巻ノ二 壁に耳あり障子に目あり
― 王国歴 1042年 春
― サンレオナール王都 ソンルグレ侯爵家
ある日、私は父が誰かと寝室で話しているのを聞いてしまいました。私がいつも見る人のうち、女の人の方です。いつも庭や屋根の上にに居るその人が珍しく屋敷に入ってきているのです。ですから私は気付かれないようにそうっと父の部屋の前まで行きました。
「若さま、お坊ちゃまが先程南の大通りの方へ駆けていかれました。ドウジュが後をつけています」
「そう、クレハさんいつもありがとう」
男の人はドウジュ、女の人はクレハという名前のようです。父の友人だったとはその時まで知らなかった私でした。
「全く、あの件が落着してからはドウジュもクレハさんも時々政治的な目的で働いてもらっていただけだったのに。まさかナタンのことでもお世話になるとはね」
父のその言葉の後はもうクレハさんの声は全然聞こえてきませんでした。それでもまだ彼女は父と一緒に居るようで、父の声だけがします。
「うん、分かったよ」
「そうだね。まあナタンが瞬間移動で消えて見失ったらいつものようにアナさんやクロード様に頼むから」
「じゃあお願いします。気を付けて」
彼らは兄を見張るだけが仕事ではないようです。とにかく兄が家出をする度にすぐに見つかって連れ戻されていた理由が分かりました。
その日の夕食は家出から数時間もしないうちに見つけられた不機嫌な兄も揃って家族全員でとりました。何やら法律のことについて難しい話をしている父と姉、終始無言の母と兄、同じく考え事をしていて何も喋らない私という少々いびつな雰囲気の中での食事でした。
そして夕食後に両親が揃って私の部屋に来ました。意外でした。私は何か叱られるようなことをしたのでしょうか。家出をしたのは兄で、私ではありません。
「ちょっといいかな、マルゲリット。少し話があるのだけど」
益々嫌な予感がします。父が私のことをお姫様ともマルゴ姫とも呼ばないのは本当に大切な話がある時だけです。
「ねえ、今日ナタンが家出した時、君はどこに居たの?」
「私の部屋だったと思います」
確か玄関の前で兄が母に大声で何か言っていたのは部屋から聞こえていたのです。
「その後もずっと部屋に居た?」
「はい……あ、いいえ。その後部屋から出て、居間に下りようとしていました」
兄が家を飛び出たすぐ後に、それまで外に居たクレハさんが父の部屋に入ったのが分かったので私は父の部屋の前まで行ったのでした。
「でも居間には下りなかったよね」
父には何故か何でもお見通しのようでした。思わず疑問が口をついて次から次へと出てきます。
「ドウジュさんとクレハさんはお父さまのお友だちなのにどうしていつも屋敷の外に居るのですか? 私がお話しようと思って窓を開けてもすぐに隠れてしまわれるし……私今日クレハさんがお父さまとお話しているところを聞いてしまいました」
「マルゴ、盗み聞きだなんてはしたないわね」
「ごめんなさい、お母さま。でもいつも外に居るクレハさんが珍しくお父さまのお部屋に入って行かれたから……」
「まあ、マルゴ」
父と母は顔を見合わせました。
「やっぱりあの時ね、クレハさんは途中から君が聞いていることに気付いたのだよ」
「だから彼女は喋るのをやめて、お父さまの声しか聞こえなくなったのですね」
「マルゴももう八歳だから少し難しい話でも分かるよね。これからお父さまとお母さまが話すことは誰にも言ってはいけないよ。お兄さまやお姉さまにもだ。約束できるかな、マルゴ?」
「はい」
「ドウジュさんとクレハさんは確かに僕達の友達だ。でもね、僕達以外には姿を見せないのだよ」
「二人は魔術師なのですか?」
「違う。間者なのだよ」
「カンジャ?」
「うん、隠密とも言う」
「スパイさんですか?」
「彼らの仕事の内容としてはそのようなものかな。彼らは僕の実家、ペルティエ領山奥の出身なのだよ。僕は子供の頃、山の中でドウジュを助けたことがあってね。それ以来、彼は僕に一生仕えると言って王都に出てきてくれたのだよ。彼の奥さんのクレハさんもね」
「そして私はお父さまと結婚して初めて正式に彼らに紹介されたのよ」
「あっ、それでは私が見たあの男の子は二人の子供かしら? それに女の子も居たわ!」
父は目を丸くしていました。
「えっ、マルゴ? 一体君は何人の間者を見ているの?」
「全部で四人です。ドウジュさんにクレハさん、それと私より少し大きい男の子と私と同じくらいの女の子です。でも皆隠れるのが得意だから顔までは良く知りません」
「まあ、アントワーヌ、この子はそこまで……」
「ドウジュがマルゴには何も隠せないから言ってもいいって言うわけだよ……」
「あ、お兄さまもドウジュさんには会った事が何度かあるみたいです。瞬間移動が出来て空も飛べますから。でも彼の名前までは知らないと思います」
「ああ、ナタンが……そうだったね」
「ローズはどうなのかしら?」
「お姉さまは何も知りません」
「参ったね、フロレンス。僕達のマルゴ姫は本当に間者になる素質があるのかな?」
お父さまのその言葉に私はハッとしました。運動神経がいくら良くても何の役にも立たないと思っていましたし、周りからもそう言われていました。私が貴族の令嬢だからです。
でも、間者だったら……ドウジュさんたちは木登りも駆けっこも得意です。私もそれなら出来そうだと考え始めるともう将来の夢が決定したようなものでした。まだまだ幼かった私は単純に、自分にも出来ることがあった、と嬉しくなってきました。
けれど両親にはどうしても言い出せません。特に母はそんなことを聞いたらひっくり返ってしまいそうです。
「マルゴ、これからはドウジュさんやクレハさんを見かけても、そっとしておいてあげてね。彼らは仕事中なのですから」
「のぞき見が仕事なのですか?」
「それだけじゃないよ。色々調べたりするのも仕事だし、僕達がもし危ない目に遭いそうだったら助けてくれるのだよ」
「私もナタンも昔は彼らに良く助けてもらったわ。そのお陰もあって私はお父さまとこうして結婚できたのよ」
「今はもうあまり事件も起こらないけれどね。ナタンの家出くらいかな」
「分かりました、彼らの邪魔はしません」
両親はドウジュさんとクレハさんをそっとしておいてと言いました。でも男の子や女の子のことは何も触れませんでした。彼らはまだ子供なので間者としての仕事もしていないのでしょう。
時々屋敷の庭に来る彼らは私よりも速く走れ、木登りも上手なのです。是非友達になりたかった私でした。
***ひとこと***
この当時、マルゴは八歳で兄のナタニエル君は十五歳でした。もうそろそろナタニエル君の反抗期も終わります。
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