番外ノ巻 花は折りたし梢は高し(四)

― 王国歴 1052年夏-


― サンレオナール王国西部ペルティエ領





 マルゲリットは卒業後すぐにペルティエ領の新築の小さな家へ単身引越した。初めてその家を訪れた時、俺は本音は何でも手伝ってやりたかったが、また心を鬼にしてなるべく最初は口を出さないようにした。彼女は新居の中を案内してくれた。


「二階は三部屋あって、ここが私の寝室よ。それにね、この上には屋根裏があるの」


 彼女が寝室の天井にある小さな入口から梯子を下ろし、二人で屋根裏部屋に上がった。


「ほら、窓が四方にあるから家の中でも一番明るいの。ここは貴方だけの部屋よ」


「お嬢様……いいのですか?」


「えっと、貴方なら窓から簡単に出入り出来るでしょう? いつでも来ていいし、貴方の希望の家具も揃えるわよ」


 マルゲリットが俺だけの居場所を新居に作ってくれたことに素直に感激している自分が居た。


「私は窓から出入り可能ですけれども……家の中へは貴女の寝室を通らないと行けませんね……」


「いいの、ここは私と貴方の家なのですから。下の部屋は貴方の寝室でもあるのよ」


「……」


 何気に大胆な発言をするマルゲリットだった。目の前にある可憐な花を自分のものにしたい気持ちに、俺の理性は押しつぶされてもうほとんどなかった。


 二人で真っ赤になってしばらくの間沈黙が流れた。


「えっと……お茶でも淹れるわね。下に降りましょう」


 その日は何とか本能に負けることなくマルゲリットの家を後にした。




 俺は里にも顔を出さないといけなかったし、俺自身も仕事が必要だったこともあり、数日間はマルゲリットに会いに行かなかった。彼女はペルティエの祖父母の紹介で仕事を見つけたのはいいが、家事の方はほとんどできていなかったようである。


 彼女が越してきて一週間弱、今度は食糧を沢山持って訪れた。本当は差し入れを置いただけで帰るつもりだった。しかしマルゲリットに迫られねだられてはこれ以上彼女の魅力に抗うことは無理だった。


「お、お嬢様……本当によろしいのですか?」


「もちろん、お願いよ……」


「では貴女のお望みのままに」


 マルゲリットに上目遣いでお願いされてはもう拒めるわけがなかった。これはいくら修行を積んでもまず不可能だと言える。


「お嬢様、俺もう限界です。止められませんからね」


 彼女を横抱きにして二階の寝室に連れて行った。何年も密かに見守り続けていた純真無垢なマルゲリットを手折たおるのが俺だという喜びに眩暈がした。それ以上は二人とも無言で、お互いに衣服を脱がせ合うのももどかしく、寝台に倒れ込んだ。


 その夜、俺は初めて彼女の前で声に出して愛を告白した。


「マルゴ、愛しています。貴女は俺の全てだ」


 俺の腕の中で眠っていた筈のマルゲリットだが、しっかりと答えてくれた。


「ダン、初めて私のことマルゴって呼んでくれたのね。愛しているわ」




 それからは質素ながらも二人共笑顔で楽しい毎日が続いた。俺はマルゲリットを手に入れたら次は彼女と本当に家族を持ちたいと考えるようになった。人間としての本能だろうが、仕事も始めたばかりのマルゲリットにはまだ時間が必要だと思っていた。


 そんな彼女はある日俺にためらいがちに言ったのだ。


「あのね、ダン……私もいつか貴方の子供が欲しいと思っているの」


「マルゴ様……」


「あ、あのね……あくまでも将来の希望なのよ。今仕事を始めたばかりで、二人で生活していくだけでも大変な状態で子供までどうやって育てていくのか、って貴方は呆れるかもしれないけれど……で、でもどうしても私……」


 マルゲリットも俺と同じ考えだったのに、俺に遠慮して言えなかったらしい。喜びが体の奥底から湧いてくるのを感じていた。それに彼女に対する欲望も同時に持ち上がってくる。


「とにかく俺達二人共考えていることは一緒だったのですね」


「ええ! 私、貴方に良く似た男の子が欲しいわ。でも、本当は女の子でもどちらでもいいの」


「では早速実践に移しましょうか、奥様?」




 それからの俺達はお互いに対する不満や希望は何でも隠さずに言って、しっかり話し合うことにした。


 俺達は結局正式に結婚することはなかった。俺は籍を入れないことで彼女にいつでも貴族に戻れるという選択肢を残したつもりだった。


 しかしマルゲリットは俺とは別の理由で正式に結婚しなくてもいいと言ったのだ。豪華な婚礼衣装を着て誓わなくても、法的に守られていなくても彼女の俺への愛は一生のものだからと断言していた。そしてそれは本当だった。


 マルゲリット・ソンルグレの名はサンレオナール王国貴族名鑑に載っているが、生涯独身を貫いたことになっている。


 マルゲリットの父親ソンルグレ侯爵は愛娘が正式に結婚もしないまま、俺と二人で住むことには意外にも反対しなかった。彼は愛娘の花嫁姿が見られないのは少々残念だが、式など挙げたら号泣してしまうに違いないからこれで良かったのだとおっしゃった。


 ソンルグレ侯爵はマルゲリットと俺のことは反対しなかったものの、実は結構な親バカでそれを時々発揮する。俺も親になった今、彼の気持ちも痛いほど分かる。




 マルゲリットの初めてのお産が近付いて来た時にはソンルグレ侯爵夫妻から里帰り出産を強く勧められた。その上マルゲリットの祖父母であり元領主夫妻からもペルティエ家のかかりつけ医を寄こそうか、と打診されていた。


 確かに妻の上司、デュケット医師は普段から多忙を極めており、マルゲリットがお産のために休職している間はさらに忙しくしていた。しかし、彼が聞いたら侮辱で怒り狂いそうだった。


「どんなに忙しかろうが、一度ソンルグレに頼まれたからには俺が取り上げるに決まっているだろーが!」


 大体この狭い家に医者が何人も押し掛けられても困る。船頭多くしてなんとか、だ。自宅分娩が希望のマルゲリットは里帰り出産も、ペルティエ家からの医師もやんわりと断ったらしい。結局俺達の初めての子はデュケット医師に取り上げてもらい、マルゲリットに頼まれたうちの母が手伝いに駆けつけてくれた。




 何もかも持って生まれたマルゲリットは蝶よ花よと何不自由なく育てられたというのに、その全てを捨てて俺と一生を共にすると言った。そんな彼女に俺はこの体しか差し出せるものがなかった。


 しかし、マルゲリットは物質的に裕福ではない暮らしでも不平不満など漏らさず、常に幸せだと言っていた。


 俺達は三人の子供に恵まれ、彼等に将来貴族、間者、もしくは平民として生きる道を自分達で選ばせた。貴族だったらソンルグレ家かペルティエ家が喜んで養子として受け入れるとのことだった。


 結局三人とも貴族でも間者でもなく、ペルティエの街でごくごく普通の市民として暮らす道を選び、皆それぞれが幸せを掴んだ。




 子供達が独立し、再び夫婦二人の生活になった俺達は良く庭一面に咲き乱れるひなぎくを眺めながら二人ゆったりとした時間を過ごすようになった。俺は隣に座るマルゲリットの手を取り、そこに口付けたものだった。


「ダン、私の手なんて娘時代はともかく、今はもう荒れてしまっているというのに……」


「俺の気高く美しいマルゲリットひなぎく、貴女の手は若い頃よりもずっと綺麗ですよ。家族の為に、俺の為に貴女が身を粉にして働いた勲章ではないですか。俺達二人が重ねてきた年月の現れです」


 マルゲリットはふわりと微笑み、その手で俺の髪や頬を優しく撫でてくれるのだった。




― 花は折りたし梢は高し 完 ―




***ひとこと***

本編最終話とこの番外編の終わり方、自分でもしみじみしてしまいます。


この後はお馴染みの主要でない登場人物紹介に座談会が続きます。

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