4.雷鳴を彼方に

 雷鳴が遠くで聞こえた。シズマは思わず上を見たが、そこには無機質な色をした天井が、我関せずとばかりに視界を覆っている。音は天井に張り巡らされたダクトから聞こえているようだった。その証拠に、流行歌のメロディも微かに混じっている。

 大人二人が腕を伸ばして眠れるほどに広い通路は、両側の壁から所々突き出したパイプや排気口のせいで実際よりも狭く思えた。高い天井も平坦な床も、特にプラスの要素にはならない。


「雨が降ってきたな。この地下道には影響はないのか」


「どこかは影響あるかもしれないわね。何しろ古い上に色々と増設をしたようだから」


 エストレは銀色の髪を指で梳かすようにしながら言った。動きやすくするためかカーゴパンツに半袖のシャツという出で立ちであるが、あまり似合ってはいない。上から羽織った黒いパーカーには、地下道に入る時に擦った壁の塗料が付着していた。


 二人がいるのは、地下隧道の一角だった。二日前にエディと入ったのは別のルートからだが、どこかで合流することは間違いない。ただ、エストレによれば先日の一件でセキュリティが強化されたらしく、コントロール・センターに繋がる分岐点は全て封鎖されているということだった。

 前方には薄暗い道が続き、後ろを振り返れば今しがた開けたばかりの赤錆に塗れた扉が見える。それを隔てた向こう側には駅地下の商店街がある。最も、殆ど人通りのない場所で、アンドロイドの修理工場が一つあるだけだった。


「山猫はどうした? そろそろ持ち場に着くはずだろ」


「女の子を待つのは男の甲斐性よ」


「便利な言葉だな。それで俺の時間をビュッフェみたいに食い散らかそうって腹か」


『時間なんて食べません』


 二人の耳に装着した骨伝導イヤホンから、オセロットの声が響いた。


『シズマ様は食べるのですか?』


「食べねぇよ。山猫、配置につけたか?」


『はい。地下隧道への侵入口、D-5に到着しました。一キロメートル先にセントラル・バンクを確認』


「直線距離は近いけど」


 エストレが口を開いた。感度を気にするかのように、指でイヤホンの位置を微調整している。


「場所柄、防犯装置が仕掛けてある場所も多いわ。慎重に進んでね」


『了解です。障害物があった場合はどうしますか?』


「成るべく避けて通りましょう。手荒なことは私の趣味じゃないし、イオリも望まない。でも相手が恐ろしく勘の悪い坊やだった場合は……」


「尻をスリッパでぶったたくんだな。鉄で出来た刃がついてるスリッパで」


 クッ、と絞り出すような笑みと共にシズマが言うと、オセロットは明るい声でそれを承諾した。エストレはそのやり取りを待ってから、仕切り直すために声のトーンを少し上げた。


「作戦は昨日話した通り。基本的に変更は無し。必要に応じて各々対応すること。目的さえ揺るがなければ、作戦が自滅することはないわ」


「自滅した場合はどうするんだ? バーでチョコレートドリンクで酔いつぶれるのか?」


「そしてシャワーを浴びて死神と寝るのよ」


『明朝のアラームは忘れずに、です』


 一際大きな雷鳴が、ダクトから響いた。それを契機にシズマは奥へ足を踏み出す。右手に持った愛銃の歯車に親指を掛けると、いつものようにカチリと回した。


「エストレ、目的地まではどのぐらいだ?」


「こっちはオセロットと違ってすぐに到着するわ。石橋を爆破しながら渡っても一時間はかからないわね。問題は侵入した後よ」


 二人分の足音が、空虚な通路に反響する。どこかで雨漏りしているらしく、壁や天井に水滴がにじみ出ている箇所が見受けられた。シズマはそれらに気を配りながら、何となく疑問を相手に投げかけた。


「お前はフリージアと親しかったのか?」


「そうね、貴方よりは頻繁に会っていたわ」


 足元に注意しながら歩くエストレは、シズマより一歩半遅れながら答えた。前かがみになっているために、シャツの胸元が少し緩み、普段は隠れている胸部の傷跡が覗いている。一年前にそこにシズマは銃弾を撃ち込んだ。


「だから取り戻そうと思ったのか?」


「それは少し違うわ。最初に言ったけど、私は自分で決められなかったのよ。私はフリージアの存在について明確に決められるほど、必要とはしていない」


「哲学か?」


「もっと簡単な話よ。貴方にはフリージアが必要だと思うから、私はわざわざ危険を侵して会いに来た」

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