君とラジオと録音機

そばあきな

君とラジオと録音機


 ある時期までおれは、家電は鳥のように空を飛ぶものだと思っていた。その理由というのも、実際に空を飛んでいく様子を見ていたからに他ならなかった。


 しかし、どうしてだかこの現象は、周りでおれしか目撃されていなかった。何の気なしに人に尋ねて、不思議そうな顔をされた時に、おれはそのことに気付いた。なぜだか、誰かと一緒に空を見上げている時には飛んでこないくせに、おれが一人でなんとなく空を見たときに限ってそいつらは空に浮かんでいて、どこかに向かって飛んでいくのだ。おれが指をさす頃には、そいつらはすでに彼方へ飛んで行って姿は跡形もなく、周りが信じてくれないという経験を数回繰り返し、おれは抗議することをやめた。そこからはずっと、いくら家電が空を飛ぶのを目撃しても、誰かに言うこともなくなった。


 ――波長が合うんじゃないかな。それか、物凄くタイミングが良いかだね。他の人が秘密にしたいものを、偶然見つけられる能力が優れているのかも。君はジャーナリストの仕事に向いているんじゃないかな。


 中学最後の冬。三か月前に隣のクラスに来た転校生は、おれの話を聞いてそう言った。よくそんな風に他人事みたいに言えるな、という嫌味を飲み込んで、おれは目の前の転校生をもう一度見た。

 おれの通う中学校の裏山には、いつからそこに存在するのか、住民の誰かが不法投棄したゴミが山のように積み上がっている場所があった。生徒や住民から「ガラクタ山」と呼ばれているその場所のふもとで、彼はおれを見下ろして立っている。そして、彼の横では、片手で持てそうな小さなラジオが浮き沈みしていて――。

 どうやらこいつが――いやが、家電が空を飛んでいく現象の元凶だったらしい。



 いくら聞き直しても聞き取れなかった、どこかの星から来たという転校生の相沢あいざわさとると、その日からおれはガラクタ山で話すようになった。



「君の星の人は物をすぐ捨てる! あらためるべきだよ!」

 ぷりぷり、という表現が合いそうな顔で、彼はおれに抗議する。そんなことをおれにして言われてもと思ったが、口にはしなかった。


 つい先ほど、ラジオが浮く現象をおれに目撃された彼は、最初しどろもどろになりながら色んな言い訳を並べていた。

 しかし、おれが全くその言い訳を信じていないことに気付くと、最終的に彼は開き直り、自分がいわゆる異星人であることをおれに告白してきた。

 それをおれがすんなり受け入れてやったら、相手の方が驚いていたのだから不思議な話だ。昔から、テレビ番組のUMA特集を見ることは好きだったし、おれ自身、家電がよく空を飛んでいく超常現象を見ていたからだろうか。異星人が現れたくらいで今更驚けなかったのだ。


「……最悪の可能性として、君が僕を解剖しようとするまで考えていたのに、拍子ぬけしちゃったなあ。でも、君が僕の正体を誰かに言おうとした時に、頭が爆発する仕掛けを施しておいたから、誰かに言おうなんて思わないでね」


 そういえば、彼はさっきおれの額に人差し指を持っていって何か呟いていた。どうやらあの時に何かをされたらしい。綺麗な顔をしてずいぶんとえげつないことを言うなと思った。

 それでも、おれがあまり恐怖を覚えなかったのは、彼の見た目がおれと同い年にしか見えなかったということと、彼の顔が人間離れしたおぞましい顔というわけでもなく、むしろ虫すら触れなさそうな、どこか儚げで綺麗な顔立ちをしていた、というのもあったのかもしれない。

 帰る途中で買った缶コーヒーをすすりながら、おれは彼の言葉を受け、そして言葉を返した。


「地球人を何だと思ってんだ。そんなすぐに解剖したりするかよ。……それに、もしおれが声を大にして周りに『みなさん! 彼は異星人ですよ!』とか言ってみろよ、おれの頭がおかしいと思われる」

「……そういうものなの?」

「そういうもんだ」


 いくら真実だったとしても、全部が全部、周りに受け入れられるとは限らない。おれの言葉に、彼は安心した表情を浮かべた。しかし、爆発の仕掛けは解除してはくれないらしい。指をもう一度おれの額に持っていくことなく口元に持っていった彼は、首をかしげておれに尋ねる。


「ところで、ユウイチはどうしてこんな場所に一人で来たの? 今まで誰にも会ったことなかったのに」


 彼の発音するユウイチという言葉は、どこか不思議な響きを持っていた。彼が呼ぶ時だけは、おれは地球の日本に戸籍がある関谷せきや雄一ゆういちではなく、何か別の生き物のように思えてくる。確か彼は学校で、日本ではない別のところから来たと紹介されていた。日本ではないというところがどうとでもとれる、上手い言い方だと思う。だから、多少アクセントが違っていたり、日本語が拙かったりしても言い訳になるのだそうだ。


「誰にもってことは、ここにゴミを捨てに来る輩にもか?」

「うん。ああいう人は多分、人に見られたくないだろうから、夜中とかにこっそり捨てに行くんじゃないかな。だから、こんな日の高い時間に誰かに会うなんて思わなかったよ。で、ユウイチはどうしてここに来ようと思ったの?」


 再び同じ質問をした彼の顔から目を反らし、おれは答えた。


「……別に、家に帰っても受験勉強しろって言われるだけだから。小学生の時に遊び場としてよく来ていたけど、そろそろ寒くなってきたから、遊んでいる小学生もいないだろうし、一人で時間をつぶすにはちょうどいいと思ったんだよ」

「……ユウイチって、見た目より不真面目なんだね」

「ほっとけ」


 見た目のことを異星人にとやかく言われたくないと思った。

 確かにおれの見た目は、色白で黒髪、小学生の途中からかけ始めた銀縁の眼鏡のせいで、優等生だとか委員長っぽいだとか、とにかく真面目に見られることが多い。おそらく両親も、おれを真面目な息子だと思ってくれているのだろう。

 空になった缶コーヒーは、地面に置いた瞬間にきれいな音を鳴らしていた。優等生ではないが、不良にもなり切れないおれは、家までの帰路の間、どこかでこの缶を捨てなければいけないなと考えていた。


「雄一」

 夕飯を食べて席を立つと、父に呼び止められた。

「最近帰りが遅いが、何かしているのか?」

「……学校の図書室で、勉強してるんだ」

「そうか。日が落ちるのも早くなってきたから、遅くならない内に帰ってくるんだぞ」

「……うん」

 ほらな、と内心で思う。嘘をついたのに疑われもしない。別に、この高校に行けなどと、過度な期待をされているわけじゃない。おれの好きなところに行けばいいと言ってくれたし、周りから聞く話と比べたら、おれは自由にさせてもらっている方だった。ただ、ふとした瞬間に、今やっていることは全て無意味なんじゃないかと考えてしまう。努力した分だけ結果がついてくるとは限らないのではないか。考えても仕方ないはずなのに、最近よく頭によぎるのだ。

 何かする気も起きなくて、二階の自分の部屋に戻ったおれは、すぐにベッドへ体を沈める。そして、今日ガラクタ山であったことを考えた。誰もいないと思っていたガラクタ山に、一人でいた転校生。そして傍らで浮き沈みしていたラジオ。おれには、まだアイツには聞いていないことがある。例えば、どんな目的で地球に来たのだとか、どうして転校生として学校に通っているのだとか。明日も、アイツは変わらずガラクタ山にいるのだろうか。

 隣のクラスに来た転校生というぼやけたアイツの印象が、はっきりと輪郭を帯び始めていた。


 次の日、学校が終わってガラクタ山に向かってみると、通学用リュックを隅によけて、彼が小型のラジオをいじっているのが見えた。

「何してんだ?」

「改造」

 漢字にすると二文字しかないシンプルな回答だった。おれが苦笑すると、彼の顔がだんだん渋い顔になっていく様子がスローモーションのように見えた。

「……何だその顔」

 おれがからかうような声をかけると、彼は

「いや、別に……」

 と言って、むくれたようにそっぽを向いてしまった。

 それだけ見たら、彼もおれとほとんど変わらない、同じ学校の同級生にしか見えなくて、昨日の告白は彼の冗談だったんじゃないかと思えてしまう。でも、実際におれは、彼の傍らで浮き沈みしているラジオを目撃しているし、本人も異星人であることを告白した。これ以上の証拠はないはずなのに、目の前の彼の姿があまりにも周りと変わらないから、おれはまだ、全て彼の冗談という可能性を捨て切れなかったのだ。

「……さすがにそれが、本来の姿ってわけじゃないよなあ」

 誰にともなしに言った言葉に、彼が反応し、首を横に振って、否定の意思を示してくれた。

「当たり前じゃないか。今はちゃんと地球人の姿をしているけど、僕の星ではこんな変な姿なんてしてないからね」

 ……変な姿。やはり彼とは感性が違うらしい。

「じゃあ今、元の姿になってくれって頼んだら、なってくれるのか?」

「ダメだよ。この星でいう太陽くらいの明るさで僕らは発光しているみたいだから、君みたいな地球人が見たら、まぶしすぎて目がつぶれちゃうからさ」

 どこまでが本当なのだろう。笑顔のままの彼の言葉は、本当っぽくもあり、また嘘っぽくもあった。


「ところで、ユウイチは今日もここに来ているけど、受験勉強はしなくていいの?」

 ところで、で切り出す話題じゃないだろと思った。


「お前も一応、肩書き上では受験生だぞ」

「ああ、そうだったね。じゃあ受験日が近くなったら星に帰ろうかなあ。もちろん、ちゃんとみんなの記憶を消してね」

「……便利だな。やりたくないことから逃げられるなんて」

「だって、意味がないじゃないか。一生この星で生きていくのならまだしも、僕は一時的に地球人に紛れて暮らしているだけの観光客みたいなものだよ? そんな僕に、ユウイチは受験勉強を強制するの? そんな権利、ユウイチにはないでしょ?」

 至極当然の答えだった。彼の言う通り、おれには彼に受験勉強を強いる権利はない。そしておそらく、おれは一生この星で生きていくのだろう。郷に入っては郷に従えだ。地球の、しかもこの日本で生きていくには、受験というのは誰しもが通る道なのだろう。通らない方が珍しいくらいだ。もうすぐ始まるであろう受験戦争に、果たしておれは生き残ることができるのだろうか。


「……なんで受験なんて面倒くさいものがあるんだろうな」

「さあ。地球人の君が分からないなら、異星人の僕はもっと分からないよ。でも、いつかやらなければいけないことなら、後悔しないようにやっておくべきだと思うよ。後悔は一生ついて回ると思うからさ」


 彼は本当に異星人なのだろうか。おれの背中をさする手つきが、ずいぶん昔、何かで大泣きしたおれの背中をずっとさすってくれた母の手に似ていた気がした。


 また次の日も、同じように彼は手元のラジオをいじっていた。おれの姿を見て「やあ」とでも言いたげに右手をあげ、おれが座れるようにと場所を少し避けてくれた。日本人が誇るおもてなしの心もびっくりの気配り具合である。


「そういえば、修理じゃなくて改造なんだよな。改造って何をしているんだよ」

「うーん……? ラジオって、電波を合わせると遠くの音を拾えるでしょ? だから、僕のいる星と波長を合わせたら、もしかしたら通信機がなくても相手の声が聞こえるかもって思ってさ」

「通信機なんて持ってんのか?」

「……よーし、できたぞっ」

 おれの質問を無視して彼はラジオをいじり続け、喜びの声を上げた。見た感じ普通のラジオだったが、彼に言わせると元々のものより二段階近く進化しているらしい。しばらく二人で聞いてみたが、雑音ばかりで何の言葉も聞こえなかった。遠すぎて電波が拾えないのかもと彼は言っていたが、おれは単純に、壊れていて雑音しか聞こえないのだと思った。元々壊れていたのか、それとも壊れかけで捨てられたラジオを、彼が改造だと言ってトドメを刺して本格的に壊れてしまったのか。どちらかは分からないけれど、何にしろ通信機として使うことはできないだろう。諦めたおれたちは、ラジオの電源を切って山に戻しておくことにした。彼が電池を抜いて学生服のポケットにしまう。

 ラジオはガラクタ山にあったものだけれど、電池は彼が持参したものだ。使える電池を入れたまま捨てる輩はそうそういない。彼は大小さまざまな電池をポケットやリュックに忍ばせて、ガラクタ山に捨てられた家電に入れては正常に作動するか確かめているのだそうだ。

「使えるものを見つけたらどうするんだよ」

「その答えを、ユウイチは知っているはずだよ。それの様子を、君は何度も見ているはずだから」


 その瞬間、家電が空を飛ぶ光景を疑うことなく見ていた幼い頃のことを思い出した。本当に見たのに嘘だと思われ、誰にも信じてもらえなかった幼い頃のおれの姿を。


「……空に飛ばすのか」

「うん。飛ばして故郷の星に送るんだ」

 表情を変えることなく彼はそう答えた。

「本当なら、誰にも見られずに送らなきゃいけない決まりなんだ。だから僕もそれなりに気を遣って、誰も見ていないだろう時間を選んでいるつもりだったんだけど……。なぜかそのタイミングが、ユウイチが見る時間と被っちゃうんだよね。しかもユウイチは、ここ数か月の話じゃなくて、ずっと前からそれを見ていたんだよね? 僕が来たのは転校生として来た日と同じだから、それより前の日だと、昔に来ていた別の仲間が送っていたんだと思うんだけど、何人もの通信も見てしまうなんて、ユウイチのタイミングが良いのか悪いのか、よく分からないよ」


「……なあ、聞いてもいいか」

「答えられる範囲であればね」

「どんなものをよく送るんだ?」

 おれの質問に、彼が少し笑う。

「正常に動くものなら、何でも」と彼がパチンと指を鳴らすと、小型の四角い時計がふよふよと浮いて彼の手に近づいていった。


「例えば、この時計。僕の星とは流れる時間が全然ちがうから、時計としての意味はないんだけど、動くインテリアとして重宝されるんだ。でも、電池式のじゃないと使えない。だから電池はあらかじめちゃんとお店で買って、入れて送らないといけないんだ」


 どうやら、向こうに送るにも色々と手順があるらしい。手振りを交えて説明してくれたのだが、全くといっていいほど頭に入ってこなかった。


「僕らの星には電気がない。だから、自分が光ることで場所を教えたりしているんだ。ここに来てから、光るにしてもちょっと強すぎるかもとは、思い始めたけど」

 まあ変えることなんてできないんだけどねと、捨てられていたCDレコーダーのボタンをカチカチと押しながら、彼が自嘲まじりに呟いた。

「じゃあなんで家電なんて送るんだ? しかも捨てられた物ばかりを」

「お土産だよ。定期的に家族に送っているんだ。ユウイチたち地球人は知らないと思うけど、地球の技術の進歩の仕方は、僕らの星の技術とはまた違っていて、とても興味深いんだ。地球で作られた物って、向こうでとても喜ばれるんだよ」

 そういえば「日本の製品はしっかりしている! 素晴らしい!」と外国人が話している姿を、テレビで見かけた覚えがある。それの規模の大きい、地球版みたいなことだと捉えたらいいのだろうか。

「それなら新品の物を買って送ればいいじゃないか」

「だって、地球の物って高いじゃないか! ちゃんと地球のお金は持っては来ているけど、とても何台も買える値段なんかじゃないでしょう? それに、新しい物を求めて、まだ使える古い物をすぐに捨ててしまう人が多いのはここの人の悪習だと思うよ!」


 めちゃくちゃ力説された。勢い余っておれの方に倒れ込んできそうな角度でこぶしを握っている。

 そうは言っても、おれにはどうすることもできないし。そんなことを思っていたら、彼は我に返った様子で姿勢を正して、それからは少し落ち着いた声になった。

「……ここで捨てられているものを見てもさ、全部が全部とは言わないけど、まだ使えるものが捨てられていることも多いでしょ。そういうのを貰えたら、ものにとっても、いいと思ったんだ。……ここで捨てていった人たちにとって、ここのものは、もういらないってことでしょう? だから、なくなっていても誰も困らないし、気付かないと思ったんだ。……まあ、君に気付かれちゃったわけだけど」


 地球というかこの国では、大量に物を作っては、作りすぎて捨ててしまうことも多い。いつかの授業で聞いた話を思い出してみると、彼の捨てたものを貰っているだけだと言う主張は、とてもマトモなものに聞こえた。


「……それは何だ?」

 いつの間にかCDレコーダーではなく、ペン型の細長い何かを持っていた彼に、おれは尋ねた。

「小型の録音機だよ。ボイスレコーダーってやつだね。ここのスイッチを押している間は録音できて、別のスイッチを押すと再生できるんだ。……なんで異星人の僕の方が地球の物に詳しいのさ」

「普通の人間はこういうのに縁がないんだよ」

 聞いてみると、刑事ドラマでしか見ないような代物だったことが分かった。こんな田舎で、いったい誰が、何の目的で買い、そしてここに捨てていったのだろう。

「異星人からのメッセージで王道なのって何かな」

 カチリ、とボイスレコーダーのスイッチを押した彼はおれにそう尋ねてきた。数秒考えておれは答える。

「ワレワレハ宇宙人ダ、じゃないか?」

「……昔に地球に行った仲間にも同じことを言われたんだけど、なんで最初に名乗るんだろうね。やっぱり名乗らないと、異星人とか宇宙人って分からないからなのかな」


 見た目さえ同じにすれば、全然分かんないのにねと呟いた彼は、どこか遠い場所を見つめるような目をしていた。


「雄一」

 彼と別れた帰り道、声を掛けられておれは振り返った。夕暮れの中、買い物袋を持った父がそこには立っている。夕日のまぶしさに目を細めながら、おれは口を開いた。

「……こんな時間に外にいるなんて珍しいね」

「母さんから、ルーを買ってきて欲しいって言われてな。買いに行っていたんだよ。雄一、今日の夕飯はカレーらしいぞ」

「……母さん、カレーなのにルーを買い忘れたの」

「時々うっかりしているよなあ」

 袋の中身を覗くと、中辛のカレールーがそこには入っていた。あと、なぜか板チョコも一枚入っていた。

「そのまま食べるわけじゃないぞ。よく言うだろ、隠し味にチョコレートを入れるとうまいって。一度やってみたかったんだ」

 おれの疑問を見越してか、父が慌てて言い添えた。なんとなく無言になると、ふいに誰かの声が聞こえた。


「ユウイチ!」


 振り返ると、さっき別れたはずの彼がこちらに走ってきていた。息を切らして、おれたち二人の元に駆け寄る。吐いた彼の息が白く目に移り、冬が本格的に始まることを予感させた。

「ノート忘れていたよ。追いついてよかった」

「……ああ、悪い」

 どこかで取り出しただろうか。一本だけ緑の線が入っているだけのシンプルなノートを受け取ると、彼が小声でおれに尋ねた。

「……隣にいるの、ユウイチのお父さん?」

「……そうだけど」

 小声でおれも答えを返す。隣にいた父は、邪魔をしてはいけないと思ったのか、一歩離れた場所で藍色になり始めている空を見ていた。

「へえ、やっぱり遺伝って凄いね。とても似ている」

「そっちに遺伝って概念はあるのか?」

「うーん、考えたことないや」


 彼の本来の姿については聞いていなかったので、種族によって違いはあるのかもおれは知らなかった。ただ、おれの持っている異星人のイメージで考えるなら、何かしら違っていても、結局は全員同じように見えてしまう気がする。サル山のサルと同じ原理だ。種族の違う別の生き物に対して、ここが違うと判別するには限度がある。はっきりとした違いがなければ、ほとんど同じに見えてしまうだろう。目の前の彼が隣のクラスに来た転校生だと分かるのは、彼が地球人の姿に擬態してくれているからだ。もし彼が本来の姿に戻って彼の仲間たちと交ざってしまったのなら、俺は彼と他の仲間との判別はできなくなってしまうだろう。


「それじゃあまた明日」とさっき走ってきた道をもう一度戻っていった彼を見送った後、父が近寄っておれに話しかけた。


「今の子は、雄一のクラスの子か?」

「……ううん、隣のクラスの転校生」

「そうか。近くで見たわけじゃないから違うかもしれないが、日本人とはちょっと違う感じの、きれいな顔の子だったな」


 父の観察は鋭い。実際は日本人どころか、地球人でもないわけだけれど。


 それから一週間ほど、おれと彼は放課後にガラクタ山に集まっては話をした。彼との話の内容は、きっとこの先生きていく上では何も役に立たない、どうでもいいことばかりだっただろうけれど、日に日に近づいて来る受験へのプレッシャーの息抜きになったし、地球に住んでいる上では体験できないことばかりで、とても興味深かった。


 そういえば、一度だけ彼にプレゼントもあげた。文字を練習中だという彼に、一年前くらいに町のイベントで参加したビンゴ大会の景品で貰って、袋も開けずにずっと放置していた鉛筆と消しゴムとノートのセットを渡したら、めちゃくちゃ喜ばれた。いらないものを押し付けるくらいの気持ちで渡したので、逆に申し訳ない気持ちになったのを覚えている。


 あと一度だけ、ものを実際に送る様子を隣で見せてもらった。

 放ってあったリュックからクリアファイルを取り出した彼は、他の人に内緒ねとおれに断って準備に取り掛かった。クリアファイルの中から透明なビニール袋を取り出した彼は、その中に送りたい物――今回は小型のカメラらしい――を入れてビニールの口を閉めた。

 その瞬間、ビニール袋の中の空気が抜けてカメラにぴったり張り付き、注意して見ないとビニールに包まれていることが分からないようになった。彼曰く、「これが真空パックの役割を果たすんだ」とのことだった。

 そして、同じくクリアファイルから小さな紙を取り出して、そこに何かを書き込んでビニールの表面に貼り付けた。瞬間、命が吹き込まれたようにカメラは宙を浮き、目にもとまらぬ速さで空へ吸い込まれていった。

 驚いて声も出せなかったおれに、彼が向き直って笑顔を見せた。


「自動で故郷に送れる商品なんだ。さっきの紙には、僕の名前が書かれている。そうすれば、僕からの届け物だって、仲間に分かるからね。この国でいう宅配便みたいなものだ。どう、便利でしょ」


 ニコニコと笑う彼に、おれは引きつった笑いしか返すことしかできなかった。

 今まで見かけた空飛ぶ家電現象は、こうして引き起こされていたらしい。正直、彼が異星人だと聞いた時よりも驚いた自信があった。


「……お前といると退屈しないよ」

「僕も、ユウイチとは正体を隠さずに話せるからとても楽しいよ」


 日に日に太陽が昇っている時間が短くなり、だんだんと気温も下がり始めていた。

 そろそろここで集まるのも辛い時期になるだろうと思い始めた頃だった。


 ある日、おれがガラクタ山に向かうと、彼が何かを話している声が聞こえた。声が聞こえたのが、おれの姿が見える少し前のところだったので、おれは近くの木の陰に隠れて、回り道をして彼に近づくことにした。

 彼は、おれが来ていたことに気がついていなかった。見たことのない小さな機械に向かって何かを話していた。その姿は通信、という言葉がよく合うように思った。

 いつか彼の星の名前を聞いた時のように、よく分からない言葉で彼は何かで話していた。だからおれには、彼が誰と、何を話していたかは分からない。でも、話している時の彼は、なんだか苦しそうに見えたから、きっと彼にとって嫌なことだったのだろう。

 おれは一旦ガラクタ山から離れて、適当に時間を潰して、さも今来たようにもう一度ガラクタ山に足を運んだ。

 彼はすでに通信を終えていた。おれの姿に気付いて、彼は笑みをこぼす。


 その顔が、どことなく嘘っぽく見えたのは、おれが疑いぶかい人間だったからかもしれない。


 他愛もない話をしているだけで、すぐに辺りは暗くなっていった。冬は日が短い。気をつけて帰れよとおれと彼は別れ、それぞれの家に帰っていく。おれ自身は行ったことがないが、彼にもちゃんと帰る家はあるらしく、あるマンションの一部屋を借りて住んでいるという話だった。まさかそこに置いてある家具や家電も、ガラクタ山から拝借した物じゃないだろうな、とおれは内心思っていたのだが、結局聞かずじまいだった。


 帰った後も、おれはどこか胸騒ぎを感じていた。学校に忘れ物をしたから取りに行ってくると言い訳をしておれは家を飛び出し、暗い中でガラクタ山へと走っていった。夜の裏山は、どことなく不気味だった。電灯なんてもちろんなく、ただ暗い道が入り組んでいるばかりの道だった。そんな場所を、懐中電灯なんて持ってきていないおれがどうして歩けたのかというと、裏山のある場所が光っていたからだった。それは、いつも彼と座りながら話している、ガタクタ山のあたりのように思えた。


 足元に気をつけながらガラクタ山に辿りつくと、そこには予想通り彼がいた。そして、彼のちょうど真上の空には、よく分からない物体が、光りながら彼の元に近づいていく。テレビのUMA特集で見たことがありそうなUFOのような形状をしていた。まぶしく見えていた明かりの正体がこれだったと、おれはそこで悟った。

「サトル」とおれは呼んだ。なんだか彼が遠くへ行ってしまいそうで、怖かったのだ。


「――本当に、ユウイチのタイミングの良さにはびっくりするなあ」


 ガラクタ山のてっぺんに登って、おれに背を向けるように空を見ていた彼が、ゆっくりと振り返る。その顔が泣きそうな顔に見えたのは、おれの願望だったのかもしれない。次の瞬間、激しい閃光で目をつぶってしまったから。おれの見た確かな彼の姿は、それが最後だった。


 次の日から、相沢悟という少年は地球のどこにも存在しない人間になっていた。隣のクラスのやつに聞いてみても、そんなやつはいないと言うし、名簿からも消えていた。一度会ったことのあるはずの父にも尋ねてみたが、首を傾げただけだった。

 いつかの、家電が空を飛ぶ現象を誰にも信じてもらえなかった時のように、異星人の彼の存在も、いつの間にか誰とも共有できないおれだけの思い出の一つになってしまったようだった。


 その日の放課後、彼の面影を探してやって来たガラクタ山には、なんとなく分かってはいたけれど誰の姿もなかった。しかし、そこには彼が電池を入れては正常に動くか確認していた家電のいくつかが残されていて、やはり彼と過ごした日々は嘘ではなかったように思えた。


 ――本当は、地球人である君に知られてしまった時点で、観光は打ち切りになって、故郷の星へ帰らなければいけない決まりでしたが、帰りたくなくてどうにか今までごまかしていました。でも、ついにばれてしまったので、今日故郷の星に僕は帰ることになりました。


 こんにちは、サトルです、から始まる彼のメッセージは、いつか彼がおれに説明してくれたペン型のボイスレコーダーから流れていた。

 どうやら彼も、一般的に考えられている異星人に沿うように、最初に名前を名乗ることにしたらしい。彼の喋っている後ろでは、時々木の葉のざわめきが聞こえていた。きっとここで録っていたのだろう。同じ音が、今のおれの座る後ろでも聞こえていた。


 ――帰る時、僕に関する記憶をすべて消去して、僕の存在は誰の記憶にも残らないようにするつもりなのに、こうして録音機にメッセージを残しているなんて、不思議だと思うでしょうか。でも、君は他の人が気付かなかった空飛ぶ家電の現象にも、僕が異星人であるにも気付いてしまうくらい、タイミングがいいのか悪いのか分からない人だから、万が一ということもあると思いました。だから、こうして万が一の可能性のために、僕は今、君にメッセージを残しておきます。


 万が一。ボイスレコーダーを一度止めて考える。おれが、彼がいなくなっても、彼に関する記憶を持っている理由は、故郷の星に帰ろうとしたあの夜、おれがガラクタ山に居合わせてしまったことが原因に思えた。もしかしたら、ガラクタ山から半径何メートルまでの場所では、彼の言う記憶消去は効かなかったのかもしれない。その証拠に、あの夜ガラクタ山にいたおれも、いつの日か彼に尋ね、彼がいなくなった場所に残されていたこのボイスレコーダーも、彼のことを記憶し、覚えたままだったのだから。

 スイッチを押すと、彼の言葉は最初からになっていた。もう一度さっきまでの部分聞きなおすと、彼のメッセージは次に移っていった。


 ――短い間だったけど、とても楽しかったです。ありがとう。頭が爆発するという話は嘘なので、安心して今後も生活してください。そしてもし、今後また家電が空を飛んでいる姿を見かけても、仲間の誰かが送っているのだろうと思って、そっとしてあげてくれると嬉しいです。気付かれていると分かったら、僕みたいに途中で帰ることになるので。……じゃあね、ユウイチ。受験勉強、さぼらないようにね。


 その言葉を最後に、彼のメッセージは途切れた。最後まで聞き終えたところで電池が切れたのか、それとも壊れるように細工をしていたのか、その後いくら押してもボイスレコーダーが動くことはなかった。一度捨てられたもので、メッセージを残すなんて洒落ているじゃないかと感心してしまう。


 前に来た時より、家電の数がなんとなく少なくなっていた気がしたので、おそらくその分は彼が故郷の星に持って行ってしまったのだろうか。持ち主に捨てられて行き場をなくしていた家電たちは、これから彼の星でインテリアとして有効に使われることだろう。こんな場所で捨てられているよりは、よっぽど実用的だと思った。


 ガラクタ山に放置されていた、いつか彼が改造し、向こうの星の波長と合わせておいたというラジオを家に持ち帰ったおれは、今でも時々彼のことを考える。持ち帰るのを忘れたのか、ラジオをいじることだけが目的で、はなから持っていくつもりがなかったのかは今となっては分からないけれど、ラジオもボイスレコーダーと同様、ガラクタ山に放置されていたのだ。


 あれからおれは、学校帰りにガラクタ山には行かなくなった。おれの天性のタイミングの悪さで、また別の彼の仲間に会うかもしれないし、一層寒さが厳しくなってきて、外で時間を潰そうという気も起きなくなっていたのだ。

 冬の寒さが増してきたことで、おれは家にまっすぐ帰るようになり、部屋にこもって受験勉強をするようになった。おれの自由にしていいとは言われていたけれど、この星では学歴が重視されることが多いから、なるべくいい高校に入っておきたいという方向に考えが変わり始めていた。


 ところどころ塗料が剥がれてしまったラジオは、今もおれの勉強机の隅に置かれている。

 受験勉強に行き詰った夜には、おれは時々そのラジオをつけて、ラジオから聞こえてくる音に耳を傾けているのだ。

 大抵が砂嵐で、数秒も聴いていられないような雑音ばかりだけど。

 それでも、本当に時々。何かのタイミングで波長が合う時があるのか、砂嵐の隙間に何かの音を聴くことができた。



 それは、いつか彼に聴いたどこかの星の名前の発音に、少しだけ似ているような気がするのだ。





 END


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