3.取り返すため

「アイスローズに何を頼んだ? 開店祝いと言っていたが、あの店で使うものじゃないだろう」


「終わったらドアストッパーには使えるかもしれないわよ。これは超小型のサーバ。化け物みたいなメモリを積んで、極限まで処理を高めた代物なの」


「何でそんなものを?」


「必要だったのよ。フリージアを取り返すために」


 淡々とした言葉に、シズマは背筋が冷たくなるのを感じた。それが畏怖なのかどうかは、自分でも判別は出来なかった。


「事前に知っていたっていうのか? こういう事態になることを」


「予測を立てただけよ。それでも一週間ではこれがせいぜいだった。ママみたいに綺麗に歯車を回すには、あともうちょっと必要だった」


「一週間?」


 何か引っかかりを覚えたシズマが問いを重ねようとした時だった。


「楽しそうだね。お兄ちゃんも混ぜてよ」


 背後から声がした。シズマが振り返ると、すぐ近くのサーバラックの上にエディが座っていた。照明を浴びた銀色の義足が、嫌味なほどに輝いている。右手に握りこんだ球体から、ワイヤーが何本も垂れて風に揺れていた。


「今度は上からか。暇な奴だな」


 シズマは舌打ちしながら銃を構える。それを見てエディは両目を細めて口角を吊り上げた。右手が宙を掻くように振られ、それに伴いワイヤーソーが動く。エストレが身を潜めているサーバラックの表面に一本がかかり、不協和音を立てながら塗装を削り取った。


「エストレ、そこから動くな!」


 忠告一つを投げかけて、シズマは照準をエディの胸部に合わせる。座っているエディは攻撃を避ける上で不利な状態にある。致命傷は与えられないとしても、動きを封じることは出来ると確信していた。

 引き金にかけた指に力を込める。銃口からレーザーの白い光が真っ直ぐに伸びて、狙い通りにエディの心臓部へと到達するのが見えた。だが、その次に聞こえたのはレーザーが肉を貫く音ではなく、エディの引きつった笑い声だった。


「自分の武器を触られて黙ってるなんて、カラスは優しいねぇ」


 シズマは銃の歯車が、自分が調整した時と異なっていることに気が付いた。レーザーの出力を変更するための歯車に、ワイヤーの細い傷がついている。さきほど、エストレの近くを通過したワイヤーはただの囮であり、本命の一本はカラス弐号の歯車を乱すために投げられていた。


 ワイヤーソーを手から垂らした状態のまま、エディはサーバの側面を蹴って宙に身を投げた。シズマと一メートルほどしか離れていない場所に着地すると同時に、右手を捻ってワイヤーソーを旋回させる。シズマはいつもと全く違う設定に変更された銃を手元に引き寄せたまま、数歩後退した。

 カラス弐号の歯車を調整するのは、シズマにとっては難しいことではない。目を閉じていても、指先の感覚だけで正しい位置を探り当てる自信がある。しかし、エディによって過度に回された歯車を元に戻すには、流石に手探りというわけにはいかなかった。


「面倒なことしやがって」


「だって殺されるのは嫌だもん。お前だってそうでしょ?」


「特にてめぇには殺されたくねぇな。寝起きが悪くなる」


 ワイヤーが宙を掻き、その風切り音がシズマの耳まで届く。それを冷静に見切ってから、まだ弱い威力のままの銃を発砲する。虫すら殺せないほどの空圧弾は、殺傷のためのものではなかった。圧縮された空気がエディの右目に直撃し、その瞬間にワイヤーの軌道が乱れる。弛んだワイヤーの一本を銃身で払いのけたシズマは、歯車を押し込むようにしていつも使う位置に合わせた。


 他のワイヤーが肌を切るのを無視して、もう一歩間合いを詰める。踏み込んだ足音が妙に大きく聞こえる。エディの胸元を左手で捻りあげ、右膝を腹部に当てながら床へと押し倒す。義足が金網に当たって、硬質な音が生じた。

 相手の眉間に銃口を当てたシズマは、短く息を吐いた。


「終わりだ」


「シズマ」


「命乞いなら死んだ後にしろ」


 エディは笑っていた。手を伸ばして、シズマの頬をゆっくりと指でなぞる。そうするのが当然だと言わんばかりだった。シズマはそれを払いのけようとしたが、エディは抵抗するかのように頬を爪で引っ掻いた。


「そろそろお兄ちゃんのところに戻ってきなよ」


 囁くような声に、シズマは全身の体温が一気に下がるのを感じた。

 その感覚をシズマは知っていた。頭の中の血までもが冷たく凍り付いて削られていくような不快感。これ以上何も聞くまいとするかのように耳鳴りが始まる。だがエディは、その逃避を許そうとはしなかった。


「お前がいる世界は「全部嘘」だよ」


 巨大な楔を打ち込まれたかのように、気管が圧迫される。エディの言葉が鼓膜から全身を嬲るように染み込んでいく。やがてそれが一つの意味を持って脳の中へと到達した時、シズマは拒絶するような絶叫を発した。

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