巻ノ十六 我が物と思えば軽し笠の雪


 私はもうすぐ貴族学院の四回生の過程を終え、夏休みに入ります。その年の夏は姉の婚約に父の副宰相就任と色々なことが一度に起こりました。そして私自身も少しだけ成長できたと思える夏となりました。


 ダンが私に一生仕えると告げた後、私は両親にそのことを報告していました。もちろん彼の名前は伏せたままです。それと同時に父がドウジュさんたちに隠れ家を提供したみたいに、私もダンの居場所を作ってあげたいと相談していました。


 そして誰にも嫁がないと言う私がどこまで本気か探るためなのかどうなのか、両親は何と私の為に貯えておいた花嫁支度金を自由に使ってもいいと言ってくれました。私が十六になった日に告げられたのです。


「ちょっと早いけれどね、君がこのお金を有効に使うのなら別に婚約するまでとか十八になるまで待たなくてもいいよ。それでもマルゴ姫があまり早くに僕達の下から飛び立ってしまうというのも少し寂しいかな……」


 私は驚きで父と母の顔を交互に見ました。二人共穏やかな笑顔で頷いてくれました。


 そして二人は投資をしてそのお金を少し増やしておくことも勧めてくれました。知り合いの実業家の人々も紹介してくれることになりました。


「お父さま、お母さま、ありがとうございます。私も……私に一生仕えると誓ってくれた彼が住む所を確保したいのです」


「マルゴ姫は今まで蝶よ花よと侯爵令嬢として育てられたよね。貴族や裕福な男性に嫁がないなら、侍女も料理人も使用人も居ない環境で暮らさないといけないって分かっているかな? いくら投資したとしても君のお金なんてあっという間になくなるよ」


「……」


「厳しいようですけれど、お父さまの言う通りよ、マルゴ。リゼのお祖父さまとお祖母さまのように自分で料理も掃除も洗濯も、何もかもしないといけないのよ」




 リゼの祖父母とは、兄ナタニエルの父方の祖父母のことです。今はラングロワ姓ではなく祖母の旧姓リゼを名乗り、ペルティエ領の町外れの小さな家で細々と老後を過ごしています。


 元々侯爵だった二人ですが、使用人も雇わず、誰にも頼らず暮らしているのです。私と姉のローズは彼らとは血は繋がっていませんが、兄と同じように孫として可愛がって下さいます。


「では、リゼのお二人の所に料理や家事を習いに行ってもいいでしょうか?」


 私のその言葉に父は吹き出し、母は目を丸くしていました。無理もありません。


「そんなに言うなら文を書いてお願いしてごらん?」


 父はまだ笑っています。


「僕からは君のことは決して甘やかさず、厳しくしごいてもらうように頼んでおくから」


「まあ、アントワーヌったら……」




 そして私は夏休みに入ったらペルティエ領のリゼのお二人の所に家事見習いとして滞在することになりました。私は張り切って行きました。最初は失敗ばかりの私も、祖母が辛抱強く手取り足取り教えてくれ、料理も少しは上達しました。


 朝起きると自分で寝台を整え、衣服もシーツも自分で洗濯します。他には家の掃除に畑仕事、毎日私はこれ以上ないほど働きました。今度ダンが病気で倒れても私はきちんと看病出来る自信があります。


「マルゴがどうしてもって言うし、ここに滞在するのは全然私たちは構わないのだけど……」


「そこまでマルゴが必死になって働きたいとは私たちも思ってもみなかったよ」


 リゼの祖父母も私がどこまで本気なのか量りかねているようでした。


「私もお二人のように将来は自立出来るでしょうか?」


「人間何事も不可能なことはないよ」


「ええ、以前は侯爵夫妻として据え膳上げ膳の生活だった私たちだって、五十代でいきなり全てを失った後ここまでやってこられたのですからね」


「ただ、マルゴがそんな形でお屋敷を出るとソンルグレ様やフロレンスさんは寂しがるのではないかなぁ」


「はい、両親は私がここでお世話になることにも反対はせず、快く送り出してくれました。でも本当はもっと貴族令嬢らしい道を歩んで欲しいと思っているかもしれません」


 両親や家族のことを考えると私は胸が少し痛みます。


「私たちも今まで色々なことがあったけれど、こうして日々ささやかに暮らしている今が一番生きているという実感があるよ。マルゴ、貴族の贅沢な暮らしが出来なくても、君が幸せならそれでいい」




 ペルティエ領で自ら強化合宿と称して二か月間住み、将来私もここに越して来たいと思うようになりました。


 ダンの故郷である間者の里はこのペルティエ領の山奥にあるのです。私がペルティエの街に住むと、ダンも里や活動の拠点に近いですから、彼に時々は会うのに便利だろうと考えたのです。


「お嬢様、私は一生貴女にお仕えすると誓いましたから、貴女がどこへ行かれようが私はお供しますよ」


「ダン、それでは駄目なのよ」


 私の望みは彼を間者として私に仕えさせることではないのです。


 私はその頃から具体的に将来設計を着々と立て、実行に移し始めていました。ダンに内緒で計画を進めたかったのですが、常に私のことを見守っている彼に隠し事は出来ず、無理だと分かっていました。


 それでも彼は私のことを止めたり意見を言ったりしませんでした。




 夏休みが終わると私は王都の両親の元に帰りました。そして学院では新学年に上がりました。あと二年で私も卒業です。卒業前に何としてでも普通医師の試験に合格したかった私でした。




 マキシムさんと婚約した姉のローズは王宮の司法院に文官として就職しました。式の日ももうすぐです。けれど何故か姉ははしゃいでいるわけでもなく、浮かない顔をしていることが多いのです。私は姉に聞かずにはいられませんでした。


「お姉さまは結婚が決まったというのに、式の日を指折り数えているように見えませんね。愛し合っている方と結婚できるというのに、嬉しくないのですか?」


「そうね、嬉しいと言うか……」


「私だったら愛する男性と結婚出来るなら、浮かれて舞い上がってしまいますわ……」


 別に私は豪華な婚礼衣装を着たいわけでもありません。沢山の招待客を招いて皆に祝福されなくてもいいのです。ただ彼と将来を誓い合えるだけでいいのです。


「まあマルゴ、貴女どなたか想う方がいるのね。いつまでも小さい妹だと思っていたのは私だけ?」


「私はもう十六ですわよ、お姉さま」


 ダンへの恋心を自覚したのはもう五年も前のことです。


「確かに周りには十六でもう婚約結婚していた子もいるわね。とにかく私ね、何だか信じられないのよ、本当にこの私があのマキシムと結婚するのかが」


「でも式の準備ももうほとんど整っていますけれど、未だに実感が湧かないのですか?」


「そうなのよ……何だか急に話がどんどん進んで、私だけ置いていかれているような感じかしら……」


 確かにマキシムさんやうちの母だけが張り切っているような気がしなくもないです。


「お姉さまが主役なのに、ですか?」


「ええ……」


 私も姉もそのまま黙り込み、私たち二人はそれぞれの思いにふけりました。




***ひとこと***

本格的に動き出したマルゲリットです。苦労人であるリゼの祖父母の協力は欠かせません。アントワーヌ君の実の両親ペルティエのおじいちゃんおばあちゃんもマルゲリットに力を貸してくれることになります。

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