episode8.記憶の結合と分裂

1.ゲームマスター

 ガギンッと自分の振り切ったマチェーテが歪な音を立てたのを、オセロットは「不適合動作」として聴覚した。相手の武器を目掛けて振り下ろしたはずの刃は、鉄板によって遮られている。それはオセロットが破壊したロボットの破片だった。


「なるほど、効率的思考だね」


 アーネストは鉄板を遠くに放り投げて、笑みを浮かべる。自らにインストールした「レーヴァン」の能力に満足している。そんな表情だった。鉄板は壁に衝突し、騒々しい音を立てながら地面へと落ちる。


「アンドロイドの利点は、まさにこれにある。どんな能力もどんな記憶も、インストールしてしまえば良い。人間だとこうはいかないだろう。足掻いて苦しんで、そして結局何も得られないということも往々にしてある。実に非合理的な生き物だ」


 オセロットは揶揄するような相手の口調に、形の良い眉を寄せる。解析ビューには相手の戦闘パターンから読み取った膨大な量のデータが表示されているが、いずれもオセロットと同等かあるいか優れている数値しか表示していない。


「非合理は悪いことではないと思います」


「良いことだとでも? 君がアンドロイドである以上は、それは危険な考えだ。まるで人間じみているし、人間の使う言い訳にそっくりだ」


 アーネストは右足で近くにあった拳大の瓦礫を蹴りあげると、それを左手で受け止めた。ゆっくりと指を曲げて、力を込める。瓦礫は何度か抵抗するような音を立てた後に、粉々に砕けていった。小さな砂利と化したそれを握りしめたまま、アーネストは続ける。


「ところで君は子狐ちゃんが好きなようだが、それは君の意思なのかな?」


「どういう意味ですか」


「そのままだよ。それが本当に、自分の学習機能により目覚めた「好意」なのかと聞いているんだ。言い換えるとすれば、「それは子狐によってインストールされたものではないか」ということだね」


 オセロットは唇を結んで黙り込んだ。男は楽しそうに目を細める。割れた眼球からチリチリと静電気が散っていた。


「君を起動したのはフォックスだ。その時に何らかの恋愛感情に似たプログラムをインストールしたとは考えられないか? だとすれば君が彼に抱いている気持ちは作り物ということになる」


「……貴方の言葉は先ほどからわかりません。意味不明です」


「否定はしないのかな。折角、君が裏切っても良い理由を二つもあげたのに」


 アーネストは手首を少し丸める仕草をしたと思うと、握りしめていた砂利をオセロットに向けて投げつけた。細かく砕かれたコンクリートの破片が視界を僅かに遮る。後ろによけようとしたオセロットだったが、寸前で踏みとどまった。


 隙をついて間合いに入り込んだアーネストが、刀を振りかぶる。それを冷静に見切り、右足を振り上げて刀の鍔を蹴りあげた。踏み込みもせずに放ったために威力はないが、それでも刀としての殺傷力を下げるには十分だった。


 目的は相手のバランスを崩すことだったが、それを確認することもなくオセロットは次の手に転じる。右足を引き、代わりに軽く跳躍。左足を垂直に振り上げる。黒いセーラー服と白い人工皮膚のコントラストも鮮やかに、その蹴りは相手の右肩に到達した。


「第七記憶領域を解放。インデックスを第三条件でソートします」


 足が僅かに押し返された。それと同時に踵を少し浮かせ、そのまま勢いを借りて蹴り飛ばす。カウンターを使った攻撃は、本来であれば暗殺者には不要のものである。だからこそオセロットはその手段を取った。


 アーネストが掻き集めたのが、ACUAに点在していた情報であるならば、それは「暗殺者としてのレーヴァン」である。殺人術に特化した情報が使われたと考えて良い。だが、一方でオセロットは完全なる「レーヴァンそのもの」のバックアップである。レーヴァンにインストールされていても使用しなかった技術も含まれる。


「目標を再ロックしました」


 肩への衝撃をまともに受けたアーネストは、数歩よろめきながらも刀を握り直していた。マチェーテを右手に持ったオセロットは、腕をしならせながら渾身の一撃を叩きこむ。迎撃されることを前提としたそれは、オセロットの予想通り刀によって弾かれた。

 解析ビューが高速で動き、一つの行動パターンを抽出する。それに従い、オセロットは右足の踵を軸にして、弾かれた力を利用して回転した。レーヴァンの筐体では使うことのなかった技法。オセロットの小柄な体でなければ出来ない行動だった。マチェーテの刃を裏返し、背の部分を向ける。回転することにより生じる力を乗せるには、刃物よりも鈍器が適していた。


 振り切ったマチェーテが、アーネストの右脇腹に直撃する。今度は確実に手応えがあった。人工皮膚の下にある骨格が割れる音がして、一瞬だけ警告音が鳴った。すぐに止んだのは、アーネストが痛覚センサーを予め切っていたためだが、まるでその時にセンサーが息絶えたかのような小さな音だった。


「な……っ!」


 思わぬ攻撃にアーネストは驚愕を浮かべて、破損部を手で押さえながら後方に避けた。だが着地の瞬間に膝が僅かに外側に曲がり、大きくよろめく。


「痛覚センサーを切っても、バランス調整機能までは切れないです。元から破損してる貴方になら、この攻撃が有効だと、私の解析メモリは判断しました」


「……なるほど。バックアップ筐体の利点を活かしたのか」


 体勢を立て直したアーネストは、皮肉っぽい口調でそう言った。


「で、それで終わりかな?」


「おひねりでも投げてくれますか。生憎と帽子はないのですけど」


「もう少し踊ってくれたらね」


 アーネストが地面を蹴る。マチェーテを構えたオセロットだったが、柄に込めた力を強めるより先に相手の刀の切っ先が振れていた。力を入れるが間に合わず、刃同士が摩擦を起こして火花を散らす。


「……レーヴァンはとても速かったそうだ。噂話の範疇ではあるけどね。だから、こういうカスタマイズも出来る」


 一度、刃にかかる力が弱まった。オセロットは急いで回避しようとしたが、アーネストはそれを許さなかった。無防備になった腹部に右足の蹴りが入る。オセロットの視覚はそれを捉えていたが、反応することが出来なかった。

 軽い体は呆気なく弾き飛ばされ、地面へと打ち付けられる。ロボットの破片がいくつもその体に食い込み、人工皮膚を細かく裂いた。


「言っただろう。君が持ちえないレーヴァンの能力を使えると。それが嘘だろうと本当だろうとね。いくら君が技巧を凝らしても、速さで上回ることは出来ない」


「わざわざご説明どうもです。ゲームだったらおしゃべりな敵は自滅してますよ」


 その言い方が面白かったのか、アーネストは頭を少し右に傾けるようにして笑った。その顔はもう殆どがオイルによって汚れている。見た目より出ている量は少ないのか、動作に影響を及ぼしている気配はない。


「忠告はありがたく受け止めるよ。しかし、これは現実だ。ゲームのようにはいかない。君は私には追い付けない。この事実を覆すことは出来ない」


 刀を左手で構えたアーネストは、ひび割れた眼球を動かしてオセロットを目標に定める。


「これで終わりだよ、子猫ちゃん」


 地面を蹴り、再び接近したアーネストをオセロットの瞳は静かに見ていた。その目の奥で、赤い光が一際強く瞬く。刀が振り下ろされる刹那、少女は可憐な唇を開いた。


「残念ながら、このゲームにおけるマスターは僕なんだよ」


 マチェーテが刀を受け止める音が甲高く通路に響いた。それは狐の鳴き声に似ていた。

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