最終ノ巻 王都の夢、領地の夢、里の夢
その年の秋、兄ナタニエルの結婚式が行われる予定でした。私は休みを三日だけもらい、一人上京します。まだ数か月しか離れていないというのに、短い間に色々なことが起こったので王都が懐かしくて楽しみでした。
両親や兄は私に会いにペルティエ領に来ることも可能ですが、小さいオリヴィエの居る姉は移動もままならないのです。それに、私の伯母にあたる王妃さまも私のことを心配してくれているとのことでした。私は王都の家族や親戚に会いたくてたまりませんでした。
けれど、本当は日々仕事に家事に精を出してくれているダンを置いて私だけが遊びに行くことに少々後ろめたさがありました。
そんなもやもやとした思いを隠しておけないので、思い切って彼に提案してみました。
「ダン、私の留守中に貴方も里に帰って皆さんにお会いしたらどうかしら?」
「何をおっしゃいますか、俺の奥様は。俺も王都にお供するに決まっています」
「けれど……」
ダンは兄の結婚式にも出席できません。
「里は近いからいつでも寄れますよ。それに俺は王都の両親に顔を見せに行けますしね。でもこれだけは約束して下さいますか? 式の後の晩餐会ではご家族以外の男性と踊らないで下さい」
「ダンでも嫉妬して束縛したくなるの?」
「それはしますよ。俺は独占欲の塊です。しかも貴女は俺の妻ですが、貴族社会ではまだ独身ということになっていますから」
ダンが私のことを妻と言い、嫉妬しています。そんなささやかなことがとても嬉しいです。
「えっと、従兄は家族に入るわよね?」
彼が吹き出しました。
「何ですか、その質問は。遠足のおやつのバナナですか?」
「???」
「ぎりぎり許容範囲です。本当はダメと言いたいところですが……貴女の従兄の皆様は
ダンは不要な心配をしているようです。確かに私はダンス好きですが、私が本当に一緒に踊りたいのはダンだけなのです。
兄の結婚式に私は花嫁の付添人を務めることになっていました。一年前から結婚式の準備をしていた兄とエマニュエルさんから最初に頼まれた時、最初私は断ったのですが結局二人から押し切られて引き受けたのです。
その後、ペルティエ領に引っ越した私の所に兄とエマニュエルさんが訪ねてきました。ダンが良いと言うので彼を二人に紹介しました。ダンは私の大切な家族には逃げも隠れもせずに正体を現すと言うのです。
「初めまして。へえ、君はお母さん似だね」
ダンに紹介された兄のその言葉に私たち二人は驚きました。
「若様、父だけでなく母も御存じなのですか?」
「うん。コライユって名乗って僕の生家ラングロワ家で侍女をしていたから。僕は瞬間移動が出来るしね、色々見聞きしているんだよなぁ」
「若様には敵いませんね」
私は再び兄とエマニュエルさんに相談しました。
「やはり付添人の役を降りてもよろしいですか? あの、私は書類上ではまだ娘ですけれど……その、要するに独身女性が務める花嫁付添人にもう相応しくないので……お兄さまたちの一生に一度の晴れの日に水を差したくないのです」
恥ずかしかったのですが、正直に言いました。
「何言ってるの、マルゴ。そんな事、家族の誰も気にしていないし、大体黙っていれば他人には分からないって! だよねぇー、エマ?」
兄は意味ありげな視線をエマニュエルさんに投げかけています。
「ナ、ナット! な、何をおっしゃるの……」
彼女は髪の毛を触りながら真っ赤になって
「お兄さま!」
私まで兄が意味していることが分かって恥ずかしくなってしまいます。
「と、とにかく……そういうことなので、私の付添人は予定通りマルゲリットさんにして頂きたいのです……」
まだまだ真っ赤な顔でそう言ってくれたエマニュエルさんの肩を抱いた兄でした。そして彼女の額に軽くキスを落としています。熱々な婚約者たちにほだされて結局私は予定通り付添人を務めることにしたのでした。
兄の結婚式は大聖堂で厳かに執り行われました。その後の晩餐会では付添人相手であるエマニュエルさんの弟パスカルさん、新郎である兄に父はもちろんのこと従兄たち、家族の男性皆と思う存分踊り楽しみました。
その夜晩餐会の後、実家の私の部屋のバルコニーでドレスを着たままダンを待ちました。侍女はもう下がらせています。
「ダン、二年前に王宮舞踏会に参加した時も私は貴方のことをここで待っていたのよ……貴方に美しく着飾った姿を見て欲しかったから」
私が愛する男性は私が言い終わる前に音もなく現れました。
「はい、二年前は陰からそっと見守っていただけでした。まだその頃は貴女と俺の間には見えない障害が立ちはだかっていましたから」
「けれど私たちはそれを乗り越えたわ」
「全ては貴女の頑張りの賜物です」
「ダン、貴方踊れる?」
「見よう見まねで何とか」
月明かりに照らされたダンの微笑みに私はどうしようもなくときめいてしまいます。
「音楽も何もないのですもの、ただ私の手を取って腰にもう片方の手をあてているだけでいいわ」
私は彼の逞しい胸にそっと頭を預けました。
「貴女は今日、誰よりも美しく輝いていました。俺は貴女のことが誇らしい」
「私が本当に踊りたいのは貴方とだけなのよ、ダン」
「貴女のことをどうしようもなく愛しています。ああ、俺の可憐な
「ダン、貴方に愛され慈しまれたゆえに私は咲けるのよ」
実際私たちがバルコニーで踊っていたのはほんの少しの間でした。ダンスは直ぐに熱い抱擁とキスに変わりました。そしてそれ以上私たちは口を開くことはなく、二人無言で部屋に入りました。
***
王都の実家に戻って家族に会えたのは嬉しかったのですが、私はペルティエ領の家に早く帰りたくてしょうがありませんでした。
私の家はもう生まれ育ったソンルグレの屋敷ではなく、ペルティエ領の静かな森の小さな家なのです。
この家にダンと二人で住みだした時、家の前の庭に彼に贈られたひなぎくの苗を一緒に植えました。年々そのひなぎくは増え、数年もすると庭一面に咲くようになりました。
「まるで貴女のように可愛らしくしなやかで、けれど何にも負けない逞しさを持つ花ですね」
ダンは毎年ひなぎくが咲く度にそう言ってくれます。
私たちの暮らしは楽しいことばかりではなく、もちろん苦しい時もありました。日々の雑事に追われて余裕がなくなることも頻繁にありました。夫婦喧嘩もたくさんしました。喧嘩というよりは私が一人癇癪を起こし、ダンが呆れたように
困難にぶつかる度にダンと私は助け合い、支え合って乗り越えました。私たちが打ち破るのは不可能だと思えた大きく高い壁はだんだんと低くなりいつの間にかなくなっていました。
今日も私は診療所の仕事を終えて帰宅します。私の愛する家族が待つ、庭にひなぎくの咲き乱れる温かい我が家に帰るのです。
――― 完 ―――
***ひとこと***
本編を最後までお読みいただき、ありがとうございました。番外編はデュケット先生、アントワーヌ君、ダンジュ君それぞれの視点でお送りします。よろしかったら続けてお読み下さい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます