番外ノ巻 花は折りたし梢は高し(二)

― 王国歴 1045年-1049年


― サンレオナール王都




 マルゲリットは十一になり、あと一年したら初等科も卒業する。周りの貴族令嬢達の影響を受け、そろそろ彼女のお転婆も治まるかと皆が思っていた。ところがいつまで経っても彼女はお洒落や舞踏会に興味を示すこともなく、未だに木や屋根に登り、木刀を振り回していたのだった。


 ソンルグレ侯爵に頼まれた父はその頃から週に二、三回彼女に稽古をつけるようになっていた。時には母や俺も一緒だった。


 感情を素直に表現するマルゲリットは、俺に会えるととても嬉しそうにしていた。そんな彼女を俺は純粋に愛おしいと思えた。


 そして多感な年頃のマルゲリットと俺の間には徐々に淡い恋心が芽生えていった。同時に、純真で天真爛漫な彼女に対する劣情も俺の中に生まれつつあった。間者として感情は表に出さないよう訓練は受けていたが、マルゲリットを前にするとそれも容易ではなかった。


 俺は父に言われて、マルゲリットとの水泳の稽古に付き合わされることまで度々あったのである。両親には何でもお見通しで、今から思えば俺は試されていたのだと思う。マルゲリットが稽古着で泳ぐ姿を目にしながらの鍛錬は若い盛りの俺にはまるで拷問だった。




 その頃からマルゲリットは俺のことをサスケと呼ぶようになった。何かの物語に出てくる俺に似た忍者の名前から取ったらしい。日に日に彼女に自分の本当の名前を呼んで欲しいという気持ちが俺の中で膨らんでいた。


 十二になったマルゲリットは貴族学院に進学し、医科に入った。勉強はあまり得意でない彼女だったので少々意外だった。貴族の令嬢なら普通科で気楽に花嫁修業だけにいそしんでいればいいものなのに、マルゲリットは医学を学んで将来仕事に就きたいと言っていた。


 文官を目指して日々勉学に励む彼女の姉ローズ様の影響もあったのだろうが、マルゲリットはもうその頃から将来のことを見据えていたのだった。


 俺のマルゲリットは年々花がほころぶように美しく成長していった。母親フロレンス様に良く似た、見た目はいかにもお淑やかな令嬢マルゲリットが貴族学院の男子学生の目に留まらないはずがなかった。しかし、彼女は言い寄ってくる貴族の令息たちには目もくれず、日々鍛錬と勉学に励んでいた。


 男子学生達はマルゲリットをデートに誘い出そうと懸命だったが、その度に彼女は父親と出掛ける予定があるだとか兄が勉強を見てくれるだとか理由をつけて断っていた。彼女は極度のファザコンでブラコンだということは有名だったから周りも納得して諦めていたようだった。


 年頃になったマルゲリットがその辺の貴族に恋に落ちてくれれば俺も諦めがつくと自嘲気味だったのだがそんなことはなく、彼女はいつも俺に極上の笑顔を向けるのだった。


 その頃の俺は里に帰る度に滝に打たれに行き、邪念を追い払おうと無駄な努力をしていた。




 そんなある日、マルゲリットと俺の関係に大きな変化が訪れた。両親の留守中に俺は酷い風邪を引いて寝込んでしまい、マルゲリットが寝ずに看病をしてくれたのである。


 熱にうなされながらも俺は確かに彼女が俺に何度も口付けていたのを感じ、彼女の囁きを聞いていた。


「貴方のことを愛しています、サスケさま……」


 俺の枕元に夜通し居て、転寝うたたねをしていた愛しいマルゲリットの髪を無意識のうちに撫でていたような気もした。


 幸い俺の熱は一晩で引き、俺は翌朝には体を起こせるようになった。その朝にマルゲリットを迎えに来たソンルグレ侯爵は彼女を俺の部屋から先に退室させた。


 結婚前の愛娘が、寝込んでいて何も出来ないとは言え男と一晩過ごしたのである。まさか侯爵がそこまで許すとは思っていなかった。


「ソンルグレ侯爵、大変お世話になりました。マルゲリットお嬢様にも……情けない姿をお見せしてしまいました」


「元気になって良かったよ。僕の方こそすまなかったね。君は僕に姿を見られるわけにはいかないのに、こんな形で君に会うことになるとは」


 問題はそこではないのだ。


「あの、ソンルグレ侯爵……貴方が私に……」


 マルゲリットの前から永遠に消えろと命じてくれと言うつもりだった。いっそ侯爵直々に会うことを禁じられたら、それがお互いのためではないかと思わずにはいられなかった。


 このままではいつかきっと俺達は気持ちが高ぶり勢いで間違いを起こすだろうと分かっていた。自分でもいつまでこの身を律することが出来るか自信がなかったのである。


 物理的に引き離されたら、最初は辛いだろうが、苦しみは時が癒してくれる。彼女だってそのうち家柄に見合う貴族に嫁ぐ気になるに違いない。


 侯爵は俺が何を言い出すか察したのかどうか、俺の言葉をさえぎった。


「君が元気ないとマルゴ姫まで心労で寝込みかねないからね。これからもずっと彼女のこと、よろしく頼むよ」


 侯爵は俺達の仲をとがめることも会うことを禁ずることもなかった。しかもこんな俺にマルゲリットのことを頼んだのである。


「侯爵……あ、ありがとうございます」


 戸惑ってしまった俺は侯爵に深く頭を下げて礼を言うので精一杯だった。




 風邪が回復した俺は愛しいマルゲリットに一生仕えるという決心を両親に告げた。彼らは大いに呆れたが、賛成も反対もせず、俺の選んだ道を進めと言ってくれた。


「お前が一生お嬢様の下僕として生きることに納得しているのなら……もう何も言うことはない」


 俺はマルゲリットが将来どこかの貴族に嫁ごうが、彼女に自分の名前を呼んでもらえて側に居られるならそれで良かったのだ。俺の方がもう彼女の笑顔なしでは生きられそうになかった。




 そして俺はマルゲリットに本名を名乗り、一生仕えると誓った。


 彼女に初めてダンと呼ばれた時、俺は喜びに打ち震えた。彼女が将来他の男のものになるとしても構わなかった。どうせ彼女を自分の腕の中に閉じ込めておけないのは分かっていたのだ。


「ダン、貴方もいずれ里の女性をめとるのでしょうけれど……私、貴方の将来の奥さまには会いたくないわ。か、勝手言ってごめんなさいね。私に一生捧げるって言っても、私は夫婦で仕えてもらうほど波乱の人生は送らないでしょう。ダン、要するに何が言いたいかと言うとね……貴方も結婚したら自分の家族を一番に考えて大事にして欲しいの」


 マルゲリットは次に会った時にそう言った。彼女の気持ちが俺だけに向いているのは感じていたが、こればかりは俺達本人はどうしようもなかった。俺はマルゲリットの青緑色の目をしっかりと見つめて真剣な顔で答えた。


「マルゴ様、私は生涯誰もめとりませんよ」


 俺は中途半端な気持ちでマルゲリットに名前を告げたのではない。女性の主人に仕える誓いをした俺が他の女性と結婚したって不幸になる人間を増やすだけである。


「そうなの……私もね、誰にも嫁がないって決めているのよ。両親にもそれははっきりと告げてあるわ……」


 俺たちはしばらくの間、無言で見つめ合っていた。


 マルゲリットが侯爵夫妻に生涯結婚するつもりはないと言っていることは俺も耳にしていた。けれどそれは彼女の一時の気まぐれだとしか考えていなかった。




(三)に続く




***ひとこと***

非常に悩めるお年頃のダンジュ君でした。

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