番外ノ巻 可愛い子には旅をさせよ(三)


― 王国歴 1050年-1052年


― サンレオナール王都




 僕達夫婦は末娘マルゲリットの将来について何度も話し合っていました。フロレンスの方がどちらかと言うと放任主義なところがありました。


「アントワーヌ、私たちは何も言わず見守るしかありませんわよ」


「そんなこと言ったってフロレンス、マルゴ姫はまだ十五だよ。別に守護戦士殿との身分差をどうこう言っているわけじゃなくて、将来のことを決めるにはただ早過ぎると思わない?」


「アントワーヌ、私と結婚すると決めた時貴方は何歳だったかしら?」


「……十三歳」


「でしょう?」


「僕と貴女の場合は事情が全然違うよ、フロレンス!」


「マルゴの人生は彼女自身のものですわ。貴方はマルゴが私たちの下から飛び立っていくのが寂しいのでしょう?」


「……」


 結局僕達はマルゲリットの十六の誕生日に、彼女の為に貯えておいた花嫁支度金を自由に使ってもいいことを告げました。僕にとっては苦渋の決断でした。




 そしてその年の夏休み、マルゲリットは何とペルティエ領に住むリゼの祖父母のところへ家事見習い夏合宿と称してずっと滞在することになりました。


 その上、彼女はペルティエの領地で僕の両親から土地を買って家を建てる計画を着々と進め始めたのです。ペルティエ領なら間者の里も領内の山奥に位置しているし、全く知らない土地よりもずっと安心でした。


 それから貴族学院を卒業するまでの二年間、マルゲリットは休みの度にペルティエ領のリゼ家にお邪魔して家事見習いをし、新居の建築を見守っていました。


 王都に居る時には普通医師の試験に合格するために学問に励んでおり、ナタニエルなどはガリ勉ローズの再来だとからかっていました。彼女の努力は実り、卒業前に試験に見事受かりました。




 マルゲリットの卒業式の夜はローズ達も一緒に家族でお祝いをしました。その後、僕達に意外な客があったのです。その人物は寝室のバルコニーに居て、窓を軽く叩きました。


「ソンルグレ侯爵夫妻、夜遅くに突然失礼致します」


 フロレンスは彼と初体面でした。


「貴方は……もしかして……」


「うんフロレンス、マルゴ姫の守護戦士殿だよ」


「まあ、どうぞお入りください」


 彼は僕達の前でいきなり額が床につかんばかりの勢いで土下座して口を開きました。


「ドウジュとクレハの長男、ダンジュと申します。この私がマルゲリット・ソンルグレ様に一生仕えることをお許しください。ご挨拶が遅くなって申し訳ございません」


 彼が自ら僕達の前に姿を現したことにも驚きましたが、その彼が名を名乗ったことにはもっと驚きました。僕とフロレンスは顔を見合わせ、しばらく何も言葉を発せられませんでした。


「とにかく、こちらに来て座りなさい」


「いえ、そんなとんでもありません」


「僕の足元に這いつくばっている人間の話は聞かないよ」


「……はい、分かりました」


 彼は素直に僕達の向かいに座りました。


「ダンジュ、君の人生もマルゲリットの人生も僕達には操ることはできないから、許すも何もないよ」


 僕は隣のフロレンスの手を握って彼女にも目で尋ねました。


「ええ、そうよ」


「勿体ないお言葉です」


「マルゴ姫は侯爵令嬢らしからぬ努力を重ねたからね。里の民である君と一生を共にするために。親の僕達でさえ彼女がそこまで本気だとは思ってもいなかったよ」


「私たちはマルゴがいつも笑顔でいられるのならいいのですよ。だから彼女の思うようにしてあげてね、ダンジュさん」


「君が僕達の前に姿を現して名乗ってくれただけで十分誠意を受け取ったよ。本当は里の掟に反するというのにね」


「実は私は里から半分追放されたようなものなのです。彼らの望む道を進むことを断ったものですから。両親にも大いに呆れられました。ですのでもう掟には従う必要もありません」


「まあ、マルゴのためにそこまで?」


「ええ、それもありますが、里の人間も薄々分かってはいるのです。時代は変わりつつあります。もう間者の生業だけでは里の民全員を養っていけないし、私たちの間だけでは優秀な子孫も残せないということを。里の掟で民を縛り付けていたら数十年後には里は滅びることでしょう」


「それでもマルゴのことばかり考えて君が犠牲になるのはいけないよ。君自身も幸せにならないとだめだからね。それから彼女をあまり甘やかしすぎないこと」


「まあアントワーヌったら。でもそれもそうだわね……娘をよろしくお願いします、ダンジュさん。とにかく、二人で幸せになってね」


「重ね重ね勿体ないお言葉です。私は犠牲だなんて思ったことはありませんし、これからもありません。マルゲリットお嬢様のお側に居られることは私の最大の幸せです」


 フロレンスは涙ぐんでいました。


「アントワーヌ、マルゴも自分の道を自ら切り開いていくのね」


「うん。彼女も真実の愛を手に入れると僕には分かっていたよ」


「ありがとうございます」


「それにしてもアントワーヌ、ローズに求婚に来たマキシムさんにはやたら厳しく釘を差していたのに、ダンジュさんには大層甘いわ」


「日頃の行いの違いだよ」


 そこで僕達三人は揃って苦笑してしまいました。


「ダンジュさん、マルゴは貴方が私たちに会いに来ていることを知っているの?」


「いいえ。私の気配はさとられていないと思います。先程から入浴されていますから」


「あらまあ、間者の貴方にマルゴは隠し事なんてできないわね」


 そこでまた僕達は笑いましたが、再びダンジュは真面目な顔になりました。


「あの、侯爵夫妻、私は貴族でも平民でもなく、里の民なのでマルゲリット様とは婚姻という形は取らないでしょう。それですと彼女はマルゲリット・ソンルグレ侯爵令嬢のままですから、いつでも貴族として人生をやり直すことができます」


「それについては二人で決めなさい。僕個人の意見としてはね、マルゴ姫が式を挙げたとしたらそれこそ僕はみっともないくらい号泣するだろうから……挙げなくてもいいよ」


「もうアントワーヌったら」




 そして僕達の可愛いマルゴ姫は愛する男性と一緒になるために一人で羽ばたいて行ってしまったのでした。世間体や貴族の体面、それに間者の里の掟という壁もしなやかに越えてしまいました。




 その後、長男ナタニエルも結婚し、僕達夫婦は二人きりになりました。そんなある日、ドウジュ夫婦と四人でお茶を飲みながら思い出話にしきりに花を咲かせていました。


「ドウジュ、僕達の子供がこうして将来結ばれるだなんて……昔はまず思ってもみなかったよね。人生何が起こるか分からないものだよね」


「そうですね。里の長も若がこの王国を動かしてしまう程の地位を築くと予言しておりましたが……お嬢様のことまでは見据えておりませんでしたね」


「僕達、共通の孫が出来るかもね、ドウジュじいちゃん」


「そうですね、若じいさん」


 僕達がそう呼び合うものだから女性二人はいつまでも笑いが止まらないようでした。




― 可愛い子には旅をさせよ 完 ―




***ひとこと***

やはりフロレンスにまで指摘されています。アントワーヌ君、マキシムのことは散々脅しておりましたが……とにかくダンジュの誠意はすんなりと認められたようでした。

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