巻ノ二十二 狭き門より入れ


 デュケット医師は私の言葉に外を覗き、そこに居る患者さんたちに目をやっていました。


「先生、お早うございます」


「お早う、順番に入ってくれ」


 子供連れのお母さんが最初に入っていきます。


「あの、良かったら先生の診察中、赤ちゃんと真ん中のお子さんを見ていましょうか?」


「お嬢さん良いのですか? そりゃ私は助かるけど……」


「私病気も怪我もしていませんから、ご安心下さい。今朝はデュケット先生にお話があって来ただけなのです」


「じゃあお願いしようかしら……でも……」


「ラヴォワの奥さん、俺達も一緒だからさ、心配いらねぇよ」


 赤の他人の私に子供を預けることをためらっていたラヴォワさんも、知り合いの他の患者さんにそう言われて私に子守りを任せる気になったようでした。


 お母さんの腕から受け取った赤ちゃんはもうすぐ一歳を迎える甥のオリヴィエよりずっと小さいものの、首もしっかりすわっていました。真ん中の女の子は三歳くらいでしょうか、お兄さんが病気なので不安なのでしょう。




 その日の午前中は赤ちゃんと子供の世話に、他の患者さんとのお喋りで過ぎてしまいました。


 診療所にはひっきりなしに患者さんが訪れていました。


 私はその人たちの話を聞きながら、彼らの具合などによって診療の順番をそれとなく提案したりしていました。


 デュケット先生はとても忙しそうで私の話を聞く時間などまず取ってもらえそうにありませんでした。


 お昼近くになって、少し患者さんの足が途切れました。私は一人、大木の下に座ってどうしようか考えていました。


「先生も休憩してお昼もとりたいことでしょうね……またお邪魔をしたら益々私の印象が悪くなるかしら……」


 私は少し弱気になっていました。一旦帰宅してお昼を食べて出直そうかとも考えていました。


「仕事なんて簡単に見つかるものではないと分かっていたけれど……お腹も空いたわ……ダンに笑われるわね、こんな私」


 しばらく涼しい木陰でぼーっと考え事をしていました。その時、午前中の診察を終えたのか、デュケット先生が扉を少し開けて外の様子を見ていました。


 外にまだ患者さんが待っていないかどうか確かめているのかと思いましたが、彼は私の方へズカズカと歩いてきます。


「おい、そこのアンタ、一体何なんだ? 早朝からうちの前に陣取って、子守りや患者の診察順の調整までやって」


 驚きました。先生は私が何をしていたか見ていたのでしょうか。私はすぐさま立ち上がって挨拶をします。


「あの、私マルゲリット・ソンルグレと申します。こちらの診療所で雇っていただけないかと思って参りました。ペルティエの大旦那さまから紹介状も書いて頂いています」


 私は祖父との関係を一応伏せておきました。ペルティエの祖父が紹介状に何を書いたかは知りませんが、この方が無難だと思ったのです。


「はぁ? 仕事? そんないかにも深窓のお嬢様のアンタに何が出来るってんだ?」


 デュケット医師はそれでも私の取り出した紹介状に目を通してくれました。


「私、こう見えてもやる気も体力も溢れているのです、どうかこちらで仕事をさせて下さい」


「助手はもう雇わないって決めてる」


「そ、それでも今朝だけで患者さんを十何人も診ていらっしゃいました。先生はお一人でとてもお忙しそうです」


「そういう助手だとか看護師だとか面倒なのは嫌なんだよ。しかしなぁ、大旦那様の紹介状なんか持ってこられたら無下にも出来ねぇし……ちくしょう……」


 先生は私のことを本当に面倒くさそうに頭の上からつま先までジロジロと見ています。


「私、一生懸命頑張りますから! 明日からでも今日の午後からでも始められます!」


「……そういう体育会系なノリにはもうついて行けねぇんだよ、俺は。分かったよ、二週間だ。二週間の見習い試用期間を設ける。期間中に使い物にならないと分かったら即解雇だ」


「あ、ありがとうございます、デュケット先生!」


 私は彼に深々と頭を下げました。既に診療所に戻ろうとしている先生の後ろについて行きます。


「おい、誰が今日からっつった? 昼飯も持ってきてねぇのに午後の労働が出来んのか? 明日の朝出直して来い!」


「はいっ、分かりました。では明日の朝同じくらいの時刻でよろしいですか?」


「ああ、じゃあな」


 そこで診療所の扉は私の前で閉められてしまいました。私はとりあえずデュケット先生に仮採用でしたが雇ってもらえたようです。




 先生の診療所には色々な患者さんがやって来ます。怪我をした子供、食あたりを起こした老人、それに人だけでなく動物も先生は診るのです。


 移動できない患者さんの所へは往診もします。


 私は毎日先生の診察に必要な物品の準備に掃除、医療器具の消毒、シーツや手拭いの洗濯等、目の回りそうな忙しさでした。


 私が居なかったときは先生はどうしていたのでしょうか。最初の数日は何がどこにあるかも分からずオロオロしていた私に忙しい先生は益々イライラが募っていたようにも見えました。


「おい、アレ持ってこい、違うコレじゃねぇよ! バカヤロー!」


 それでも数日で段々と仕事のリズムも分かってきて、先生の必要なものもアレやコレと言われただけですぐに出せるようになりました。


 患者さんたちにも顔を覚えられて、先生だけでなく私まで感謝されると何だか心が温まりました。


 それでも毎日仕事が終わるとくたくたでした。私は一人で誰も居ない家に帰宅します。


 先日来てくれたダンは何日か間者の里に戻ると言っていました。


「ダンはまた来てくれるのかしら……先日この家を見せた時には喜んでくれていたと思ったのに……一目だけでもいいから会いたいわ……」


 私はこのままずっと一人なのだろうかという不安に襲われていました。以前は大きな屋敷に帰ったら温かい食事がすぐに出され、部屋は暖かく、寝台はきちんと整えられていて……昔はそれが当たり前だと思っていました。


 今の私にはそのどれもありません。しかも収入さえもないのです。


 ペルティエの街で食糧を買うにも、食事をするにもお金が必要です。私の花嫁支度金はこの家の為にほとんど使ってしまいました。


 父にはそのお金を好きに使っていいと言われましたが、同時に忠告も受けていました。


『人生何が起こるか分からないからね、大病、事故、火事……もの入りになることが度々ある。だから君のお金は出来るだけ蓄えておきなさい』


 ですから、いざという時のために貯金は崩したくありませんでした。幸いにも私は健康で住む家もあります。


 もう疲れきっていて料理をする気力もない私はそのまま寝台に倒れ込みました。ダンに会いたくてしょうがなくて、枕を濡らしてしまいました。


「ダン……」




***ひとこと***

仮採用ですが、とりあえず就職できました! デュケット医師も悪い人ではないようです。

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