王都編 思春期

巻ノ七 好きこそ物の上手なれ

― 王国歴 1046年-1049年


― サンレオナール王都




 稽古のない日でも外に出て飛び回ることが多い私は我が家の庭で実に色々なことを見聞きしました。


 私が十二の頃でした。その日の午後、兄のナタニエルは友人の方を家に呼んで庭で球を蹴って二人で遊んでいたのです。私はその様子を木の上から眺めていました。


 しばらくすると屋敷の方から誰か歩いてくる気配がしました。姉のローズでした。レモネードを載せたお盆を持って庭の東屋に入っていきます。兄のお友達が一人でその東屋に向かうのと同時でした。


 私は二人に気付かれないようにそっと東屋のすぐ隣の大木に移りました。


「丁度喉が渇いたところだったんだよな。ねえそこの君、シャツのボタンが一つ落ちかけてるんだよ、つけ直してくんない?」


 そして彼は姉の目の前でシャツを脱ぎ始めます。姉は目をパチクリさせていました。勉強熱心な姉はペンのインクで汚れると言い、屋敷では紺や灰色の綿ドレスを着ています。髪の毛もまとめています。兄のお友達は姉のことを侍女と間違ったのでしょう。


かしこまりました。執事に預けておきますので、お帰りの際に彼にお尋ねください」


 なんと姉はお友達の間違いをとがめることもせず、シャツを受け取り頭を下げています。それにしても、このご友人は侍女とは言え若い女性の前でいきなりシャツを脱いで上半身裸になるとは……姉は目のやり場に困っている様子です。


「じゃあ頼んだよ」


「マックス、いつまで休憩してるんだ? 早く来いよ」


 兄の声が庭の奥から聞こえてきます。そのまま姉は彼に渡されたシャツを持って母屋の方へ戻っていきました。これが姉と後に彼女の夫となるマキシムさんとの出会いでした。


 その後貴族学院に入学した私は彼が学院では有名人だということを知りました。マキシムさんはしばらくして、あの時レモネードを持ってきた少女が侍女ではなくて友人ナタニエルの妹だと分かったようでした。


 それからというもの、マキシムさんは学院や屋敷で姉にちょっかいばかり出すようになったのです。この二人は顔を合わせる度に口喧嘩をする仲になりました。


 幼い私でさえ二人の間には恋愛感情があるとすぐに分かりました。それなのにお互い素直じゃなくて家族は皆呆れていたものでした。




 私は貴族学院で結局医科に入りました。もちろん王宮医師を目指す級友たちに比べると私の成績はあまり芳しくありません。将来の見通しは全然立っていませんでしたが、何となく医学を学んでいたら間者としては役に立つだろうという考えからでした。


 私は週二回のドウジュさんとの稽古も休まずに励みました。苦手な勉強も頑張りました。ドウジュさんと時々一緒に来る彼に会えるのがとても楽しみでした。




 そして季節は流れ私はもう少しで十六の誕生日を迎えます。毎年誕生日を迎える前に父に聞かれていました。


「マルゴ姫はドウジュについてまだ鍛錬を続けたいのかな?」


 私の答えはいつも決まっています。それでも昨年十五になった私は父に言われました。


「とりあえず鍛錬は君が十六になるまでということにしようか。マルゴ姫もそろそろ将来のことを考える歳だからね」


 貴族令嬢ともなれば十五になれば社交界に出られると暗に父は言っているのです。確かに学院の同級生で既に婚約している女の子もちらほら居ます。


 今まで好きなことをさせてくれた両親には感謝していました。いつまでも間者の真似事をし続けることは出来ないことも分かっていました。


 私より少し年上であろう彼は成人したらきっと誰かに仕えるか、里に帰るかどちらかだと思われます。


 両親は私が十代半ばにもなると木登りや剣術などよりも舞踏会やおしゃれを気にするようになり、私の間者熱も収まると思っていたのでした。


 ですが私はその年頃になっても変わりませんでした。母親似の私は見た目だけは華奢で可憐な令嬢でしたので、男子学生からも良く声を掛けられました。でも、そんな男の子たちの誘いは適当に断り続けていました。


 相変わらず毎日のように勉学と修行に励む私のことを、流石に両親も心配するようになっていたようです。


「お父さま、お母さま、私……適当に身分の釣り合う貴族の方と結婚しないといけないのですか? でも本当は私、誰にも嫁ぎたくないのです」


 そんなことを言い出す私のことを両親はとがめることもせず、何も言わず二人心配そうな顔でお互いを見つめ合っていました。


 私は彼以外の男性の妻になるなんてとても考えられませんでした。だったら一生独りでも良かったのです。


 十五歳の私はもう舞踏会に出席できます。父が私に縁談を持って来るようになるかもしれません。両親ともに私の望まない縁談など勧めるつもりはなかったようなのですが、私は知りませんでした。


 それでも貴族令嬢の枠にはまらない色々な経験をさせてくれた両親に私は感謝でいっぱいなのです。




 小さい頃から、両親や祖父母から貴族階級はとても恵まれているのだと口を酸っぱくして言われていました。これも豊かな領地があるお陰なのです。


 彼にも以前言われたことがありました。私が学院に行く時に着ている普段着のドレスでさえ、里の人たちや平民の人にはまず手が届かないものだそうなのです。私は彼との違いをひしひしと感じていました。


 それでも私は彼とずっと一緒に居るためにはどうしたらいいのか、真剣に考えるようになりました。彼の妹さんのように私もお金を稼いで自立出来るかどうか不安でした。


 そんなことを彼に言うと、とうてい私には無理だと馬鹿にされるような気がしました。両親が聞いたらひっくり返るかもしれません。


 それでも私は彼以外の人に嫁ぐなんて出来ないということだけはその頃から固く確信していたのです。




***ひとこと***

ローズとマキシムの出会いをしっかりと目撃していたマルゲリットでした。いきなり初対面のローズの前でシャツを脱ぐマキシムに眉をしかめておりますね。

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