巻ノ十八 少年老い易く学成り難し
― 王国歴 1050年秋-1051年夏
― サンレオナール王都、王国西部ペルティエ領
秋も深まったある晴天の日、姉は純白のドレスに身を包み大聖堂へ向かいました。
ドレスはマキシムさんの希望により露出は少なめで、白い生地には薔薇の織り模様があり、上半身には一面に模様と同じ細かい白の刺繍がなされています。ブーケはピンクの薔薇です。姉はため息が出るほど清楚な美しさがありました。
結婚式は厳かなうちに始まり……途中少々の騒動に見舞われたものの、姉とマキシムさんは正式に夫婦となりました。
豪華な純白の婚礼衣装には私も憧れはあります。けれど大聖堂で大勢の招待客の前で一生の愛を誓い合うという、一般的な貴族令嬢の将来を私は選ぶことはないのです。
そして結婚した夫婦は新居に移り住みました。姉が嫁いで私たちは家族は四人になり、少し寂しくなりました。
秋はあっという間に終わり、王都に長い冬が訪れようとしていたその頃、マキシムさんは再び西端の国境付近に派遣されることになりました。普通既婚者は送られないそうなのですが、今回ばかりは人手不足でどうしようもなかったようです。
まだまだ新婚なのに姉夫婦が気の毒でした。姉はマキシムさんが留守の間、少々体調を崩したようでした。それでもやはり結婚したからには夫が留守とは言えあまり実家の私たちの所にも顔を出しに来てくれません。
しばらくして遠征先でマキシムさんは負傷し、年末に王都に帰って来ました。幸いにも彼の怪我は軽傷でした。姉が体調不良だったのは妊娠したからだったのです。マキシムさんの留守中に妊娠が判明して、彼の帰りが待ちきれなかったそうでした。
姉夫婦は二人で屋敷を訪ねてきて、私たち家族にお目出たい報告をしてくれたのです。姉は幸せで輝いていました。愛する人との子供を授かり、そんな満ち足りた表情が出来る姉のことが私は羨ましくてたまりませんでした。
それに比べて私はいつも不安でいっぱいでした。
夏休みのような長期休暇の時だけでなく、私は頻繁にペルティエ領に行って着々と計画を進めていました。
学院を卒業して移り住んだら仕事も見つけなければいけません。父の両親であるペルティエの祖父母には色々と相談に乗ってもらいました。今は伯父が領地を収めていて、祖父母の彼らはもう引退しています。
将来の計画を最初に彼らに打ち明けた時は、侯爵令嬢が何を言い出すのだ、と取り合ってもらえないと思っていました。ところが祖父母は私の話を真剣に聞いてくれました。
「私、王宮医師の資格を取るには成績が及びませんけれど、普通医師の試験になら合格できる範囲内なのです。将来は王宮ではなく民間で働くのですから。薬学の科目もいくつか取っています。貴族学院を卒業したらペルティエの街で仕事を見つけたいのです」
「確かにね、王宮や大きな施設に勤めるのでなければ王宮医師の試験に受からなくても大丈夫だよ。実際どこでも、特に小さな町では医師や看護師は不足しているから」
「アントワーヌから少し話は聞いていましたけれど、よくあの親バカが貴女をこんな形で手放すことに承諾したわね」
「まあそれでも良く知ったうちの領地だからかな」
「蝶よ花よと育てた愛娘ですわよ……貴女が苦労するのを見ていられないのでしょうけれどね、本当は」
「お祖父さま、お祖母さま……」
ペルティエの祖父母には就職先の相談だけでなく他のことでもお世話になったのです。父に内緒で金銭的援助までしてくれると二人は申し出てくれました。それは丁重にお断りしました。
「お父さまはきっと私がすぐに諦めてソンルグレ家に戻ると思っているのですわ」
「ああだからなのか。アントワーヌにはあまり手出し口出しはするな、経済的援助もするな、世の中の厳しさをマルゴも学ばないといけないから、なんて釘を刺されていたのだよ」
「貴女もアントワーヌに似たのね、こうと決めたら必ずやり遂げる努力を惜しまない、そんなところ」
「私、お父さまに似ていると言われることはあまりないのです。いつも母親にそっくりだとしか……嬉しいです」
「君はフロレンスさんとアントワーヌの両方に似たんだよ」
「それにしても、マルゴはまだ十七でしょう……貴女と同じ年頃の貴族令嬢はお金の心配もすることなく、自分を磨いてお洒落をすることだけ考えていればいいというのに……」
私はそうして見も知らぬ貴族のところに嫁がされるのが嫌で、ペルティエの街に越すことを考えているのです。いつの日か、ダンと結ばれたい、その一心でした。
姉は予定通り夏の初めのある日、元気な男の子を出産しました。私は母と一緒に生まれた子を見に行きました。
「お姉さま、体調はいかがですか? お産はどうでしたか?」
「疲れたわ。それに想像を超える痛さだったのよ。でもね、生まれてきた赤ちゃんの顔を見たら全て忘れてしまったみたい。それにここだけの話ね、マキシムの方がオロオロして慌てていたのよ」
生まれたばかりの甥は小さくて無防備で、姉の腕の中ですやすやと眠っています。
「俺達の王子様はお腹が満たされてお休み中なのかな?」
そこでマキシムさんが部屋に入ってきました。彼は姉に口付けて寝台の上の彼女の隣に座ります。自分の妻と息子を交互に見ながらとても嬉しそうです。
「泣き声はそれはもうすごくて、こんなに小さいのに。きっと腕白坊主になりますよね」
親になった姉とマキシムさんはとても輝いていました。我が子を抱いて愛おしそうに見つめている姉の姿は、今まで知っている姉の中でも一番美しく私の目に映りました。
私の中の女としての本能が
「アントワーヌとナタンは今日の仕事帰りにローズと赤ちゃんに会いに行くのが待ちきれないって言っていたわ」
帰りの馬車の中で母が私に話し掛けます。
「お父さまはよく夕方までお待ちになれますわね」
「今朝はとても大事な会議でどうしても出勤しないといけなかったのよね。貴女やローズが生まれた時のことを思い出すわ。お父さまは仕事を放り出して駆けつけてくれたのよ」
「お母さま……」
懐かしそうに昔のことを話してくれる母でした。
「お母さま、私、小さい頃はお父さまやお兄さまより素敵な男の人なんていない、と信じていました」
「でもそれは違ったのでしょう?」
「はい。お父さまもお兄さまももちろん今まで通り素敵ですし、私にとって家族の皆はとても大切なのです」
「愛する人はまた別の意味で大切なのよね」
「お母さま、私もいつの日か……彼と家族を築きたいのです。今日お姉さまたちを見てより強く思うようになりました」
「その感情はとても自然なことよ、マルゴ」
ダンのことを想う私に貴族の親として反対したいのは山々だと思うのですが、二人共受け入れてくれているのです。私は感謝の気持ちでいっぱいでした。
「ありがとうございます」
「マルゴが家を出てしまうとお父さまは寂しがるでしょうね。けれど、貴女の幸せが私たちの一番の喜びよ」
母のその言葉に少し涙ぐんでしまいました。
***ひとこと***
ローズとマキシムの赤ちゃんは男の子でした! マキシム似のやんちゃで元気な子になるような気がします。
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