巻ノ二十 恋に上下の隔てなし


 今日は貴族学院の卒業式でした。私にとって大きな区切りの日になります。普通医師の試験に合格して卒業ということで、とても感慨深いです。


 式が終わると卒業生たちは学院の大講堂前で歓談したり、別れを惜しんでいたりしていました。


 私も級友たちと一緒に講堂から出たところに母に出迎えられました。仕事の合間に駆けつけてくれたのです。迎えの馬車と卒業生や家族などでごった返している学院正門の所で私は最後に校舎を振り返りました。


 今日でこの校舎ともお別れです。それと同時に私が貴族令嬢として過ごす日々も残りあと僅かになっています。私の隣の母も懐かしそうな顔をして校舎を眺めていました。


「私にとって貴族学院卒業は、淡い恋への決別だったわ……あれから色々なことがあってそして今日、私たちの末っ子が羽ばたいて行くのね」


 私と母は万感の思いで帰宅しました。




 その夜は姉の一家と兄の婚約者エマニュエルさんも一緒に、家族皆が私の卒業を祝ってくれました。兄は貴族学院時代の知り合いであるエマニュエルさんに昨年再会し、それからすぐに二人は婚約したのです。


 そして二人の式では付添人を務めて欲しいと頼まれていました。


「お二人の結婚を祝いたい気持ちは変わりませんけれど……私は学院を卒業したらペルティエの街でささやかな暮らしをしていくつもりなのです。もう貴族社会とは離れる覚悟をしています。ですから辞退させて下さい」


 最初はそう言って断った私ですが、兄は譲りませんでした。


「僕の付添人はパスカルで決まりなのだから、エマ側はマルゴ以外に考えられないじゃないか。ドレスの心配をしているのだったら費用は僕が出すから。大体マルゴ達には随分お世話になったし」


 パスカルさんとはエマニュエルさんの弟です。兄夫婦は彼らの恋を叶えるために力を貸したパスカルさんと私にどうしても付添人を務めて欲しいそうなのです。結局私は引き受けることにしました。




 姉とマキシムさんの赤ちゃんオリヴィエはもうすぐ一歳を迎えます。今やハイハイの名人で、愛らしい笑顔を振りまきながら元気にあちこち動き回っています。彼を追いかける大人はそれはもう大変です。


 家族皆で夕食をとり歓談し、とても楽しい時間が過ごせました。


 それでも姉たちが帰る前には皆がしんみりしてしまいました。私がペルティエ領に移ってしまうと、愛する家族と一緒にこうして賑やかに過ごせる機会はそう頻繁になくなってしまうからです。


「卒業したからってすぐに越さなくてもいいじゃない、マルゴ。夏の間くらいはゆっくりしたらどうなの?」


 姉の言葉に少し心が揺らいだのは本当です。


「それはそうなのですけれども……」


「マルゴがこんなにかたくななところは誰に似たのだろうねぇ。それに医師試験の前なんかは部屋にこもって勉強ばかりでね、ガリ勉ローズの再来かと思ったよ」


「お兄さまったら、また!」


「それでも僕達の結婚式には戻ってくるよね、マルゴ」


「もちろん何を置いてでも駆けつけますわ、お兄さま」




 流石に疲れて寝入ってしまったオリヴィエはマキシムさんに抱っこされていました。すくすくと育っている可愛い甥にもなかなか会えなくなってしまいます。


「オリヴィエ、貴方に次に会う時にはまたぐんと大きくなっていることでしょうね……」


 彼の柔らかい髪を撫でながら囁きました。




 姉たちが帰宅した後、私は自室に引きとり寝る準備をし、バルコニーに出ました。夜空に向かって、というよりそこに居るかどうかも分からない人に声を掛けます。


「ダン、私今日は卒業式だったのよ。感無量だったわ……」


 そうすると音もなく私の前に彼が現れました。


「ご卒業おめでとうございます、マルゴお嬢様」


「ありがとう、ダン。晴れて医師の試験にも受かって卒業できて良かったわ。貴方の下さったあの白鳥のお守りのお陰ね」


「お嬢様の努力の賜物ですよ」


 彼は何か手に持っていました。私の視線に気付いたダンはその茶色の紙袋をそっと開けます。


「ささやかなものですが、私からの御卒業祝いです」


 小さな植木鉢でした。植物の苗が植えられています。


「これは花の苗かしら?」


「はい、マルゲリット《ひなぎく》です」


 確かに今はもうひなぎくの季節は過ぎてしまっています。それに花束はどんなに立派なものでもすぐに枯れてしまいます。


「まあ嬉しい! 鉢植えなら毎年花が楽しめるわね! ありがとう、ダン」


「そこまで喜んで頂けるとは思っていませんでした」


「私、大切に育てるわ!」


 ダンからの贈り物なら何でも嬉しいのです。


 私はあまりの歓びに感極まってその鉢を彼の手から受け取ると、そのまま背伸びをして彼の唇に軽く口付けてしまいました。自分で自分の大胆さに驚きました。


「お、お嬢様!?」


 暗がりでもダンが照れているのが分かります。こうなったらもっと勇気を振り絞ってやるわ、という気になりました。


「えっと、その、もう少しキスを続けてもいい? お願いよ、ダン」


 欲張ってもう一つの卒業祝いをおねだりしてみました。あんな触れるだけのキスではなく、大人の口付けがしたかったのです。


 照れ隠しでしょうか、ダンは顔を少し横に逸らしています。間者の彼は私とキスするのが嫌だったらそれこそ簡単にけられたはずです。


 稽古で私が繰り出す剣の筋も彼には完全に読まれていて、かわされるのですから。


「あ、貴女のお望みのままに……」


 私は手にしていたひなぎくの鉢をバルコニーの小さな卓の上に置きました。今度はダンが少し屈んでくれ、私は背伸びをする必要はありませんでした。


 私がキスをしながら彼の腰に腕を回すと、彼はそれに応えるように私の背中に手を添えてくれました。


 そして私は唇を離し、ダンの逞しい胸に頭を預けました。心なしか、彼の手に力がこもったような気がしました。


「あのね、ダン。実は……貴方とのキスは今日が初めてではないの。病気で寝込んでいた貴方に……」


 恥ずかしくてそのまま頭を上げずに言いました。


「何となく気付いていましたよ」


「えっ!? 嫌だわ、ダンったら!」


「熱でうなされていて、抵抗も出来ない私にお嬢様は色々と……悪い子ですね」


「もう!」


 私はダンから体を少し離し、彼の胸をドンドンと叩きました。その時の彼の私をとがめるような悪戯っぽい笑みは私の大好きな彼の表情の一つなのです。




***ひとこと***

血は争えませんねー。「蕾」ではマルゲリットの母親フロレンスも昔アントワーヌ君の寝込みを襲ってキスしたり色々と……そしてアントワーヌ君もそれに気づいていながら寝たふりをしていました!


さて、今話でさらっーと重大報告をいたしましたが、ナタニエルお兄ちゃんも幸せを掴んだようです!

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