巻ノ二十八 雨垂れ石を穿つ


 父も数日後、仕事をやりくりしてペルティエ領にやって来ました。


 今日は両親を家に招き、父にもやっと私の新居を見せることができました。先日母が来た時は居なくなってしまったダンも同席してくれています。


「苦労は多いだろうけれど、マルゴ姫は生き生きしているね」


「はい、もちろんですわ」


「真実の愛を見つけたマルゴ姫にはもう何も言わないよ。僕も父親として誇らしい」


「お父さま……愛しています……私の好きなようにさせてくれてありがとうございます」


「僕もフロレンスも実は君たちがここまでやり遂げるとは思ってもいなかったからね。感心しているよ。これからも色々苦労は重ねるだろうけれど、とりあえず一安心だ」


「私達がこうして幸せに暮らせるのはひとえにマルゲリット様の努力の賜物です」


「いいえ、ダンが私を支えてくれているお陰だわ」


 私はダンに微笑みかけました。


「ダンジュ、僕はマルゴが君に我儘ばかり言ったり癇癪を起こしたりしていないか少々心配でもあるけれど」


「そんなことありませんわ、お父さま!」


「マルゲリット様の我儘や癇癪なんて可愛らしいものですよ」


 そこで両親は吹き出しています。


「まあ、失礼ね!」


「ソンルグレ侯爵夫妻、こんな形でお許しをいただいたことを改めてお礼を申し上げます。私には身に余る幸福を得られました。一生、全身全霊をかけてマルゲリット様を慈しみ大事に致します」


「だからもう良いのだよ、あまりかしこまられても僕は泣いてしまいそうだから……僕がフロレンスに求婚した時を思い出すね」


「うふふ……」


 私たちは少し涙ぐんでしまいました。




 両親が王都に帰ってしばらくして、母から文が来ました。ラヴォワさん夫妻が生まれてくる赤ちゃんを養子に出すことにしたとのことでした。


 赤ちゃんは王都のある裕福な商人の夫妻のところへ貰われるそうです。デュケット先生からはある日ボソッとお礼を言われました。


「ソンルグレ、お前には偉そうなことばかり言っていたが、施術をしなくて済んで俺はほっとしている。お前がラヴォワさんたちの為に奔走してくれなかったら、と思うと……感謝している」


「何年も子供が出来ない夫婦もいるというのに……世の中って不公平ですね、先生」


「人生とはそんなもんさ」




 私自身はダンとの子供が欲しい、その思いが日に日に強くなって行きます。けれど何となく彼に言い出せないのです。


 私もダンも働いています。人間が一人増えるとそれだけ出費も増えます。その上私は仕事を始めたばかりです。出産や育児でしばらく休職するとその間の収入がなくなります。


 それどころかデュケット先生が職場復帰をさせてくれなかったら職も失います。


 甥のオリヴィエを育てている姉夫婦には使用人が居ます。私は子供の世話に家事、生活費の確保の全てを一人でしないといけないのです。


「世の中の子育て中の皆さんを尊敬するわ……」


 姉にも両親にも相談できません。デュケット先生に出産後しばらくしてまた雇ってもらえますか、なんてとても聞けませんでした。


『冗談も休み休み言え! 出産後、子供を背中にくくりつけて出勤する気か? 仕事になるわけねぇだろ!』


 なんて一笑に付されるに違いません。その上、避妊に細心の注意を払ってくれているダンのことですから……彼が私との子供を欲しがるとは限らないのです。




 それでも、ペルティエの街や診療所で小さい子供を見る度、家族からの文で甥のオリヴィエの成長ぶりを知る度、私もどうしてもダンと家族を築いていきたいという渇望がどんどんと膨らんでいくのです。


 ある日の夕方、いつものように私は帰宅しました。その日は特に私の気持ちが高ぶっていました。


 というのも切迫早産で診療所に運び込まれた妊婦さんがデュケット先生のお陰で無事に出産できたからなのです。


 畑にいたダンが私を出迎えてくれました。


「帰りました、私の旦那さま」


 私はダンが土まみれなのにも構わず、彼に抱きつきました。


「俺の奥様はまた甘えたいご気分なのですか? 貴女まで汚れるではないですか」


「貴方には私のこと、何でもお見通しね……」


「もちろんです。手と顔を洗って着替えたらいくらでも甘えさせて差し上げますよ」


 彼は私の額に軽く口付けると池の方へ行きました。その間に私も荷物を置いて着替えを済ませました。私が階下に降りていくとダンは居間の長椅子に座っていました。私も彼の隣に腰をかけます。


「今日トロンブレの奥さんが無事に出産されたの。少し早めだけれど元気な女の子よ……あのね、ダン……私もいつか貴方の子供が欲しいと思っているの」


 私は思わず口に出してしまいました。


「マルゴ様……」


「あ、あのね……あくまでも将来の希望なのよ。仕事を始めたばかりで、二人で生活していくだけでも大変な状態で子供までどうやって育てていくのか、って貴方は呆れるかもしれないけれど……で、でもどうしても私……」


 そこでダンは私の唇に人差し指をあてるので私は最後まで言えませんでした。


「マルゴ様、子供が欲しいというのは俺も同じ気持ちです。生活費はご心配なく。俺も働いていることをお忘れではないですか? それに俺の仕事は融通が利きますから、育児や家事は俺の方がより担当できますよ。って今でも家事は大方俺がしていますが」


「ダン……本当に? って何気に失礼よね、貴方! 確かにね、料理も掃除も畑仕事も貴方の方が得意だけれど!」


「とにかく俺達二人共考えていることは一緒だったのですね」


「ええ! 私、貴方に良く似た男の子が欲しいわ。でも、本当は女の子でもどちらでもいいの」


「では早速実践に移しましょうか、奥様?」


 時々私のことを奥様と呼ぶダンにときめいてしまうのです。彼は私の手を引いて立たせるといきなり私を横抱きにして、階段を登り始めました。


「え? あっ、ダンッ!」


 私の体はそっと寝台に下ろされました。そしてダンと私はいつもよりもずっと情熱的に愛を交わしました。



***



 寝台の上に気だるい体を横たえてダンに寄り添う私に彼が囁きます。


「マルゴ様、何でも一人で溜めこまずにおっしゃって下さい。何のための夫婦ですか。俺は貴女がまだ心の準備が出来ていないものだとばかり思っていたのです」


 夫婦という言葉がしっくりと私の心に響きます。


「貴方の方こそ……だっていつも気を付けてくれていたから……私との子供が欲しいとは思ってもいなかったのよ」


「愛する人を手に入れて、子を残したいという気持ちは人の本能ですよ」


「私たち、二人とも同じ思いだったのね。嬉しいわ」


 彼が優しく私の髪を撫でてくれています。


「さあ、夕食にしましょうか? お腹がお空きでしょう。支度はほとんど出来ていますよ」


「そうね、そう言われてみればペコペコよ。こちらの欲求が満たされたら今度は食欲も湧いてきたわ。貴方は私の欲しいものを全て与えてくれる最高の旦那さまよ」


「俺の奥様はいつも欲張りですからね」


「もう、ダンったら! でも本当ね」


 案の定彼の顔を見上げるとニヤニヤと笑っています。その彼の胸を軽く叩いた私でした。




***ひとこと***

ドウジュ三世の誕生が待ち望まれます。

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