6.全部忘れない
解析ビューに待ち望んでいた文字列が走る。オセロットは歓喜を素直に表情に変えた。一方、アーネストは戸惑ったように割れた眼球を指でなぞる。
「どうしましたか? 『そんなわけがない』って言いたそうですね」
「……ハッキングをしたのは、絢爛の方か」
『その通り』
オセロットの内蔵スピーカーを借りる形で、イオリが肯定を返す。吹きさらしの屋上で喋っているため、風の音が所々混じっていた。
『僕は入院して以降、オセロットの短距離通信回線を使ってエストレにコンタクトを取った。喫茶店でエストレは、ACUAが停止する前の僕の行動を知って、この作戦を思いついた。全く、彼女には恐れ入るよ』
シズマやオセロットのような戦闘能力を持たず、イオリほどのハッキング技術も持たない女は、それでいて誰よりも度胸があった。不確定要素を詰め込んだギャンブルを、コイン一枚で挑むような状況において、エストレは怖気づくことなく勝負を挑んだ。
『絢爛の全てのサーバに対してリアルパラレルで処理を展開。自分以外のサーバの機能を停止させるような暴走型プログラムを適用した。アンドロイドにだって真似できないだろ、こんなの』
得意げにイオリが告げると、アーネストは歪む顔を抑止しようとするかのように首を曲げる。ギチリと固まったオイルとコードが捻じれて、表面の皮膜を地面に落とした。
『絢爛はもはやあんたらの命令には従わない。僕達の勝ちだよ』
「……おしゃべりな敵は自滅する」
少しの沈黙を挟んでから零れたアーネストの声は、少し喜色を帯びていた。純粋な喜びとは違っているようだったが、オセロットにはそれが何かはわからなかった。
「喋りすぎだ。誰かにそう言われたことはないかな? 君は「絢爛は」と言った。つまり「ブルーピーコックの再起動」はこれからだ」
イオリが息を飲んだ気配がスピーカー越しにオセロットに伝わった。
解析ビューの中でいくつかのデータが変動し、ハッキングしたロボットのカメラ映像が自動で展開される。アーネストの足元にあるカメラが反応したものだった。
刀を握りしめている左手首に力が入っている。しかしその刃はオセロットではなく、別の場所を狙っているように見えた。
「ここがどこだか忘れたのかな? ブルーピーコックのあるサーバルームと通路は繋がっている。そして君が使おうとしているネットワークは、此処を通っている。私が此処で子猫ちゃんを待ち構えていたのも、万一に備えてだ」
アーネストは歪な笑みを浮かべた。顔の亀裂が広がり、人工皮膚が横に避ける。その下から覗いた機械部分は、笑みと違って整然としすぎていた。
「駄目です!」
思わず叫びながらオセロットは走り始めた。刀の先には、アーネストが背にした壁があった。メンテナンス用に取り付けられた鉄製の扉が開いており、中に並んだネットワーク用の回線が見える。アーネストの目的がそれの破壊であることは明らかだった。
オセロットの反射速度は十分に速かったが、それでも相手に届くには遅すぎた。刀が弧を描いて持ち上げられ、そして壁を突き刺そうとする。間に合わないと判断すると同時に、オセロットの中に組み込まれたプログラムが勝手に起動した。右足で踏み込んで、一気に距離を詰める。そしてマチェーテを振りかぶると、前方へと勢いよく投擲した。
一枚刃のプロペラのようになったそれは、アーネストの左肩口を大きく抉った。アーネストの体が大きく揺れて、動作処理が一瞬止まる。オセロットはその傍らを擦り抜けると、開いている扉を背中で隠すように立ち塞がった。
次の瞬間、ガリッと大きな音がした。オセロットの胸部を刀が真っ直ぐに貫いていた。
『オセロット!?』
異常を察知したイオリが焦った声を出す。だがオセロットは自分の体に差し込まれた刀を両手で握りしめ、それ以上先へ刃が進まないようにすることに集中していた。
「絶対……させないです」
解析ビューには警告を示す単語がいくつも表示されている。その文字の狭間で、ひび割れたアンドロイドが破損した腕を震わせながら、更に刀を押し込もうとしていた。突き刺さったままのマチェーテを中心に、人工骨格が破損していく音がする。
「壊されたくなければ、退け!」
アーネストが声を荒げる。音声装置が正位置からずれたのか、耳障りな不協和音が混じっていた。
『オセロット、やめて!』
イオリの声に、オセロットは相手には見えないにも関わらず首を横に振った。
「イオリ様、急いでください。早く、ACUAを」
『でも』
「女の子を待たせるのは男の子失格です」
刃の部分がオセロットの両手を割く。異常を伝える
「非合理的だ」
アーネストが呻くように言った。服から露出している部分に段々と亀裂が拡がり、それぞれの線を繋ぎながら大きくなっていく。レーヴァンのプログラムは破損した体には負荷が大きいことを示していた。
「何故、そこまでする」
体内で何かが爆ぜる感触がした。解析ビューの半分がブラックアウトし、それに伴いオセロットの視界も欠ける。残った視界の端で、アーネストの眼球パーツが外れて落下するのが見えた。
「……イオリ様ならやり遂げると信じてるからです」
スピーカーの向こう側でキーボードを叩く音が聞こえた。オセロットはそれに満足して微笑む。目的のためなら貪欲に動く。それがオセロットが愛したイオリだった。
右足を持ち上げ、相手の膝を蹴り飛ばした。細かな破砕音がして大きな体が左に傾く。それに引きずられるように、僅かに刃が体から抜けた。オセロットは残ったエネルギーを分散して右手を伸ばす。肩に刺さっていたマチェーテを抜き取り、軽く宙に放り投げた。
「あと、女の子の意地です」
落ちて来たマチェーテの持ち手を、壊れた右手で握りしめる。そして、最後の力を振り絞って、刃を横に薙ぎ払った。アーネストの脇腹に減り込んだ刃は、遠慮も躊躇いもなく体を横断する。中心部で一瞬だけ引っかかるような感触があったが、呆気なくそれも破壊された。
切り裂かれた上半身が先に地面に落ち、残された下半身もそれに続く。オセロットは右手に握っていたマチェーテを放り投げると、そのままズルズルと座り込んだ。
「イオリ様……、ハッキングは」
『大丈夫。もうすぐ終わるよ。そうしたら迎えに行くから』
「急がなくて良いです。もうそろそろ機能が停止しますので」
次々と自分の体の機能が停止していくのを感じながらオセロットは呟いた。
『頭脳チップは無傷なんだろ? それなら……』
「私はバックアップ用のアンドロイドです。破損部があれば、自動でフォーマットされます。それを知っていたから、イオリ様は私を工場に連れて行かなかったのに……忘れたのですか?」
『知ってるよ』
スピーカーの向こうでイオリが答える。
『……オセロットのことなら何でも知ってるし、何も忘れない』
「私もです」
機能停止を知らせるカウントダウンが視界に表示される。オセロットはそれを見ても、特に悲しいとは思わなかった。残り少ない「生命」の中で、伝えるべきことは決まっていた。
「イオリ様、大好きです」
『うん、それも知ってる』
それがオセロットというアンドロイドが、最後に聴いた言葉だった。
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