巻ノ九 風邪は万病の元
私は父に彼の状況を説明しました。
「約束の時間を四半時過ぎても彼が来ないので心配になって彼のおうちに行ってみたのです。彼が一人で居るという気配はするのですが……私が勝手に侵入しようとしても何も反応がないのです!」
「マルゴ姫、家の場所は彼に教えてもらっていたのかな?」
「えっと……それは……お兄さまが以前多分あの辺りだと言っていたので……お父さまとお母さまが結婚する前に何度か行ったことがあって、大体の場所と家の外見を覚えているからって」
「全く、ナタンの記憶力の良さは
「お父さま、彼の様子を見に行ってくださいますか?」
「マルゴ姫、君も一緒に来たいのでしょう?」
「ええ、よろしいのですか?」
「うん、急ごうか」
父は自ら
「彼は二階の寝室かな?」
「はい。階段を上がって、表の通りに面したあの角の部屋です」
「行ってみよう」
彼の部屋には父だけ先に入りました。私は廊下で待ちます。何となく、彼も私に見られたくないものもあるかもしれないと遠慮してしまいました。
私だって怪我や病気で寝込んでいたり、意識がなかったりする姿は彼に見られたくありません。彼は私のことをそこまで意識していないとしてもです。
父はすぐに部屋から出てきました。
「君の守護戦士殿は高熱を出して寝込んでいるよ」
「では、お水でも持って来ましょうか?」
「そうだね」
私は台所に下りて桶に水を汲んで部屋に戻りました。
「お父さま、私も部屋に入ってよろしいでしょうか?」
「うん。綺麗に片付いているし、彼が君に見られたくないものも、多分ないと思うよ」
心配でしょうがない私をよそに、父は私にウィンクなどしています。
「良かった、ではお邪魔します」
彼は寝台に横になっています。苦しそうな顔をしている可哀そうな彼の額に手拭いを濡らして当てました。
「使いも寄こせなかったなんて……よほどつらかったのね」
私は彼にそっと話しかけました。
「ドウジュもクレハさんも居ないから医者を呼ぶって言っても……でも緊急事態だから……テオドールさんに診てもらおうか。うん、そうだ彼なら信頼できるし口も堅い。呼んで来るよ」
親戚のテオドール叔父さまは王宮医師なのです。父が叔父さまを呼びに行っている間に私は彼の手をしっかり握って囁くように話しかけていました。
「サスケさま、テオドール叔父さまがすぐに来て下さるわ。叔父さまは優秀なお医者さまなのよ。貴方やドウジュさんの秘密も漏らすことは絶対にないから心配しないでね……お薬を出してもらったらもう少し楽になるかもしれないわよ」
父が居ない間、彼の手をしっかりと握り、髪を撫でながら眠っている彼に話し続けていました。私は何も出来なくて、自分の無力さを感じていました。
「サスケさま……こんな時本当の名前が呼べたらどんなに良いでしょう……」
思わず身を乗り出して彼の額や
「う、うーん……」
私は慌てて唇を離し、再び手拭いを冷えた水で絞って彼の額にあてました。
「ごめんなさいね。意識のある貴方には、こうして手を握ったり口付けたり出来ないでしょう……でも早く元気になって欲しいわ」
そして私は彼の心臓にそっと耳を寄せて彼の鼓動を聞いていました。
「どんな辛い鍛錬でも貴方と一緒だったらもう不平不満なんて言わないから。本当よ」
父はテオドール叔父さまと一緒にすぐに戻ってきました。
「マルゴまで居るのか……すぐに診察するよ……」
叔父さまは色々な疑問があるでしょうに、何も言わずに医師として患者に向き合ってくれました。
「私、部屋の外で待っています」
「テオドールさん、何か僕がお手伝いできることがあればおっしゃってください」
「いえ、大丈夫です」
叔父さまの診察はすぐに済みました。
「ただの風邪をこじらせただけだね。ゆっくり休ませるのが一番の薬だけど、一応解熱剤も出しておくよ」
「良かった……テオドール叔父さま、ありがとうございます」
私が安心して涙ぐんでいるのを見てどう思ったのか、叔父さまは続けました。
「彼の目が覚めたら水をしっかり飲ませてあげなさい。普段しっかり鍛えているようだから油断したのかな……とにかくお大事にね」
「テオドールさん、送って行きましょう」
「いえ、僕は辻馬車を拾って帰りますから」
「そうですか、ではそこの角までご一緒します」
テオドール叔父さまは彼のことは誰にも何も言わないと父に約束して下さったそうです。叔父さまを見送って戻ってきた父に私はお願いしました。
「お父さま、今晩私ここで彼の看病をしてもよろしいですか? こんな状態なのに一人にしておけませんわ」
「マルゴ姫、君は夕食もまだだろう?」
「何も食べたくありません」
「何かお腹に入れないと徹夜の看病も出来ないよ。テオドールさんを迎えに行ったついでに軽食を持ってきているから食べなさい」
「お父さま、私ここに泊ってもいいのですか?」
「僕が無理矢理屋敷に連れて帰ったらマルゴ姫は夜中に抜け出して戻ってくるつもりだよね。その方が危険だ」
「え、そんなことは……」
父には何もかもお見通しでした。
「僕としてはね、未婚の男女が二人きりで夜を過ごすのを許すのはどうかと思うけれど……」
「そんな、彼は病気で誰かがついていないといけませんもの! お願いですお父さま、誰にも言わなければ済むことですわ、どうか私たちのことを信用して下さい!」
「もちろん彼のことは信じているよ。ドウジュとクレハさんの息子だもの。人の道に外れるようなことは決してしないと分かっている。それにこの状態でどうやって君にけしからんことを働けるっていうの? 信用ならないのは君の方だよ、マルゴ姫。病気の彼につけこもうとしていない?」
父はいたずらっぽく笑っています。私は真っ赤になりました。
「えっ、私? そ、そんなはしたないこと……ご自分の娘を疑うのですか?」
「だって君はフロレンスの娘でもあるからね」
父はウィンクまでしています。
「まあ、お母さまはそんなに積極的なのですか? やはり主導権はお母さまにあるのですね! 今度詳しく聞かせて下さい!」
「夫婦の秘密だから、そこまでは言わない」
「まあ、お父さまったら!」
私の方が赤くなってしまいました。
***ひとこと***
マルゲリット!病気の彼にけしからんことを……それでもまあ、キスして手を握るくらいなら……
とにかくただの風邪で良かったですね。ローズも世話になったテオドールさんは王宮医師として着々とキャリアと積んでいます。
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