番外ノ巻 花は折りたし梢は高し(一)

― 王国歴 1037年-1044年


― サンレオナール王都




 間者の里の民である俺には美しい妻がいる。彼女は俺の人生の全てだ。名前をマルゲリット・ソンルグレと言う。正にマルゲリットひなぎくと呼ぶに相応しい、可愛らしくそれでいてどんな所でも花を咲かせる強さを持っている彼女である。




 マルゲリットとの出会いは俺が六歳の時だった。その歳から生まれ育った里を時々出て、父ドウジュの居る王都に修行の一環で滞在するようになったのである。父が仕えているソンルグレ侯爵の屋敷に同行させてもらった。


 まだ幼い子供だった俺に父は、屋敷の人間に見つからないように敷地に忍び込み、屋根の上まで登って降りてくるという課題をよく与えられていた。


 当時三歳のマルゲリットは侯爵の末娘で、無邪気で可愛らしい女の子だった。その彼女に俺は初めて忍び込んだ日にあっという間に見つかってしまったのである。


「まどのそとにいるのはだあれ?」


 彼女は窓際に駆け寄り不思議そうに外を覗くので、俺は慌てて隠れたのだった。今まで街中だろうが他人の屋敷だろうが、僅か六歳だったが俺は誰にも気配を察知されることはなかったというのにである。




 その日は帰宅した父に叱られることを覚悟していた。悔しかったが、隠していても俺のヘマはすぐにバレることが分かっていたので正直に父に報告した。父は面白そうに頷いていただけだった。


「そうか、お前は初日でマルゲリットお嬢様に発見されてしまったか」


「もうしわけありませんでした、父上」


「彼女には俺もクレハも気配をさとられることが度々あるからな、彼女以外の人に見られなければお前も上出来だ」


 俺は目をパチクリさせた。


「父上も母上も見つかったのですか?」


「ああ、彼女が言葉を言えるようになる前からだ」


「えっ、そんなに早くから?」


 それ以来、俺はマルゲリットに興味を持ったのだが、あまり彼女に近付くとすぐに発見されてしまうので要注意だった。


「まって、どろぼうさん? ではないわよね?」


 後ろ姿は何度も見られていたに違いない。マルゲリットの方も俺に興味を持っているのは分かっていた。時々庭や窓際で明らかに俺が来るのを待っているのである。しかし、俺の方から彼女に話しかけるわけにはいかなかった。


 里の人間は大多数が皆黒髪で目の色も黒から濃い茶色、肌の色も小麦色である。俺達はペルティエ領の山奥に住んでいるが、ペルティエの民との血が少し混ざっている者もおり、彼らは少々明るめの色の髪や目を持っている。


 しかし俺はペルティエ領でも王都でも、マルゲリットほどに色素の薄い人間を見たのは初めてだった。妹が好きなおとぎ話に出てくるお姫様という印象だった。


 なんにしても、王都の貴族など俺達里の人間からしてみれば仕える対象で、別世界の人間だった。




 マルゲリットの兄ナタニエル様が難しい年頃に差し掛かると、両親は彼を見張ることに駆り出されていた。その頃には俺の妹も上京して来ていた。彼女の気配ももちろんマルゲリットは直ぐに感知していたのである。


 さて、ナタニエル様が何度目かの家出を試みた日のことである。母がソンルグレ侯爵に家出少年ナタニエル様の行方を報告中、マルゲリットに盗み聞きをされ両親の名前が彼女に知られてしまった。


 その夜両親はソンルグレ侯爵に、彼らのことをマルゲリットに明かしてもいいと言ったらしい。もう隠しておけないからだそうだ。無駄に他の人間に知られるよりは、侯爵から伝えてもらって秘密を守っていただくのが一番だと父は考えたのだった。




 それからも俺はソンルグレの敷地に忍び込む度にマルゲリットに見つかっていた。いくら俺が気配を消して細心の注意を払っても時々は目が合うようにまでなってしまっていた。


 マルゲリットが俺達と友達になりたいと思っているのは分かっていた。そんな彼女はなんとその頃から間者の真似事を始めるようになったのだった。


 学院から帰って宿題を済ませると動きやすい服に着替え、毎日のように庭を走りまわり、木という木に登るようになった。マルゲリットに見つからないように忍び込むのが益々困難になっていた。




 そんなある日、俺は遂にマルゲリットに見つかり話しかけられた上に屋敷の外まで追いかけられたのだった。俺が油断をしていたわけではない。自主的に鍛錬していた彼女は更に素早く気配を消して行動出来るようになっていたのである。


「ねえ、待って! 私を貴方の弟子にして下さい!」


「いえ、そんなの無理ですから!」


 俺は慌てて屋敷の塀を登って逃げた。マルゲリットはなんと屋敷の外までついてきた。


 彼女をくのは簡単だったが、年端もいかない侯爵令嬢を街中に放っておけなかった。そして路地で彼女が荷馬車にかれそうになったところを助けて自分が怪我を負ってしまう。


 もう少し俺が気を付けていればこんな事故も起こらなかったというのに、今から後悔しても遅すぎた。マルゲリットには幸い大きい怪我はなかったが、俺を追いかける時に塀を無理して降りた時のかすり傷があった。


 俺自身は彼女をかばって転んだ時に肩を打ったようだった。自分の怪我を押してマルゲリットだけでも無事に屋敷に送り届けないとという気持ちだった。彼女は俺のことを大層気にしているようで、今にも泣きそうだった。


「ご、ごめんなさい! 助けてくれてありがとう!」


 マルゲリットに背を向けてゆっくりと走り出した俺だったが、振り返らなくても彼女が涙を流しているのが分かった。どんな形であれ、マルゲリットを泣かせるつもりはなかったのだ。俺は心が痛んだ。


 俺の怪我はただの脱臼だった。両親には大目玉を喰らうとばかり思っていた俺だが、事情を説明すると何も言わずに手当をしてくれた。




 それから数日後、夜帰宅した父にマルゲリットの文について告げられた。


「お嬢様はお前に宛てて書いた文をバルコニーに置かれた。怪我をされてからというもの塞ぎ込みがちで見ていられない、全く」


「父上?」


「何をしている、さっさと行け!」


 主人の娘に怪我を負わせた俺はソンルグレの屋敷にもう出入り禁止かと思っていた。


「はい、ありがとうございます、父上」


 真夜中に俺はマルゲリットの書いた文を月明かりの元で読み、簡単な返事にひなぎくの花を添えた。




 マルゲリットはその文と花を一生の宝物だと言って後生大事にしているのだった。彼女は俺からの価値も何もない贈り物を全て保管しているのである。マルゲリットのそんなところが俺は愛しくてしょうがない。




(二)に続く




***ひとこと***

お待たせしました。今度はダンジュが胸の内を見せます。

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