巻ノ十九 為せば成る、為さねば成らぬ何事も

― 王国歴 1052年 春-夏


― サンレオナール王都




 私は学院卒業前に普通医師試験を受ける予定です。医師の資格、将来設計、ダンへの愛……私には考えないといけないことはたくさんありました。最近は重圧に押し潰されそうで、特に試験の一か月くらい前から私は塞ぎ込みがちでした。


 両親は試験に受かることだけが全てではない、と言いますが私はなるべく早く自立したかったのです。自分の足で立って、ダンとの将来を確固たるものにしなければいけません。


「マルゴ姫、あまり思いつめすぎるのも良くないよ」


「そうよ、マルゴは十分努力しているわ。自信を持っていいのよ」


「でも、お父さま、お母さま、私何としてでも今回合格したいのです」


「マルゴ姫、大丈夫だよ。心配しなくても。それにまだまだ君は若いのだから生き急ぐ必要は全然ないのだし」


「アントワーヌはマルゴまで私たちの元からもうすぐ飛び立ってしまうから寂しいのよね」


「でもお父さま、私はともかく、お姉さまは結婚されてもすぐ近くにおいでなのですから……」


 私もずっとこの優しい両親の元に居たいのは山々でした。けれど、やっぱり私はダンと一緒でなければ駄目なのです。


「マルゴ姫は僕とフロレンスの娘だからね、努力した分きっと求めているものは手に入れられる筈だよ」


「お父さま……」


「それでもね、一人で何もかも背負わなくても大丈夫よ」


 両親の言葉は少し私の気を軽くしてくれました。




 王宮医師の試験は私の成績ではとてもではありませんが、無理です。


 テオドール叔父さまは学院時代、貧しい実家を助けるために早く王宮医師になりたかったとおっしゃっていました。ですから寝る間も惜しんで勉強に励んでいたそうです。


 テオドール叔父さまを始め、王宮医師の優秀さを改めて思い知りました。


 私は王宮や貴族の間で働きたいわけではなかったので、普通医師試験で十分です。先生方からは私の成績ならなんとか合格圏に入っていると言われていました。落ち着いて試験に臨めばいいと、周りからは励まされます。


 私も十六になってからはドウジュさんの稽古も終わり、もっと勉強に専念できるようになっていました。


 それでも時々はダンに頼んで剣の稽古などをつけてもらっていました。勉強の合間の息抜きや気分転換になりました。何と言ってもダンと一緒にいられるのです。


 私は毎日でも彼に会いたいのです。


 私に一生涯の忠誠を誓ったダンは私が呼べばいつでも来てくれるというのは本当でした。けれど私はこの立場を利用してダンを振り回したくなかったし、彼に呆れられて嫌われるのが怖かったのです。


 医師試験の二週間前にはダンとの稽古も休ませてもらおうかと思いました。試験勉強のためです。けれど、彼に二週間も会えないと私は落ち着かないし、寂しいので結局試験前も変わらずダンと鍛錬に励んでいました。私は剣を振っても何をしても集中出来ず、ダンには叱られる始末です。


「お嬢様、貴女の事情も私には十分理解できます。ですが、間者として厳しく言わせて頂きますと、ちょっとした緊張の緩みが命取りになることがあるのですよ。今日の稽古はもう終わりにしましょう」


「ダン、ごめんなさい。試験前はもう稽古をお願いするべきではなかったわ。貴方の時間を取らせてしまったわね……」


 私はもう少しだけ彼と一緒に居たかったのです。


「そこに座りましょうか? 小川で水を汲んできます」


「はい……」


 ダンが汲んできてくれた水を飲みながら私は自己嫌悪に陥っていました。


「私の時間は貴女の時間です。ですから稽古をつけるためだけでなくいつでも呼んで下さっていいのですよ、お嬢様」


 けれど私はダンの顔が見たいだけ、愚痴を聞いてもらいたいだけでは彼を呼べません。


「ありがとう、ダン。私、明後日の試験頑張るから」


「お嬢様なら大丈夫ですよ。ここ二年の貴女は今までの数倍勉強されていましたから。それこそ貴女のお姉様も顔負けなくらいに」


「まあ、それはないわね。お姉様より机にかじりついてはいなかったわよ、私」


 ダンの言葉に私のイライラも少しは収まりました。それからしばらく二人無言で森の中に座っていました。けれどいつまでもこうしているわけにもいきません。


「私、そろそろ帰ります」


「あの、お嬢様、これは粗末なものですがお守りに良かったらどうぞ」


 木彫り細工の鳥でした。紐がついていて首に掛けられるようになっています。


「これはさぎかしら?」


「えっと……白鳥のつもりなのですが……私はこの手の細工は不器用で苦手なので。お嬢様は里の人間ではないので守護獣はいませんが、何となく私は貴女なら白鳥がいいかと思いました」


「間違ってごめんなさい。とても嬉しいわ、ダン。ありがとう。大事にします」


 ダンが私のためにわざわざ作ってくれたその白鳥を見て、私の心は完全に落ち着きました。


 白鳥の首飾りは試験の日にもちろん持って行きました。




 普段その首飾りは私の部屋に大事に保管しています。細くなっている白鳥の首が折れていつ落ちるやもしれないのです。その後何年も経った時、ダンに私の宝物の引き出しの中身を見られてしまいました。彼から贈られた小物は全てその引き出しにしまっているのです。


「どれも貴方が下さった貴重な贈り物ですもの。この白鳥さんは首が折れるといけないから、いつもこの引き出しに入れておくのよ」


 私が彼からの文や拙い木彫り細工を大切にしていることに対して、ダンは半分呆れながらも嬉しそうでした。






 試験当日の朝、家族皆が笑顔で私を見送ってくれました。


「マルゴ姫なら自分の力が出し切れるに決まっているよ」


「そうですよ、気持ちを落ち着けて臨めば大丈夫よ」


「はい……お父さま、お母さま、愛しています。今日はきっと笑顔で試験を終えて帰ってきますから」


「最近のマルゴのガリ勉度はあのローズでさえもびっくりだと思うよ」


「もう、お兄さまったら!」




 私は出来ることは全てしました。後は試験の結果を待つだけです。合格して、普通医師の資格を持って私はペルティエ領に越すのです。


 結果発表は卒業式の数日前に行われました。私の結果が便りで送られてくるのも待てず、私は厚生院へ一人で見に行きました。


 試験当日と同じくらい緊張しました。合格者の受験番号が貼られている壁の前で、私は自分の番号を見つけ安堵で一人はらはらと涙を流していました。周りの受験者やその家族の悲喜こもごもの声も耳に入っていませんでした。


「ダン、私はとりあえず一歩前に踏み出すことが出来たわ……」


 これからまだまだ私が乗り越えないといけない難関は幾多もありますが、私は確実に自分の道を進んでいます。




***ひとこと***

要所要所で気の利いた贈り物をするダンジュ君でした。なかなかロマンティックですね、彼。

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