マルゲリットは五感も優れており、幼い頃から何とドウジュやクレハさんの気配を屋敷の周りで感じ取っていたようなのです。彼らは僕のために働いてくれている間者です。


「まどのそとにいるのはだあれ?」


 初めてマルゲリットがドウジュの存在を口にした時は驚きでフロレンスと顔を見合わせたものでした。


 僕自身、ドウジュやクレハさんの気配は気を付けていれば察知出来ます。僕は常に彼らの素早い動きや研ぎ澄まされた感覚を目の当たりにしており、慣れているのです。


 しかしマルゲリットはその時たった三歳で、訓練も受けていないのです。ドウジュとクレハさんは本職の間者だというのに、マルゲリットに気配を覚られてしまいました。


 僕の実家、ペルティエ領の人間は代々間者の里の人間との血が多かれ少なかれ混ざっているからなのかもしれません。


 ドウジュにも早くから忠告されていました。


「若、マルゲリットお嬢様は私達の存在をご存じですね。屋根の上、バルコニー、お庭の木の上だろうが私達の気配にお気づきですよ。お恥ずかしい限りです」


 ドウジュはいつまで経っても、もう少年でもない僕のことを若と呼ぶのです。


「うん。三歳になる頃からもう分かっていたみたいだね」


「早かれ遅かれお嬢様には私達のことをお話ししないといけませんね」


「やはりそうなるのかなぁ」


「それにしてもお嬢様は立派な間者になる素質をお持ちです」


「ちょっとドウジュ、何が言いたいの?」


「冗談ですよ、若」


 ドウジュも本当に冗談のつもりだったのでしょうが、マルゲリットは身体能力だけで言うと間者として十分やっていける実力があったのでした。それは数年もしないうちにドウジュだけでなく僕の目にも明らかになりました。




 月日は流れ、僕達の長男ナタニエルは難しい年頃を迎えました。彼は僕とは血が繋がっていません。フロレンスと前夫の間の子供なのです。その前夫はケシ栽培などの大罪のため投獄され、牢獄内で亡くなっていました。


 ナタニエルはその出自のせいか、学院で他の生徒たちに色々と意地悪を言われ、いじめられるようになりました。そして反抗期の彼は荒れ、僕達夫婦は手を焼いていました。


 度々家出を繰り返すナタニエルにドウジュとクレハさんを常につけることにしました。




 ある日のこと、僕が自室でクレハさんから家出少年の動向を聞いていた時のことでした。


「若さま、お坊ちゃまが先程南の大通りの方へ駆けていかれました。ドウジュが後をつけています」


「そう、クレハさんいつもありがとう」


「全く、あの件が落着してからはドウジュもクレハさんも時々政治的な目的で働いてもらっていただけだったのに。まさかナタンのことでもお世話になるとはね」


 そこでクレハさんは部屋の扉をちらりと見て、僕に筆談で告げました。


『扉の前にマルゲリット様が』


 それ以降クレハさんは一言も発せず、僕には筆談で報告を続けました。彼女によると、マルゲリットの気配を察するのが遅れたとのことでした。なんということでしょうか。


 その夜、無事にナタニエルを連れ戻すことが出来た後、ドウジュから言われました。


「若、マルゲリットお嬢様にはもうこれ以上隠し事は出来ませんね。私達のことをお話しして下さい」


「ドウジュ、本当にいいの?」


「はい。お嬢様は疑問に思っておいでです。私達の存在を他の人間に話されるよりは、若から真実をお伝えいただいて秘密を守っていただくのが一番と思います。姿を見られるのみならず、名前まで知られてしまうとは……いやはや……」


 その夜、僕とフロレンスはマルゲリットの部屋に行き、彼女に間者の里のこと、ドウジュとクレハさんと僕達の関係を説明したのでした。


 ドウジュとクレハさんは僕とフロレンス以外の人間にはその存在を知られてはいけないのです。それなのに、マルゲリットは彼らの名前も聞いてしまったし、姿も度々見かけているのです。その上、ドウジュとクレハさんの子供たちのことまで知っていたのです。


 彼らに子供がいることは僕も薄々は察していましたが、ドウジュからはきちんとした報告を受けていませんでした。


 マルゲリットはその子達の姿も時々屋敷の敷地内で見ていたのです。ドウジュ達には一男一女が居るということをマルゲリットから聞いて僕は初めて知りました。




 それからのマルゲリットはなんと我が家の庭で走り回ったり木に登ったり間者の真似事をするようになってしまいました。


 元々活発でナタニエルや従兄達と木刀を振り回していた彼女でしたが、それに加えて間者ごっこまで始めるとは思ってもいませんでした。そのことはドウジュからも報告されていました。


 そしてマルゲリットはドウジュの息子とだんだん仲良くなっていきます。その頃はもちろん僕達夫婦もマルゲリットも彼の名前までは知りませんでした。ですから僕達は彼のことを『マルゴの守護戦士殿』と呼んでいました。


 僕は親として微笑ましく思っていました。僕は子供達には貴族の枠から少々はみ出ても色々な経験をして欲しかったのです。


 貴族学院に入る頃にはお転婆なマルゲリットも少しは落ち着くだろうと考えていました。しかし、彼女の間者熱は一向に冷める様子もなく、木に登るだけでなく屋敷の屋根の上にまで登り始めたとドウジュからの報告が入るのでした。


 そこで僕はフロレンスと相談して、マルゲリットにはドウジュを剣術等の先生としてつけることにしました。間者ごっこを止めさせると彼女のことですから僕達に反発してもっと危険なことをし始めるかもしれません。


 それとも家出して、間者の里まで守護戦士殿を追いかけて行くやもしれません。我が家に家出少年はナタニエル一人で十分でした。




(二)に続く




***ひとこと***

家出少年に忍者少女とアントワーヌ君とフロレンスさまは親として大変です。真ん中のローズはその頃はもう、アントワーヌ君のような文官になるために勉学に励んでおりました。

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