巻ノ六 毬栗も内から割れる
― 王国歴 1045年 初夏
― サンレオナール王都
初等科も残り一年で卒業というある夜、私は両親の部屋に呼ばれました。
「マルゲリットは将来何になりたいの? 貴族学院では何科に進みたい?」
両親に間者になりたい、などと言えるわけがありません。
「私は特技も何もないですし、成績もあまり良くありません。でも、私もお姉さまの言うように将来は仕事をしたいのです……」
『これからの時代、貴族だろうが何だろうが、女の子でもちゃんと職に就いて自立すべきなのよ』
それが姉のローズの口癖でした。
手に職をつける必要のない貴族令嬢は普通科に行くことになるのです。普通科とはいわゆる花嫁修業をする科です。
「女の子でも騎士科に行けるよ。体を動かすことは得意だろう?」
「私、騎士になりたいとは思いませんし、男の子ばかりの科はちょっと……」
「そうだね。マルゴ姫が大勢の男子に囲まれて勉強や剣の稽古をしていると思うと僕はおちおち仕事も出来ない」
「まあ、アントワーヌったら」
母はそこで朗らかに笑い出します。
「あの、例えば『フロレンスの家』のような施設で働くためにはどんな勉強をしたらよいのでしょうか?」
「そうね、職にもよるわよ。医学、薬学、看護学、経営学や心理学かしらね」
「そうですか……」
何だかどれも難しそうです。
「今からそんなに気負わなくてもいいのよ、マルゴ。私もお姉さまも最初は普通科に入れられたのよ。私は学院卒業後、独学でここまで来たのですから」
「はい。もう少し考えてみます」
「ところで、マルゴ姫は先生について剣術や武道を習ってみる気はないかい?」
「いいのですか、お父さま?」
「君がやる気なら、とても厳しい個人教師をつけるよ」
「はい、頑張ります!」
私は剣術でも何でも、専門の先生について習いたかったのです。
「マルゴ姫がこんなに輝いた笑顔を見せるのは久しぶりだね。それが剣の稽古の機会を与えたからだなんてね、父親としては少々複雑な気持ちだよ」
「お父さま、愛しています! ありがとうございます!」
「うん、僕のお転婆姫」
驚いたことに、父がつけてくれた先生とはドウジュさんでした。週二、三回、屋敷の庭などで彼について訓練をしました。時々はクレハさんも、彼らの息子の彼も一緒に来てくれました。
屋敷の庭での稽古の時は使用人たちに見つからないように木々を飛び移ることが多かったのです。そうでなければ屋敷の裏の林の中での鍛錬でした。
「お嬢様は筋がいいですね」
「私もこうして訓練を重ねたら、そのうち間者になれますか?」
「ハハハ、いいえ。お嬢様は侯爵令嬢で間者ではありません。才能や技能ではなく、里の人間ではないと言う意味ですが……」
「そうですか……でも、間者になれなくても貴方から色々学ぶことはやめません!」
「それでは、日が暮れる前にもう少し続けましょうか」
ドウジュさんに剣術等を習い始めてから生き生きとしてきた私に、父も母も嬉しそうでした。
「うちの子供達には貴族の枠から少々はみ出しても、色々な経験をして欲しいからね。それに、マルゴ姫も楽しんでいるようだし。あまり私たちが押さえつけてしまって、反発して君の守護戦士殿を追いかけてペルティエの里に行ってしまわれてもね。我が家に家出少年は一人で十分だから」
「まあ、私家出なんて考えたこともありませんわ」
「もう、マルゴに変な考えを吹き込まないで下さい。冗談にならないわ、アントワーヌ!」
時々ドウジュさんと一緒にやって来る彼に会えるのがとても楽しみでした。
「今日も来てくれたのね、サスケさま!」
「何ですか、そのサスケというのは!」
「貴方のお名前を知らないのですもの、私の好きなように呼ばせてもらいます! 従兄のアンリが忍者って言ったらハッ〇リくんとかナ〇トだろう、と教えてくれたのですけれど、挿絵を見せてもらってもどうもしっくりこなくて……でもナル〇の好敵手のサスケという人は雰囲気が貴方にとても良く似ていたのです」
「はい???」
「ねえ、サスケさま。私はまだ貴族学院にも行かないといけなくて、それに未成年ですし、四六時中ご一緒は無理ですけれど、私貴方に一生仕えますから」
「はい? お嬢様、今何と?」
「ドウジュさんは私の父に助けられて以来、ずっと仕えているのですよね。私は貴方に事故に遭いそうになったところを助けられたから、同じようにします!」
「いや、マルゴお嬢様は里の人間ではありませんから、そんな掟はないでしょうに!」
「私はソンルグレ家の家訓に従うのです。人に親切にされたらお返しをする、という」
「いえ、それは全然意味が違います!」
「違いません!」
時々ドウジュさんと一緒に私に稽古をつけてくれる彼と色々な話をしたかった私です。彼は割と無口なのか、私の身分に遠慮してなのかあまり饒舌ではありません。それでも私も諦めることなく、彼に話し掛けていました。
彼はいつも木製の首飾りや腕輪をしています。私はある日それについて尋ねました。
「素敵な細工ね、見せてもらってもいい?」
彼の首に掛けられている首飾りは犬の形をしています。腕輪は細かい模様のある珠が連なっています。
「首飾りは妹が、腕輪は母が作りました。犬は私の守護獣なのです」
「守護獣? 貴方は犬に守られているの?」
「そう言われています」
「どちらも素晴らしい作品ね。貴方も木彫り細工をするの?」
「私はここまでは出来ません。母や妹の腕には敵いませんね。里の収入源の一つなのです。材料はふんだんにありますし」
「まあ、貴方の妹さんは私と同じくらいの歳よね。もう生活を助けるための仕事をされているの?」
「里では普通のことですよ」
「そうなの……しっかりされているのね」
間者の里では半自給自足生活で、皆で分け合い慎ましく暮らしているそうです。そして民の半数以上はペルティエの町で一般市民として出稼ぎに出ているようです。
いくら世間知らずの私でも、生活していくお金は自分で稼がないといけないことくらいは分かっています。私は彼と話していると自分が何もできない無力な人間に感じられてしょうがありませんでした。
初等科の高学年くらいから私の周りの女の子たちはませてきていて、恋愛に夢中でした。そんな私は小さい頃からずっと父や兄より素敵な男性なんて居ないと思っていました。
それも名前も知らない彼と知り合うまででした。彼の存在は私の中で段々と大きなものとなっていました。級友たちの話を聞くにつけて私の彼に対する気持ちは恋なのだと確信しました。
彼のことを考えると幸せな気分になれて、早く会いたくなって、でもあまり会えないから悲しくて切ないのです。彼も私と同じ気持ちだといいのに、と願ってやみません。
***ひとこと***
仮名サスケくんの守護獣は犬だそうです。そう言えばお父さんのドウジュとアントワーヌ君も昔山で狼に襲われた時、犬に助けられていました。
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