21. プロローグへ
「ねぇ、アルマン。理想のために命を奪うのは、正しいこと?」
ルイの問いは、アルマンにとっては唐突にも聞こえた。
金の髪を指先で弄びながら、領主は机に頬杖をつき、インクで汚れた羽根ペンを手に取る。
「さぁ……俺にはよくわかりません」
「じゃあ……生きるために命を奪うのは?」
サラサラと、確認のサインが紙面に綴られていく。
鉄道の開発は順調……と、紙の上で、それだけが「事実」となる。
自らの生が、既に誰かの血によって成り立つのだと……知っているのか、それとも知らぬままか、澄み渡った蒼は語らない。
「それは……」
アルマンには、答えを出せなかった。
もし、1人の命で多くが救われるのなら、……また、1人を救うために多くが殺されるのなら……
死にゆくことこそ「正しい」命がこの世にあるとするのなら、足掻くことで罪になるのなら、……どう、罪を犯さず生きればいいのだろう。
かつての友人の背を思い出す。
ジャンは、生きるために弟を殺した。
その罪に苛まれ自らを壊すくらいならば、潔く殺されるべきだったと……アルマンには、到底思えない。
生き生きとハムレットを演じた姿を失わずに済む方法が他にあったのなら、……もっと別の手段があったのなら、それに越したことはなかった。
「俺の知り合いに、劇作家がいます。……彼女なら、殺さなくとも、死ななくともいい道筋を……考えて、くれるかもしれませんね」
「ふぅん。……やっぱり、凄いんだね。作家さんって」
「伝えておきますよ。もしかしたら、張り切って新作を書いてくれるかもしれません」
頬をリンゴ色に染めて、金髪をかきあげて、彼女はペンを取るだろう。……その作品を自分のものにしてしまうことは、あまりにも恐れ多いように思う。
けれど、日の目を見ないよりは余程いい。アルマンは、ソフィの脚本を、コルネーユの名演を、……ジャンの作り上げたあの劇団を、心より愛している。
それが例え、もう二度と取り戻せない過去だったとしても……アルマンの胸には、しかと刻まれている。
「……ラルフの様子がおかしいの、アルマンは気付いてる?」
「……仕事疲れ、だと思いますよ」
汚れ役を買って出たラルフの覚悟を、アルマンは認める他なかった。
……止めるほどの豪胆さも、能力も、彼は何一つ持たなかったのだから。
***
「……で、朝っぱらから何の用だ?」
からりと澄み渡る晴天が、腐臭漂う街角すらも鮮明に照らしていた。……そこに立つ2人の表情も、同じように。
ぎらりと、照りつけた太陽が金の視線を眩ませる。……もう、分かっていた。
「殺せ」
ゴクリと、ジョゼフが息を呑んだ。……穏やかな視線と相対し、ガタガタと脚の震えが増していく。
手元で煌めくナイフが、ぽとりと地に落ちた。
……ミゲルには分かっていた。
ジョゼフと名乗る彼がもう、誰かを殺すことすらできないことも。
背後で「危険分子」を仕留めるべく、
……友の死を直視できず、ジョゼフがすぐに逃げ出すことも。
……けれど、ミゲルにも、その後は分からなかった。
射抜かれた肩口を押さえ倒れ付した時、その声は響いた。
「……無辜の民を白昼堂々殺めようとは……。ジベール子爵、貴方も落ちぶれたというもの」
聞き覚えのない声だった。……だが、その黒髪には覚えがあった。
「ラルフ・アンドレア……偽物子爵か。おまえとて同じだ、いずれおまえは僕を殺す……間違いない……!」
「……貴方を殺すつもりなど毛頭ない。もっとも……それは我が主君ルイ=フランソワ・フィリップ、および罪なき民に牙を向けなければの話だが」
「そいつに罪がないものか……!父上が言っていた……赤毛で金眼の男に騙されたことがある、と……。頭が回る上に革命思想を扇動する男だと、おまえの兄からも聞いた!いずれこの領地を、いや、この国を滅ぼすのが奴らだ!!理想にそぐわぬ世界を破壊するのが革命だ!!そして……そして、壊されれば生き残れないのが僕達だ……ッ!」
怜悧な声音が、取り乱した悲鳴とぶつかり合い、ミゲルの頭上で飛び交う。
「その男に革命の思想などあるものか。その日その日を必死に生き延びるだけの詐欺師に、大層な義などあるまい」
「……ッ、なぜ、なぜそんなことが分かる!!やはり、やはりおまえも僕を殺そうとしていたのだな!!父の失脚はやはり、アンドレア家の謀略だったのだな……!!そこにいろ、今すぐ殺してや──あ」
ガタン、まずは、そんな音だった。……骨が砕け、どこか、柔らかな肉の潰れた音が消えかけの意識に届く。
「…………。気が触れた貴方を見た時……こうなるとは、予測していた」
ぽつり、ぽつりと、静かな祈りが血臭に溶けていく。
撃たれた傷口が熱い。……痛みは、そろそろ意識を奪うだろう。
歩み寄った青年の瞳に、見覚えがあった。……懐かしい、などと余計な感傷が浮かんだのは、痛みのせいか、出血のせいか……。
「……どこが安全な場所か、君の方が分かるはずだ」
その声音はまた別人のようにも聞こえたが、ミゲルの思考はまとまらない。
「……セルジュ・グリューベルって、旅芸人、の……とこ……」
だが、ミゲルの口は動いた。
生存のため、知識が勝手に言葉を紡いだのだ。
鉛のように重い身体に肩を貸し、青年はよろよろと立ち上がった。
転落した亡骸に背を向け、ふらふらと2人は歩き去る。
……取り返しのつかない終焉とともに、新たな始まりの訪れを感じ取りながら、若者たちは歩を進めた。
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