第一段 ぼくとともだち

ぼくとともだち

 さてもさても、こういう文章を書く人間は友達が少ない、とは、相場が決まっている。ぼくもそれは否定しないし、子供時代の友情はいつしか思い出になり、ゲームや漫画のような深いテーマになどならない。おお、いやいや、これは違う、そうとも違う。子供時代の友情は、テーマになる。だがそれは凡そ人に語れるような美しい物でも、悲壮な物でもない。そうともそうとも、友情は実に素晴らしい。その友情はその人の人生を形作る。だからこそ友人は適切に選ばなければならない。

 故に、適切でない人物は排除されなければならない。

 いやいやいや! 言葉を選ばなければならない。適切な言葉を、より文学的な言葉でなければ、読者は飽きてしまう。勉強や読書が友達の子供なんていっぱいいるじゃないか。ごく限られた人間と、ごく限られた時間で、ごく限られた遊びしかしない子供なんていっぱいる。そうとも、ぼくは普通の子供だったのだ。小さいころから、ぼくが突出していた事と言えば、家族の情愛だけだろう。なにせぼくは、神武一族の初孫、祖父の産まれた順番が違えば、跡取りだった子供だ。蝶よ花よと育てられ、やりたいと思ったことは何でもやらせて貰えた。元々あれこれ欲しがるというよりも、ぼくは一つの気に入りをずっと持っているタイプだったから、玩具にはあまりお金はかけなかった。

 ただぼくは、様々な体験をさせてもらった。

 そうともそうとも、ぼくは様々な体験をしたのだ。なんの、取るに足らない子供だったとも。


 ただ、キヨ子と母が宗教を巡って対立し、ぼくを「憐み深い人々」の一員とすべきという神武一族との攻防があったとか。

 ただ、学校のクラスメイト(と、呼ぶも悍ましき欠陥品の産んだ欠陥品のような人間の形をした襤褸屑)に脅迫状を書いたとか。


 まあ、そんなことだ。

 ぼくという人間は決して平凡ではなかったのだろう。だからこそ槍玉に挙げられて、学年中が敵になり、部活の参加者は上下を問わずぼくから離れた。ぼくは、後輩を教える事すら出来なかったし、先輩がいなくなった相談を担当教師に相談する事も出来なかった。

うむ、実に、実に、真に有り触れたいじめられっ子である。

 こんな具合で、ぼくは当時から組織、或いはコミュニティというものと相性が悪い。つまり、ぼくは「適切でない人物」―――いやいやいや! これもいけない。彼等は「異物」を排除し、自分の居場所を守っただけなのだ。人を弾いたのではない。ぼくという「因子」を排除したのだ。うん、そうだ、これが良い。彼等はIndividualやCharacteristicを排除したのではない。Factorを排除したのだ。ファクター、そう、factor(因子)だ。うむ、これが良い。ぼくは癌細胞ほどではなかったが、恐らく小学生コミュニティという大きな肉体が抱えるには余りにも大きな腫瘍で、悪性に成り得る可能性があったのだ。Cancerになる前のFactorの内に、切除することはとても喜ばしい。そうあるべきだ。実に素晴らしい英断である。功利主義の法治国家として在るべき姿だ。これは皮肉でも何でもなく、ぼくは本当にそう思う。然らば、こういうことだ。弱者や少数者が悪なのではない。功利主義に基づいた、科学的で理性的な幸福の為に、必要な行動なのである。

 トロッコ問題、カルネアデスの板、緊急避難、その他諸々、これが合法的な正義であることを示すのは、なによりもぼく達を守ってくれる法律が定めているのだ。斯様な状況に於いては、何人たりとも罰せられることはない。もし法治国家において、悪は須く裁かれると言うのであれば、factorを取り除く事は、寧ろ尊法精神に則った行いなのだ。

 破綻? 矛盾? 気がせいている? ああ、やめてくれ。そんな罵声は今更新鮮でない。だがぼくはこのように返事をする事はいつも避けて来ていた。今こそ問おう、「何故?」

 何故? 何故ぼくの疑問を受け入れない貴方が、ぼくを否定するの。

 だってそうじゃないか。そうやってぼく達は、ぼく達として形作られたのだから。他罰的だって? 自分の人生を自分の責任で? 何か君たちは勘違いしていないか?

 中学生に、高校受験なんて余計な圧力をかけた上で、更に自分の人生に責任を持つ?

 そりゃあそれ、いくらなんでもエゴもエゴじゃないのかい? 君は一体、自分はそこまで有能で先見の妙のある秀才な十五歳だったと信じているのかい?

 だとしたらね、きみ。…いや、止めておこう。溺れていると気づかないまま溺死できるのなら、それはそれは美しい死体になるだろうし、何より誰もが幸せだ。思い出は綺麗なままでいるに限る。醜いおもいでは、ぼくのように独りよがりにすり減らすだけだ。

 本当は、この話をするのは憚られるのだ。ぼくの狭い価値観の中でも、トップクラスに胸糞悪い。それでもこれまでのぼくの冗長な語りについてきた下さった人がいるならば、ぼくもまた、長巻を握るべきだ。

 だから、一つだけ覚えていてほしい。次の段で話すことは、「すべて」ぼくの身に起こった事で、ぼくはプライバシーの配慮はするが、嫌悪感については一切配慮しない。その理由は読んでいけば分かると思うのだけど、それでもぼくはこの責任の所在を負うつもりはない。いや、本当を言うと、ずっとこれは胸の中で、燃やしていくべきだと考えたのだ。原爆の火のように。だが何も知らない平和ボケがその小さな光を見たなら、火事の元だと勘違いしてしまうだろう。ともすれば責任感で消してしまうかもしれない。

 でもその方がいい、と、他ならぬ本人が言うのなら、と、ぼくはずっと堪えて来た。でももう必要ない。ぼくのこの語りが形になったのであれば、ぼくはもうある種死んだと言う事だから。ならば逆に、ぼくは遺さねばなるまい。生き残り、逃げ延びた臆病者として。

 前置きをだらだらこねくり回すのはぼくの悪い癖だ。次からはサクサク淡々と話すとしよう。これはぼくが十三歳から十五歳、中学生だった頃の実話だ。いいかい? 十三歳から十五歳だ。未成年どころか、義務教育を終えてない、高校生ですらない時代だ。良く覚えておいて、念頭に置いて呼んでくれたまえ。

 言っておくが、これは全て主観だから、とか、そういう逃げがあるとは思わないでくれたまえ。そうまで言われたら、ぼくはこのエッセイを送った人の家に、ともすれば火を付けてしまうかもしれないからね。

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