番外ノ巻 花は折りたし梢は高し(三)

― 王国歴 1050年-1052年夏


― サンレオナール王都




 マルゲリットの姉ローズ様の周りが少々賑やかになってきたのはその頃からである。ローズ様の恋の行方に興味津々なマルゲリットは、物陰から覗き見に盗み聞きを繰り返していた。


 その夏、ローズ様が王宮の舞踏会に出席したいと言い出され、マルゲリットもついでに同行することになった。舞踏会用に仕立てたドレスを着た彼女はそれはそれは美しかった。


 清楚で可憐な空色のドレス姿のマルゲリットは俺の目には愛しさを通り越して眩しすぎた。やはり俺には手の届かない所でひと際美しく咲き誇っている花なのだと再確認したのである。




 その舞踏会の翌日、ローズ様に客があった。後に彼女の夫となるマキシム・ガニョン様だった。礼装に立派な薔薇の花束を抱えた彼はローズ様に会う前に侯爵夫妻に求婚の許可を求めていた。


 俺の父とマルゲリットがバルコニーから盗み聞きを始めたので俺もそこへ近づいた。マルゲリットは屋内の会話を聞くのに集中しており俺の気配には気づかなかったが、俺もソンルグレ侯爵の言葉は一語一句聞き逃さなかった。


「要するに僕が言いたいことは一つだけだ。ソンルグレ家の、僕達の子供と生涯を共にする幸運な人間に僕が父親として求めるのは、夫婦二人お互い深く愛し合って幸せになること、それだけだよ。必要なのは身分でも地位でも財力でもない、騎士道大会で好成績を修めなくてもいい、将来出世しなくてもいい。王族だろうが平民だろうが関係ない」


 マルゲリットはそこではらはらと涙を流し始めた。俺も驚いた。侯爵はマキシム様だけに言っているのではなかった。盗み聞きをしている人物のことも分かっていたようだ。


 侯爵は俺のことを愛娘の下僕として見ているのではなく、対等な人生を共にする相手として認めてくれていたのだ。周りの人間、貴族社会や間者の里に認めてもらわずとも、彼が受け入れてくれるだけで充分だった。俺は壁越しに侯爵に深く頭を下げた。




 その後マルゲリットは本格的に動き出した。ペルティエ領に休みの度に滞在し、リゼの祖父母に家事や畑仕事を習い始めた。


 その上元領主のペルティエ祖父母からは街外れに土地を買い、そこへ小さな家を建てる計画を立てているのである。というのも、侯爵が彼女に早めの花嫁支度金としてまとまった金を譲ったからだ。


 その金も不動産など購入したらあっという間になくなるだろうが、マルゲリットは侯爵夫妻の紹介で事業家に投資もしていた。


 それと同時に彼女は普通医師の試験勉強に励んでいた。その頃の彼女はいつも思い詰めたような顔をしていて、俺が時々稽古をつけていても特に試験前は中々集中出来ていなかった。


「お嬢様、貴女の事情も私には十分理解できます。ですが、間者として厳しく言わせて頂きますと、ちょっとした緊張の緩みが命取りになることがあるのですよ。今日はもう稽古は終わりにしましょう」


 俺はいつもこんなことを言いたいのではなかったが、心を鬼にした。


「ダン、ごめんなさい。試験前はもう稽古をお願いするべきではなかったわ。貴方の時間を取らせてしまったわね……」


「私の時間は貴女の時間です。ですから稽古をつけるためだけでなくいつでも呼んで下さっていいのですよ、お嬢様」


 将来の為に一人で努力を重ねているマルゲリットに俺は大したことが出来なかったのが歯がゆかった。




 そしてマルゲリットは見事に試験にも合格し、貴族学院の卒業式の日を迎えた。


 俺は彼女に卒業祝いとして何か贈りたかった。どうせ俺は彼女を食事に誘うこともできないし、彼女に見合うドレスや宝飾品を買ってあげることもできない。


 そこで俺は高価ではないが彼女にこれ以上ないくらい相応しい贈り物を考え付いた。貴族のお嬢様に贈るにはあまりにもみすぼらしいものだったが、優しいマルゲリットが喜んでくれるという確信だけはあった。


 卒業式の夜、ソンルグレ一家が家族で食事をした後、マルゲリットに逢いに行く前に俺は侯爵夫妻の部屋を訪れた。


「ソンルグレ侯爵夫妻、夜遅くに突然失礼致します」


 侯爵夫人の方は俺の姿を見るのは初めてだったが、すぐに俺が誰だか分かったようだった。


「貴方は……もしかして……」


「うんフロレンス、マルゴ姫の守護戦士殿だよ」


「まあ、どうぞお入りください」


 俺は夫妻の前で土下座して口を開いた。


「ドウジュとクレハの長男、ダンジュと申します。この私がマルゲリット・ソンルグレ様に一生仕えることをお許しください。ご挨拶が遅くなって申し訳ございません」


 夫妻は床に頭を付けている俺を自らの正面に座らせ、俺のことを許すもなにもない、と笑顔でおっしゃった。その上、俺自身のことまで気にかけて下さった。


「それでもマルゴのことばかり考えて君が犠牲になるのはいけないよ。君自身も幸せにならないとだめだからね」


「そうよ、二人で幸せになってね。娘をよろしくお願いします、ダンジュさん」


「重ね重ね勿体ないお言葉です。私は犠牲だなんて思ったことはありませんし、これからもありません。マルゲリットお嬢様のお側に居られることは私の最大の幸せです」


 涙ぐんでいた夫人に俺もつられそうになった。俺の両親は何と素晴らしい主に恵まれたのだろう。彼らは目に入れても痛くない可愛がりようの愛娘がこんな俺と一緒になることを許してくれたのである。俺が義両親と呼ぶのもおこがましい。


「それにしてもアントワーヌ、ローズに求婚に来たマキシムさんにはやたら厳しく釘を差していたのに、ダンジュさんには大層甘いのね」


「日頃の行いの違いだよ」


 そんな夫妻の言葉には俺までつられて苦笑してしまった。




 すぐに俺はマルゲリットの部屋のバルコニーに向かった。


 彼女は俺の渡したひなぎくの小さな鉢植えを殊の外喜んでくれた。そして何と背伸びをして俺に口付けてきたのだった。雰囲気的にこうなる予感は少なからずあった。


「お、お嬢様!?」


「えっと、その、もう少しキスを続けてもいい? お願いよ、ダン」


 余りにも可愛らしいマルゲリットがそう懇願するのを拒めるはずがなかった。


「あ、貴女のお望みのままに……」


 その夜は辛うじて熱いキスと抱擁だけでこらえた俺だった。


 俺が風邪を引いて寝込んでいた時に俺の唇を既に奪っていたと告白するマルゲリットを揶揄からかったことにより、俺達の間の雰囲気が和らいだのが幸いだった。次の機会には一線を越えないでいる自信がもうなかった。




(四)に続く




***ひとこと***

ダンジュ君の悩ましい苦しみは続きます。マルゲリットに「お願いよ、ダン♡」なんて言われて暴走しなかった君はエラい!

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