巻ノ十五 秋の日と娘の子はくれぬようでくれる


 マキシムさんの向かいの父がまず口を開きます。


「君も知っているように僕達夫婦には三人の子供が居る。僕はそれぞれの子に思い入れがあってね、そのうちローズには特別な感情があるのだよ。彼女が僕の血を引いた初めての子供だからじゃなくて、僕たちの下から最初に飛び立ってしまうかもしれないからだよ」


 父はそこで母と一瞬見つめ合っていました。父の話はとても長くなりそうです。


「フロレンスが僕達夫婦に子供が出来たと告げた日、フロレンスのお腹に話し掛けていた日々、ローズが誕生した日、まるで昨日のことのように思い出すよ。僕がナタニエルの父親になったのは彼がもう三歳の時だったから、ローズの誕生は殊更僕にとっては感慨深かったね。ナタニエルは妹の誕生を喜びながらも、本当は弟の方が良かったとぐずっていたね」


 母はクスクスと笑い出しました。分かるような気がします。父が思い出話を始めるとは……マキシムさんの顔は私からは見えませんが、彼はしきりと頷いています。


「こうしてローズの成長について僕が話し出すと十八年分もあるし長くなるから、今日はこのくらいにしてまた次の機会にでもするよ」


「うふふ、もうアントワーヌったら」


 母が笑っているのも分かります。父は次の機会があると言いました。マキシムさんは姉の旦那さまとして認められているということです。


「要するに僕が言いたいことは一つだけだ。ソンルグレ家の、僕達の子供と生涯を共にする幸運な人間に僕が父親として求めるのは、夫婦二人お互い深く愛し合って幸せになること、それだけだよ。必要なのは身分でも地位でも財力でもない、騎士道大会で好成績を修めなくてもいい、将来出世しなくてもいい。王族だろうが平民だろうが関係ない」


 父のその言葉を聞いて私はハッとしました。姉のことだけを言っているのではありません。父は私たち兄妹全員の話をしているのです。


 私は自然と涙をはらはらと流していました。父は私とダンのことを認めてくれ、私たちの間に立ちはだかる障害を少し取り除いてくれたのです。


「お父さま……ありがとうございます……」


 いつの間にかドウジュさんが私の隣に居て、無言で私の肩をポンポンと優しく叩いてくれました。そして手ぬぐいを渡してくれました。


 そこで父が私の居る窓の外をちらりと見て、にっこりと微笑みました。私たちが外で話を聞いていると分かってのことです。


 私の涙はドウジュさんの手ぬぐいで拭ってもどんどん溢れ出てきます。私の隣に居るのがダンであれば、と切に望みました。


 父はマキシムさんに続けてまだ何か言い聞かせています。


「バレないように火遊びすればいい、なんて思わないことだ。家族の一員になる君だから教えよう。僕は裏の世界の人間にも知り合いが居る。彼らは尾行や盗み聞きが得意でね、木の上でも建物の何階でも、屋根の上でも簡単に上ってしまうし、錠を開けるなんて朝飯前なのだよ」


 父が既にマキシムさんを家族の一員と言い、ドウジュさんたちの存在を告げています。まさか私も父がそこまでマキシムさんに明かすとは思っていませんでした。


「ローズは優しい子だから、例えば君が不貞を働いてもまだ君に情が残っていたら法的にあまり酷な制裁は課さないだろう。でもね、僕の裏社会の友人達は王国の司法院に訴えを起こすようなまどろっこしいことはせず、私刑を行うのだよ。不誠実な夫に対してはどんな罰を与えるのか先日聞いたところね、何と答えたと思う? アレを切り落としてしまうのだそうだよ。チョッキンとね」


 父はそこで片手で鋏の真似をしました。


「は、ははは……」


「と言うのは冗談だよ」


 父はマキシムさんに意味ありげな笑みを向けます。


「アントワーヌ、もうそのくらいになさったら?」


 父は母にそこでたしなめられていました。私が隣のドウジュさんをちらりと見ると、何とも言えない表情で私に小声でささやきます。


「お嬢様、本気になさらないで下さいね。全く若は……趣味の悪いご冗談を……」


「君もこんな立派な花束を持って求婚に来るくらいだから、覚悟は出来ていると思う。一旦婚約したらもう結婚したも同然、婚約者に操を立てるのは当然だし、今はもう女性側からも婚約不履行や破棄を訴えることも可能になっているからね。それから貴族同士の婚姻になるのだから、父親としてはローズには貴族令嬢らしく式の日を迎えて欲しい」


 父がマキシムさんに結婚までは一線を越えるなと暗に言っています。母が呆れているのが良く分かります。私の涙も少し収まってきました。


「覚悟が出来ていないのならその花束を持って今すぐお帰り頂くしかないね」


「重々承知しております。しかし私は帰りませんよ、ローズさん自身に断られない限りは」


「そう。フロレンス、君は何か他に付け足すことはない?」


「貴方が全ておっしゃったわ。マキシムさん、この親バカ度が過ぎる舅をよろしくお願いしますね」


 私はそこで噴き出してしまい、今は泣き笑いになっています。


「何それ、フロレンス!」


「こ、侯爵、貴方が王国史上最年少で副宰相の席に上り詰めるはずですね。良く分かります」


「なに、僕は運が良かっただけだよ。フロレンスにはいつも釘を刺されている。あまりの親バカぶりを人様の前で披露しないように気を付けろと。でも君の前では心置きなく親バカを発揮できそうだから嬉しいよ」


「は、光栄です」


「うふふふ」


「じゃあそろそろローズ姫を呼んで来よう。流石にもう起きているかな」


 私はそこでドウジュさんにペコリと頭を下げ、屋敷の屋根の上に登りました。たった今聞いた父の言葉を頭の中で反芻はんすうし、長いことそこで一人考えにふけっていました。また少し泣いてしまいました。




 両親の許可を得たマキシムさんはその後すぐ姉に求婚し、二人は婚約しました。結婚式はなるべく早く挙げたいと言うマキシムさんの意向によりその秋に決定し、とんとん拍子に事が進んでいます。


 強引なマキシムさんに姉がついて行ってないような感もありました。それでも二人が愛し合っているのは間違いありません。




***ひとこと***

アントワーヌの演説「ソンルグレ家の子供と結婚するための心得」

彼はこれを言った時、窓の外でドウジュだけでなくマルゲリットも聞いていることを知っていましたよね。ではこの時ダンジュ君はいずこに?

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