巻ノ八 鬼の霍乱

― 王国歴 1049年 初春


― サンレオナール王都




 王都はもうすぐ春を迎えるというある日、ドウジュさんとクレハさんは里に帰るのか、しばらく王都を離れることになりました。私の鍛錬もその間は中止だろうと残念に思っていました。


「両親が留守の間は私が一人で教えに参りますよ、お嬢様」


「まあ、いいの?」


 彼と二人きりの鍛錬です。私はウキウキしてきました。二人きりと言っても何が起こるわけでもないでしょうが……恋する乙女としてはどうしても期待してしまいます。


「私は父よりも厳しいですよ。何をニコニコしていらっしゃるのです、そんな笑顔を見せる余裕などきっとなくなりますよ」


「それでもいいのです、私頑張りますから! いっぱいしごいて下さい!」


「全く、貴女という方は……生半可な気持ちでは痛い目に遭いますよ」




 彼との鍛錬の日がやってきました。私は期待に胸を膨らませていたのですが、彼が言った通りとても厳しい内容で途中からは息も上がってしまいました。


 新しい事など全然習えずじまいでした。彼と二人きりで鍛錬だわ、と浮かれていた私は散々な目に遭いました。


 普段のドウジュさんの鍛錬よりもずっと体力的にも精神的にも大変な内容だったのです。少しくらいは甘い雰囲気に浸れるかも、と思っていた私はこれ以上ないほど厳しくしごかれました。


 しかも基本的な動作の繰り返しばかりです。素振りに持久走、短距離走に腕立て伏せ、最後には木に登って降りる往復でした。


 彼はただ見ているだけでなく、私と同じ内容を息もきらすことなくやってのけていました。


 あまりに疲れてしまった私は二回目に木から降りている時に足を滑らせて落ちそうになったのです。そんな私は彼に受け止められました。悔しくて涙が出そうでした。


 もっと乙女が憧れるような状況のもとで彼の腕に抱きとめられるのが良かったのです。


「自分の体力や能力の限界が来ていたら、複数で行動している時には仲間に伝えることも重要です。大怪我などするとより迷惑を掛けますからね」


「はい……」


 自分の無力さをひしひしと感じました。彼に抱きかかえられて降ります。そしてあっという間に地面に立たされてしまいました。密着していた体も離れます。


「ねえ、私が貴方にまさっていることなんてあるのかしら。駆けっこも木登りも剣も、全て貴方の方が上ね……」


「本業の忍びですから、私は。それに性別も男です。体力や運動能力に差があるのは当然です」


「それは私だって分かっているのです」


「マルゴお嬢様も何かしら私より得意なことがあるでしょう」


「例えば?」


「王国史、ダンス、礼儀作法や刺繍などでしょうか」


「私は本業の貴族で女だもの、当たり前だわ」


「ですからおあいこですよ」


 何だか納得いきません。


「次回の鍛錬は明後日ね。何をするの?」


「本日とほぼ同じことを考えておりますが」


「え、そうなの?」


「違うことがよろしいですか? では数と難易度を増やしましょう」


「そんな……」


「冗談ですよ」


 彼はフッと軽く笑みを見せました。いつも無表情な彼が珍しいです。少しドキドキしてしまいました。




 そして明後日も同じことをさせられました。私はもうくたくたでした。辛い鍛錬は永遠に続くように感じられるのに、彼と二人きりの時間はそうではありません。


 大いに矛盾しています。厳しい練習中に、苦悩に歪んだ醜い顔を見られたくないと思うのですが、彼は私がどんな顔をしていてもそう大して気に留めていないようなのです。私が美しく着飾って化粧をしていようが……彼の態度はきっと同じです。何だか虚しいです。


 今日は木に一回上り下りしただけでやめておきました。これ以上できない、と正直に言いました。落ちそうになったり、怪我をしそうになったりする度に彼に助けてもらうわけにもいきません。


「ではまた来週」


 彼は涼しい顔であっという間に我が家の庭から消えてしまいました。高い塀もひとっ跳びです。方や私は汗だくで、自分の部屋に歩いて戻るにも息が切れていました。


 鍛錬に関しては全く彼の言う通りで、恋する乙女の期待は大きく裏切られました。しかし私たち二人の関係はドウジュさんたちが居ない間に少しだけ変わることになったのです。




 次の週、鍛錬の時間になっても彼は現れませんでした。


「こんな可愛い子を一人で待たせるなんて、最低よ!」


 本人の前ではこんな軽口は叩けませんから今のうちに声に出して言っていました。


 しかし彼は四半時以上待っても一向に来る気配もありません。段々と嫌な予感がしてきました。約束の時間に来られないのなら使いでも寄こすでしょう。


 彼の両親が里か他の土地に行っている間、彼は一人のはずです。何か彼の身に起こったのでは、と考えました。こうしては居られません。


 私は急いでドウジュさんたちの隠れ家に向かいました。屋敷はひっとりと静まり返っていて、一見留守のように見えます。でも私には分かりました。彼の気配がします。


 病気か怪我で倒れているに違いありません。私が敷地内に侵入しているのに何の反応もないのです。窓は全てカーテンが閉まっています。どこからか私のことを覗いて見ている様子もありません。


 私は呼び鈴を鳴らしてみました。虚しく響くだけでした。彼は二階の寝室に居るようです。身動き一つしていないことが分かります。


 少し待ってから彼の部屋の窓のところまで登ってみました。窓を軽く叩いたのに返事もありません。表の通行人に見られてはいけないのですぐに下りました。


 普通の屋敷でしたら窓からでもどこからでも忍び込める私です。しかし、この屋敷は間者であるドウジュさんたちのお家です。外からの侵入者が簡単に入れないようにありとあらゆる仕掛けがあるようです。


 どうしようか考えた挙句、私は父に相談することにしました。父はもう帰宅していました。着替えもせず、私は鍛錬の時の恰好のまま父の居る書斎に駆け込みました。


「お父さま、大変です……サスケ、いえドウジュさんの息子さんが……多分病気か怪我で倒れています。一人で身動きもままならない状態で、お家で苦しんでいます!」


「マルゴ姫、少し落ち着きなさい。今日は鍛錬の日だったよね。何があったか話してごらん?」




***ひとこと***

サスケ君は怪我か病気か?って副題でネタバレしていましたぁ。


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