10.緻密遊戯

「さっきは素敵なウェルカムボードをありがとうよ。これはほんの返礼だ」


「気に入ってくれたなら作った甲斐があったよ」


 シズマは銃を下ろさぬまま、エストレに一瞥を向ける。


「ワインとパンの準備は出来たか、赤ずきんリトルレッド。花を摘む余裕はねぇぞ」


「お見舞いの品なら山ほど持ってるわ。病気の老婆が裸足で駆けるほどの」


 エストレはすぐ近くにあるサーバの傍に屈みこむと、持ってきたタブレット端末をコードで接続する。それを見てエディが馬鹿にしたような笑みを零した。


「舐められたもんだねぇ。絢爛相手にそのタブレットだけで対抗するつもり? 少なくともミドルタワーくらい持ってきてくれないと興醒めだよぉ」


「あら、そんなに見くびられるとは逆に光栄ね。今からでも遅くないから、拍手の練習でもしてなさい」


 負けじと返すエストレに、エディは不快を覚えて眉間に皺を寄せる。

 エディにとって、全ての物事は自分が「悪用」するための踏み台だった。ありとあらゆるものを利用して、エディは自分の望みを叶えて来た。だが目の前で不敵な笑みを浮かべる女は別である。コントロール・センターのサーバ室に乗り込んできたエストレは、エディの計画にほんの僅かであるが狂いを与えた。そして今も、同じ目的のために立っている。


「生意気なのは短所だよ、お嬢さん。シズマも子狐ちゃんも、そうやって誑し込んだってわけ?」


「お見合いじゃあるまいし、長所と短所を貴方に知ってもらわなくても結構よ」


「……幸いなことに、生意気なお喋り女は俺の趣味じゃない。シズマみたいに言うこと聞いてくれる素直な弟は好きだけど」


「冗談言うな。何で俺がてめぇの言うこと聞かなきゃいけねぇんだよ」


 シズマは吐き捨てるように言ったが、エディは口元に笑みを浮かべて小首を傾げる仕草をした。


「反抗期? でもお兄ちゃんは優しいから、お尻叩くぐらいで許してあげるよ」


 エディは右手を中空に上げる。シズマはその指先に何か細い光が揺れるのを見た。今までは天井からの照明により不可視化されていたものが、右手が作った影によって浮かび上がったものだった。

 手すりから天井に張り詰められたピアノ線を、エディは躊躇なく弾く。元から切れ込みでも入っていたのか、音もなく糸は切れた。その瞬間、安い金属や硝子片を一気にぶちまけたような轟音が響き渡る。


「音響爆弾か!」


 思わず耳を抑えたシズマは、一瞬だけエディから目を離してしまった。平衡感覚すら乱す音の嵐の中、なんとか意識を集中する。音はあらゆる物質の共鳴を誘い、可能な限りの不快音で部屋を満たそうとしていた。


 視界にエディの青い髪が入る。手すりを飛び越えて下へ移動したのだろうが、この音の中ではそれすらも憶測に過ぎなかった。銃を前方に構え、空圧砲を放つ。だが、撃つ瞬間に僅かに照準が乱れた。無理に平衡感覚を取り戻そうとしたが故の失敗に気が付いた時には、エディは間合いに入っていた。歪んだ笑みを浮かべた唇がゆっくりと動く。轟音で麻痺した耳に頼らずとも、何を言っているのかは理解出来た。


「お兄ちゃんと遊んでよ」


 鋭い痛みが頬を撫でる。ワイヤーが投擲されたことに気付くと、シズマは右側に跳躍した。既に音は止みつつある。だが完全に体の感覚が戻ったわけではない。相手に先手を取らせた失態に思わず舌打ちを零したが、鼓膜はそれを拾い上げてはくれず、体の中で籠った反響があっただけだった。


「遊んでやるよ、クソッタレ。ケツの穴増やして、そこから空気入れてやる」


 銃の側面に並んだ歯車を回し、レーザーの出力を上げる。至近距離にいるエディに照準を合わせるのは、二度目ともなれば容易だった。頭ではなく胴体を狙って引き金を引く。エディはその行動を見切っていたように避けたが、服の一部が焼け焦げて匂いを放った。


「遅ぉい、よっ!」


 右手に握りしめた球体からワイヤーが放たれる。照明を浴びて微かに光る軌跡を頼りにシズマは空圧砲で迎撃する。互いの武器の特性上、まともにぶつかっても勝機はない。ワイヤーの軌道を乱し、直撃を避けるのが、この場合の最善手だった。

 エディは自分の攻撃が外れたことを悟ると、球体の左右にあるパーツを押し込んでワイヤーを巻き取った。小さな笑いだけを残して、サーバの陰へと姿を隠す。


 それを追いかけようとした時、パスン、とどこか気の抜けた音が銃口から零れた。銃口内の空気が無くなった合図だった。シズマは器用に片手で銃を回転させ、補充口に空気を送り込む。近くのサーバの陰に滑り込み、歯車の調整を行いながら、少し離れた場所で端末の操作をしているエストレへと声を掛けた。


「無事か?」


「えぇ、さっきまで耳の中でドゥカティのバイクが走り回っていたことを除けばね」


 エストレがいるのは、二つのサーバが並ぶ狭間だった。エディに狙われれば一溜まりもないが、そこを狙うにはシズマの前に姿を晒す必要がある。

 エディの武器は半径二メートルのみ有効であり、近距離戦では脅威となるが、それ以上の距離がある場合はシズマのほうが有利となる。状況から考えて、エディがエストレを直接狙う可能性は低いとシズマは考えていた。


「どのぐらいかかる?」


「急かさないで頂戴。手元が狂うわ」


「いつからそんなにナイーブになったんだ?」


「今日からよ」


 エストレはタブレットを操作する手を止め、足元から何かを取った。シズマの位置からだとよく見えなかったが、それは銀色の筐体をした装置に見えた。片手で持ち上げられるほど小さいが、エストレの指先が白くなっている点を見ると、見た目に対して重量があるらしい。


「こんなの持ってたらナイーブにもなるわ」


「あぁ、わざわざ持ってきたやつか。それも端末か?」


「貴方が持ってきてくれたんじゃない」


 エストレは少し振り返り、笑みを見せる。シズマはアイスローズから受け取った「贈り物」のことを思い出した。確かに大きさは同じに見える。金属の塊のような重さがあったことも覚えている。


 だが、どうしてそれをエストレが持ってきたのかはわからなかった。否、それがエストレにとってハッキングに必要なものであることはわかる。わからないのは、何故エストレがそれを用意出来たかだった。


 episode7 end and...

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