巻ノ二十七 命に過ぎたる宝なし
母の出発前に王都に着くように文も書きましたが、私は急を要する大事な話が母にありました。
先日、デュケット先生の診療所にラヴォワの奥さんが一人で診察に訪れたのです。最近疲れが全然とれなくて食欲も無いとの事でした。
診察をしてみると奥さんの予想通りおめでただったのです。
お祝いを言う私とデュケット先生でしたが、奥さんは余程体調が良くないのか、浮かない顔をしていました。
そして翌日、ラヴォワさん夫妻が二人でデュケット先生に何と子供を堕ろしてくれと頼みに来ました。
夫婦にはもう四人も子供が居て、五人目までどうしても養う余裕がないというのが理由でした。
嫌な予感がした私は診察室の扉の前で先生と夫妻の会話を聞いていました。
「デュケット先生、私納得できません……」
夫婦が帰った後、私は先生に本当に堕胎するのか尋ねました。
「ソンルグレ、お前はまだまだ若くて人生に希望も夢も持っている。しかしな、綺麗事ばかり並べ立てていても生きていけねぇんだよ。現実をしっかり見つめろ。俺だってやりたくて引き受けたわけじゃねぇんだ! 出来ればやりたくないに決まっている! だから施術料は割り増ししている」
「けれど、先生は期限無し利子無しの分割払いに、庭の手入れや家の修理、労働との引き換えやお肉や料理の差し入れなどで診察をなさっています。料金割り増しの意味がありません!」
「確かにお前の言う通りだ。しかしどっちにしたって、ラヴォワさんが子供を産んで育てる方がよっぽど大変で金もかかる」
「けれど、命には何も代えられません!」
「俺だって金が欲しくて引き受けたわけじゃない。俺が断ったらあの奥さんはもっとふっかけてくる闇医者の所へ行く。衛生状態も良くないところで堕胎して、金だけふんだくって術後の経過も診ないような所へな! 合併症だって起こしかねない」
「そ、それでも……」
「それか、育てられもしないのにもう一人産んで家族全員で共倒れするかだぞ……おい、お前が泣いても解決しねぇだろーが!」
「泣いてなんかいません!」
私はそう言いながらも目には涙をいっぱいに溜めていました。心の中では号泣していました。
「じゃあお前が生まれた子を責任持って引きとるって言うのか? 堕胎手術を頼まれる度にそんなこと出来ねぇだろーが! 孤児院経営でもおっ始める気か? この話はもう終わりだ」
先生の言葉に私はハッとしました。孤児院と言えば……
「私、しばらく考えてみます!」
「おい、お前が何を考えても無駄だっつーの!」
その日の夜すぐに私は母に文を書きました。母が経営する『フロレンスの家』では孤児の面倒も見ており、里親や養親の斡旋もしているからです。
もしラヴォワさんがその子を産んだら引きとってくれる先があるか相談してみました。
***
「マルゴ、相談されたラヴォワさんの件ね、実は赤ちゃんを養子にもらいたいという夫婦は結構な数居るのですよ。ですからラヴォワさんさえ承諾してくれれば、養子縁組を整えることが出来ます」
「本当ですか、お母さま?」
数日間、私の心の中を占めていた問題に解決のめどが少しですが見えてきました。沈み切っていた私の気持ちはやや浮上しました。
「今回は急な話で、マルゴもまだラヴォワさんたちに養子の件を話していないのでしょう? 候補の夫婦はきちんと面接するから、きっと愛情を持って育ててくれる家族が見つかるに違いないわ」
「ありがとうございます、お母さま! 早速明日デュケット先生に話して、私ラヴォワさん夫婦を説得に行きますから!」
「今回私がペルティエ領に来たのはね、領主である伯父さまの要望だったのよ。ペルティエの街の孤児院の規模をもっと大きくしたいそうなのです。私はその為に視察して意見を求められているの」
「まあ、そうだったのですか……」
「伯父さまはね、王都の『フロレンスの家』のような施設を建てたいともおっしゃっているの。だから孤児院だけでなくて託児所や被害者保護施設も兼ねたものにする予定だそうですよ」
「託児所もですか……」
姉夫婦のように専属の乳母は雇えなくても、託児所なら私たちの収入でも利用できるかもしれない、と考えました。母は私の心の中を読んだのか、意味ありげに微笑んでいます。
「お母さまはこちらに滞在中はペルティエのお屋敷に泊まるのですね。狭いですけれどこの家に泊まって下さっても良かったのに……」
私は話題を変えることにしました。
「昼間は働いている二人の所に転がり込むわけにはいかないわ。それに貴方たちの邪魔はしたくないものね」
母は悪戯っぽい笑みを浮かべています。
「お、お母さま……そんなことは全然……」
翌朝、私は早速デュケット先生に私の母が養親を探してくれていることなどを説明しました。
「私、これからラヴォワさん夫婦に話をしに行ってもよろしいでしょうか、先生?」
「勝手にしろ! 昼前には帰ってこいよ、仕事は山積みなんだからな」
「はい、ありがとうございます!」
私はラヴォワ家に急ぎ、その提案をしてみました。
「マルゴさん、私も出来れば産んで自分たちで育てたいのです……」
「それはもちろんです」
「俺だって、デュケット先生にあんなこと頼むのは嫌だったんだよ……お子さんを亡くした後の先生を知っている人間としてな……」
「主人ともう少し考えさせてもらってもいいですか?」
その日の夕方、母もラヴォワさん夫婦に詳しい話をしてくれました。
子供が無事に生まれるように臨月まで少々の援助も出来ることや、養親となる夫婦と交わす契約のことなど、私では出来なかった説明もしてくれたそうです。
甥のオリヴィエが誕生した頃から、私も無性にダンとの子供を産んで育てたいという気持ちになっていました。けれど今はまだ自分たちが生きていくだけで精一杯なのです。
私はやっとダンにその一連の話を聞いてもらうことにしました。
「そんなことがあったのですか。確かに里でも子供が増えすぎると養っていけないですからね、他人事ではありません。マルゴ様が医者として、ラヴォワさんのような人たちに避妊の大切さをそれとなく説いてみるのはどうでしょうか?」
「そうね、望まない妊娠を避けられるなら、それに越したことはないわね……」
私は貴方との子供が欲しくてしょうがないのよ、とは声に出して言えませんでした。
今私が出来ることと言ったら小さな命の誕生を願って祈ることくらいでした。
***ひとこと***
診療所に勤めていると色々な症例があることでしょうね。完治する怪我や病気だけではありません。
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