20. 遊戯
ぎし、と、古びたベッドが音を立てた。
薄汚れたシーツに散らばる赤髪が、はらりと落ちてきた黒髪と混ざり合う。
「……なぁ、女優さん」
「何だい?」
引き締まった腹の筋に、白く細い指が這う。
なだらかな腰の稜線を、生傷だらけの指がなぞる。
「好きな男はいるかい?」
「……男はいないねぇ。惚れた女ならいるけど」
「ああ、あの嬢ちゃんか。色っぺぇ目を向けてやがったもんな」
ちろり、と舌なめずりをした赤い唇が、わずかに日に焼けた首筋を食む。
ん、と喉を鳴らし、男は白磁のような背に手を伸ばす。
「驚かないのかい?」
「そんなこともあらぁな。……ティグのはデカいぜ?オンナになるかと思っちまう」
「まーたウソかホントか分かんないこと言っちまって……」
くつくつと喉を鳴らし、コルネーユはミゲルの耳元に口を寄せた。
「あんた、このままじゃ早死するよ」
低く響いたその忠告は情からか、それとも、遊び半分か。
「……あんたは賢すぎる。もっと上手く隠しな」
彼女の演じる
おそらくは、女優本人にもわからない。
「そりゃあ、ご忠告どうも」
ミゲル本人にも、わかっていた。
己の生がどれほど刹那のものか。どれほど危ういものか。
……どれほど、無意味なものか。
「……せっかく早死するってんなら、パーッと楽しく死にてぇもんだぜ」
肩に落ちて流れる黒髪に指を絡め、口付ける。
命などどうでもいい。明日のことだってどうでもいい。……ただ、遊びに興じていたかった。
それは、コルネーユとて同じこと。
「あたしねぇ、死に方は決めてるんだ」
「へぇ……。どんな?」
「ソフィのためになる死に方をするんだ。ソフィの命の糧になれるなら、それほど幸せなことはないからねぇ」
うっとりと、女はミゲルの指に指を絡める。
熱い吐息が、ぞくりと身体の芯を撫でる。
「……この手がソフィみたいに、柔らかくて細かったらよかったのに……いくらあの子がペンだこをたくさん作ってたって、これじゃあ無理がある」
「へいへい、野郎の指で悪かったな」
その遊戯は、傷の舐め合いでしかない。
叶わぬ恋に焦がれる女と、時の流れに苛まれる男。
変えられる力を持たないことすらも、彼らにはわかっていた。……わかっていることが、何よりも苦痛だった。
***
足元の血溜まりに祈りを捧げ、ラルフはその場を立ち去った。
「……ルディ……」
力が欲しかった。……
冷徹になることができただろうか。粛々と、淡々と目的を達することができただろうか。
いつ、膝を折ったのか、いつ、吐瀉物を地面に撒いたのか、いつ、涙を零したのか、もう分からない。軋む魂が悲鳴をあげている。
……このままでは、到底続けられない。
「私は……私は、やり遂げねばならない」
ブツブツと、かつての友人のような口調で、冷徹な自己を
「俺は嫌だ。どうしてもやらなきゃいけないのか?」
その言葉は、ラルフの口から続いて発せられる。……かつての、祖国の言葉だった。
ひとり遊びのように、自問自答を繰り返す。
「後戻りはできない。私は成すべきことをする。……俺はそんなことのために、この道を選んだのか?」
ぐちゃり、と、踏んだ塊から、腐臭が広がった。
……ツバメの亡骸だった。肉体は大部分が猫か何かに貪られ、生前の形を残していない。
「ああ……ごめんな……気付かなくて……」
指を組み、祈る。……形ばかりの祈りにならないよう、心を込めて。
戯れにもならない行為だと……そう、思いながらも、祈らずにはいられない。
「……ルディ……君は……そう名乗ったのか」
その声が、自分のものでないと気付かないまま、ラルフは言葉を紡ぐ。……軋み、剥がれた隙間に入り込んだ「何か」に気付かぬまま、歩き続ける。
「なら、次は僕がルディになる。……ラルフの支えになる。安らげる居場所を……せめて……」
ラルフは修羅の道を選び取った。……その先に破滅しか残されていなくとも、幸福な終わりなど存在し得ぬとしても、……魂まで滅ぼす業だったとしても、より良い未来のため手を汚した。
「私は成すべきことを成す。それだけだ」
「なら、僕は、君の慰めになる。……だから、君のことを教えて欲しい」
時にカラスとして、時にツバメとして、少年は何度も生まれ変わった。
……かつて自分と妹を救った聖女に、恩返しをしたかった。
傷の舐め合いのような、幼い遊戯だった。……けれど、孤独な聖女と魔女は、確かに友情を築き、確かに救われた。
たとえ時代がその肉体を、その魂を打ち砕こうとも、……その絆を引き裂こうとも、愚かな戯れでしかなくとも、……「ルディ」は、そのあたたかな光を覚えている。
「ラルフ、君の選んだ道が過ちでも、正義でも……僕が、最後まで見届ける」
「いずれ死すとしても……私は……俺は、より多くの民を救う。……そのために……」
ひび割れた魂に寄り添うよう、魔女と呼ばれた少年は灯火を宿す。
多くの道筋が絡み合い、「物語」の始まりは刻一刻と近づいていた。
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