7.運命に抗う

 シブヤの雑踏の中、エストレはバランスの取れない折り畳みテーブル越しに青いローブの占い師を見た。


「どういう意味?」


「今、説明した通りさね」


 フリージアはいつもの特徴的な口調で返した。


「自分はそのうち消える。ACUAが止まることによって。恐らくそれは運命さね」


 ほら、と細い指がビジップカードと呼ばれる占い用のカードを山札から一枚捲る。擦り切れたカードには、翼を生やした子供が描かれていた。翼はよく見ると子供の輪郭を描く柔らかな線と異なり、刺々しい骨格のようになっている。飾り文字で添えられた「魔術師」というのがカードの名前らしかった。


「魔術師の正位置、そして」


 白い指の腹が、カードの縁を撫でる。加工が剥がれて覗いた芯紙は薄茶色に汚れていた。重なっていた二枚目が、パサリと乾いた音を立てながら姿を現す。それには逆さになった蓮の花が描かれていた。色褪せてしまっているが、元は青かったらしく、花弁の縁に辛うじて塗料が残っている。


「正義の逆位置。この二つが重なると最悪さね。「全て世は大いなる結末へ」……要するに、占いなんかではどうしようもないって意味」


「占いを信じるかどうかは自分次第でしょう」


「何回引いてもこれが出る。つまり自分の中のシミュレータは同じ結果しか出していない」


 その妙な言い回しにエストレは眉を寄せた。


「変な言い方するのね。まるでアンドロイドみたいだわ」


「どっちでも出来るさね。人間でもアンドロイドでもサイボーグでも、女でも男でも。自分はそういう存在で、でも万能とは程遠い」


 フリージアは二枚のカードを山札に戻し、再びシャッフルを始めた。それは占いをするためではなく、暇をつぶすかのような手つきだった。


「お嬢さんを呼んだのは他でもない。自分がいなくなったあとのことを頼むためさね」


「お部屋のお掃除なら得意よ」


「嘘ばっかり」


 エストレはシャッフルされ続けるカードを一度見てから、女とも男ともわからない相手に視線を向ける。どこか諦めたような雰囲気を、フリージアは隠そうともしていなかった。


「貴方がFOAFであるのは理解したわ。それならいくつも転がっていた「死亡説」にも説明がつく。そしてACUAに依存して存在していることも」


「お嬢さんは元はACUAの噂の一部。自分のことを忘れない可能性が高い。だからこそ、後のことを託そうと思ったさね」


「他の人には忘れられたまま。貴方はそれでいいの?」


 フリージアは手を止めた。ゆっくりと顔を上げてエストレを見る。中性的な男とも女ともつかない整った顔立ちは、いつもより作り物めいていたが、そこに浮かんだ複雑な表情は人間にしか出来ないものだった。


「……どうしようも出来ないさね」


「だから諦めるの?」


 エストレは真っ直ぐに問い返す。薄汚れ、下水の匂いが微かに漂う場所には似つかわしくないほどに、その姿は凛としていた。しかしその眼差しはフリージアではなく、その更に向こうにある何かを見据えている。

 安定性のないテーブルにガタリと肘をついたエストレは、左手で銀髪を掻き上げながら右手の指を軽く鳴らした。


「貴方はまだ仕事に取り掛かっていないんでしょう? だったらまだ活路はあるわ」


「でも引き延ばしても一週間が限度さね。それでどうやって運命から逃れる?」


「消えるのは免れないでしょうね。でもその後に呼び戻すことは出来るわよ」


 指を鳴らす音が軽やかに響く。エストレの頭の中にはいくつもの要素が歯車となって組み合わさり、一つの大きな装置を作り出そうとしていた。


「一つだけ方法はあるわ。サーカスなんかよりスリリングな綱渡りだけど、やってみる価値はありそうよ」


「お嬢さんに危険なことをさせるつもりはないさね。そこまでして……」


 フリージアの言葉を遮り、エストレはその手に握られたままだったカードの束を奪い取る。使い込まれて歪んだカードの中から、無作為にカードを抜き取るとテーブルの上に置く。先ほどと同じ魔術師のカードが正位置で配置された。


「諦めるぐらいなら、私に賭ければいいんだわ。私が貴方の分まで、運命とやらに抗ってあげる」


 エストレはカードに人差し指と親指を乗せて、上下逆さに位置を変えた。天から死骸と共に墜ちる格好になった魔術師は、フリージアの方を見て笑っているようだった。

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