巻ノ十 惚れた病に薬なし


 父が帰宅した後、私はずっと彼の枕元で優しく話しかけていました。


「いつもはあまりお喋りも出来ないでしょう、今日くらいはさせてね」


 小さい頃からドウジュさんやクレハさんの存在を感じていたこと、初めて彼の後姿を見た時のこと、それから貴族学院では何となく私は周りから浮いていること、色々と話しました。


 彼は夜中にまた少しうなされていたようですが、明け方近くにもなると熱も下がってきたようでした。私は夜通し彼の手を握ってうつらうつらしていました。頭を彼の寝台の上に預けて眠ってもいたようです。


 彼の温かい手に髪を優しく撫でられている夢も見ました。


「貴方のことを愛しています、サスケさま……」


 私はそんな寝言を言っていたような、それも夢だったかもしれません。


 窓の外も明るくなりつつある頃、彼の熱は随分と下がっていました。


「良かった……もう、昨日は心配したのですから……」


 私は飽きることもなく、早朝の薄暗い部屋の中で彼の寝顔を眺めていました。額の手拭いを替えた時に彼が目を開きました。


「あ、俺は……」


「お早うございます、サスケさま」


「お、お嬢様?」


「気分はどうですか? はい、お水です」


 彼は言われるままに私の差し出した吸い飲みから水を飲みほしました。


「ありがとうございます。私は熱で倒れてしまったのですね。でもどうして貴女がここに?」


「鍛錬の時間にいらっしゃらないから、父に頼んでこのおうちに様子を見に来させてもらったのです」


「それで……つきっきりで看病して下さったのですか? 道理で……」


「あの、お水をもっと飲みますか?」


 彼はそろそろと体を起こします。


「お嬢様」


「はい、何でしょう。何でもおっしゃってね」


「とりあえず着替えたいのですが」


「あ、分かりました。着替えを持って来ます。そこの箪笥の中ですか?」


「いえ、自分で出来ますから……その間見ないでいて下さるとありがたいのです」


「あ、えっ? ご、ごめんなさい! 私、下でお水を汲んできます」


 私は慌てて桶を手に持ち部屋を出ました。厨房に下りて行き、そこで彼でも食べられそうなものを探しました。まだあまり食欲もないかもしれませんし、私は料理も出来ません。


 果物籠の中にりんごを見つけました。私が風邪を引いたり熱を出したりしたときに良くすりおろしたりんごを食べさせてもらったのを思い出しました。


「どうやってすりおろせばいいのかしら……分からないわ」


 ドウジュさんたちに短剣の使い方、火の起こし方、飲み水の捕獲のし方などは一通り教えてもらっていました。でも、厨房にある調理器具の使い方は全く知らない私でした。


 結局りんごはつたない手で皮をき、一口大に切りました。彼の部屋に戻り、扉を叩きます。


「入ってもいいですか?」


「はい、申し訳ありませんでした」


「私の方こそ、気が利かなくてごめんなさい。まだ体は辛いでしょう、横になっていて下さい」


 彼は顔も洗い、着替えてすっきりしたようです。


「りんごを剥きました。本当はすりおろしたかったのですけれど。ここに置いておきますからどうぞ良かったら召し上がって下さいね」


「お嬢様、りんごを剥いて切ることがお出来なのですか? 驚きです」


「そのくらいは私でも……」


「何だかいびつな形ですね」


「もう!」


 彼がそんな軽口が叩けるくらい元気になったのが嬉しかったのです。私のりんごも食べてくれました。


 そうこうしているうちにまだ早朝でしたが、父が様子を見に来ました。


「お早う、少し元気になったかな。緊急事態だったからマルゴと二人、屋敷に入らせてもらったよ」


「面目ないです。ありがとうございました、ソンルグレ侯爵」


「マルゴ姫は昨晩ほとんど寝ていないのだろう?」


「お父さま、今日一日だけ、もう一日だけここに居てもいいですか? もちろん彼が良ければですけれど……」


 私は彼をちらりと見ました。でも、父の前では彼も嫌とは言えないのは分かっていました。


「マルゴ、先に下りていなさい。病人はゆっくり休ませてあげようね」


 父は彼に何か話があるのでしょうか。私はそれでも父の言う通り先に退室しました。


 私の後すぐに階下に下りてきた父に言われました。


「屋敷に帰って君も少し休みなさい。それにマルゴ姫は彼に食事を作ってあげたり、シーツを洗ったりなんて出来ないしね」


「出来ません……」


 役立たずな自分の情けなさを改めて感じた私は、結局父と帰宅することになりました。


 父と一緒にその日の夕方にまた彼のところを訪れました。彼はすぐに良くなり、私の付き添いも必要なさそうでした。次の日にはドウジュさんとクレハさんも王都に戻ってきたので、私は完全に用無しです。


 必要ともされていないのに彼らの隠れ家に押し掛けるわけにもいきません。


「サスケさまはもうすっかり元気になったのかしら……会いたいわ……」


 私は一言、元気になったのですか、と書いた文を父に託しました。ドウジュさん経由で彼に渡してもらいました。


「今週の稽古は中止かしらね」




 それでも次の鍛錬の日、私は手持ち無沙汰だったのでいつものように出かけました。ドウジュさんが来なければ一人で体を動かすつもりでした。


 そして約束の時間に何と彼がやってきたのです。ドウジュさんとクレハさんも一緒でした。


「こんにちは。風邪は良くなったのね。今日もよろしくお願いします」


「マルゲリットお嬢様、今日は稽古の前に息子が貴女にお話があるそうです」


「話ですか?」


 三人とも大抵は無表情な人々ですが、その時はあまりに真剣な顔なので私は何だか嫌な予感がしました。


 彼が里に戻るのでしょうか……だとしたらもうこれでお別れです……彼への気持ちを自覚してから、いずれはこの日が来ることは分かっていました。




***ひとこと***

ドウジュさんたちからサバイバル術のようなものは習っていますが……やはり侯爵令嬢ですから。それでも頑張ってりんごを剥きました。

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