4.合理的な作戦

 病院の屋上は決して綺麗ではなかったし、設置されたベンチには時代遅れの広告が描かれていた。最新設備を揃えた施設でも、人の目に付きにくい場所は簡単に時代から取り残される。

 先ほどから鳴り続けている雷は、雨を齎すまではもう少しかかりそうだった。雨を遮ることの出来ない屋上を使えるリミットはそれ迄となる。


「全く、エストレ・ディスティニーといると楽しくて仕方ないよ」


 皮肉を言いながらイオリはヘッドセットについたマイクのスイッチを入れる。ベンチの上に置いたノート型端末には血痕が残っていたが、モニタ部分に影響はない。画面には無数の疑似スクリーンが展開し、そこには地下道の様子が映し出されている。オセロットが壊したロボットのカメラ機能をジャックしたものだった。


「どうしてって顔してるね。スクラップ予備軍さん」


 唖然としたアーネストの表情を別のモニタで確認しながらイオリは続けた。


「幸いなことに、僕は父さんからあまりお小遣いを貰わないことを信条としていてね。だからモニタが反射する素材で出来ている端末しか買えなかったんだ。お陰でよく見えたよ。ワイヤーで僕の首を掻き切ろうとしてる掃除屋とかね」


『なのでイオリ様は重傷を避けることが出来たのです』


 オセロットの声がそれに続いた。

 病院に運び込まれてすぐにイオリは意識を回復した。そして、自分の代わりにエストレに同行するようにオセロットに頼み込み、眼球パーツの中に遠隔監視ツールを組み込んだ。咄嗟のことだったためツールの調整は間に合わず、イオリが接続するたびにのが欠点だったが、それでも用は足りた。


「要するに、僕とオセロットはずっと情報を連携出来ていた。提案したのはエストレだけどね。彼女のギャンブルに付き合うのは初めてだけど、面白いかなと思ったんだ。何より、あんたが好きな「合理的」ってやつだし」


 イオリは喋りながらもキーボードを叩き続ける。画面の半分を覆ったコンソールには、いくつものコマンドが打ち込まれては流れ、あるサーバに対してのハッキングを試みていた。


「あんたたちは僕というハッカーを退場させて安心していただろうからね。それを利用させてもらったよ。オセロットの目を通じて得た情報を元に、僕は安全にハッキング出来たってわけ」


『わけなのです』


 誇らしげにオセロットが語尾だけ繰り返す。

 どれほどアーネストが動きを早くしようと、五十を超えるカメラに一挙一動を監視されては意味がない。オセロットの解析ビューには今も絶え間なくその情報が流れ込んでいる。


『……利用したというわけだ。君に都合の良いアンドロイドを』


 アーネストは袖口で顔のオイルを拭いながら忌々しそうに呟いた。それに対してイオリは反論しようとしたが、先に少女の声が割り込んだ。


『だったら何ですか?』


『何?』


『私は全て納得したうえでイオリ様やエストレ様に協力してるのです。外野がごちゃごちゃ言わないでくださいませ』


『それが例えばカスタマイズされた感情でも?』


『私はイオリ様が大好きです。これがカスタマイズされた結果なら、それはそれで構いません。でもそれが無いとしても、きっと私はイオリ様が好きです!』


 情緒が幼いアンドロイドゆえの真っ直ぐな言葉に、アーネストは言葉を失っているようだったが、それはモニタ越しに聞いているイオリも一緒だった。キーボードから手を離し、両手で顔を覆う。冷えた空の下で、両の頬は紅潮して熱を放っていた。


「ありがとう、オセロット」


 何とか言葉を絞り出したイオリは、再びキーボードを叩き始める。


「僕がアンフェアを楽しむような人間だと思うのなら、一度人工知能を洗剤で洗うべきだね。こう見えて、ちゃんと体育の授業には出席してるんだから」


 イオリはオセロットの感情回路に細工をしたことはない。元々、母親の遺体を元に作った人工皮膚のことは嫌いだったが、アンドロイド自体には特に悪感情は持っていなかった。無邪気に自分を慕ってくれるオセロットに不誠実なことをしたくないと思うのは、イオリにしてみれば筋の通ったことだった。


『つまり、ハッキングを分担しようとしたわけか』


 疑似スクリーンの中で、アーネストが口を歪めたのが見えた。苦々しい表情でオセロットの向こう側にいるイオリを睨みつけている。


『元々、セントラルバンクに侵入してハッキングをしようとしていた君になら任せられると彼女は踏んだのだろうね。さぞかし楽しかっただろう。私達を出し抜くための作戦は』


「ベースボールよりはね」


『しかし、君は非合理的理由から目的を果たす前に役割を放棄した。あぁ、言いたいことはわかるよ。可愛い可愛いガールフレンドが痛めつけられるのを見ていられなかったとか、そんな下らない理由だろう。本来ならば、静観しているべきだった』


 挑発的な言葉に対して、イオリは涼しい表情を崩さない。病院の屋上を吹き抜ける風が、数時間前に洗った髪に都会の空気を混ぜていく。やがて口元を緩めると、わざとらしく鼻で笑った。


「僕がハッキングを諦めたって思ってるわけだ」


『こちらは君の手の内は把握した。ここから挽回するのは……』


「バーカ。誰がセントラルバンクにハッキングするなんて言ったのさ!」

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