3.暗き部屋の底で

 ドロリとした感触が、脳の皺の一つ一つに絡みついているようだった。エディは懐かしい夢から解放されたことを喜ぶように口角を片方だけ吊り上げる。寝起きの頭を覚醒するために両手で顔を覆い、大きく息を零せば、その音を聞き止めたのかアーネストが声を掛けて来た。


「起きたか」


「んー、寝てる」


 横たわったソファーは仮眠用には出来ていないが、エディには十分に柔らかかった。欲を言えば使っている人工革の色が気に入らないが、薄暗い室内ではその主張も大した意味を持たない。


 エンデ・バルター社の地下にある作業部屋には室内灯が存在しない。それはこの作業部屋を使うのがアンドロイドであることを示している。視覚光源調整を行えば、完全な暗闇でもない限り視界に困ることはない。


 但し、標準の設定を故意に変更することはアンドロイドの動力を余計に消費することになるので全ての空間において室内灯を設けないわけにはいかない。あくまで短時間かつ室内灯を使わないメリットが高い場所のみ、照明を設置しないことが認められている。


「起きているようにしか見えない」


「見えるだけなら何でも言えるよ。俺だってこの部屋がヴェルサイユ宮殿に見える」


 相手の素っ気ない返事に失望しながら、エディは体を起こした。傍らのテーブルに置いた直方体の光源が、エディの動作に反応してゆらゆらと光り始める。レッドタワー近くの小屋から持ってきたそれは、思いの外良い働きをしてくれていた。


「んで、そっちはどーお?」


「やはり、外部からメタデータが大量に送り込まれているようだ。絢爛のデータ可視化機能で漸く掴めた」


 二人がレッドタワー近くにあった管理小屋を引き払って、エンデ・バルター社の地下に移動したのは、噂話の処理速度が格段に落ちたためだった。ネットワーク上の情報を集積し、分析、更にそれを加工する一連の動作に想定の倍以上の時間が掛かっており、このままでは各企業との契約において「弱点」に成りかねない。その原因を探るため、直接サーバを操作することが出来る場所に拠点を移動した。


「ここ、暗いから嫌なんだよね。だからわざわざレッドタワーのところに隠れ家作ったのに」


 直方体の光源を手で弄びながらエディは零す。勿論、ただそれだけで管理小屋を拠点として訳ではない。レッドタワーを中心に展開される公的ネットワークを使って、ACUAを素早く乗っ取るためだった。

 その意味で言えば、もはやあの場所に用事は無い。エディは不要なものは素早く切り捨てる性質だった。母親も、足への未練も、何もかも。


「メタデータの発信源は一つ?」


「巧妙に加工されているが、多分ハラジュクの何処かから複数の仮想基盤を用いて拡散されたものだ。単純な構造だが、それゆえに排除がしづらい」


「……恣意的に攻撃してるってことか」


 エディの脳裏に浮かんだ人物は一人だけだった。企業による攻撃であれば、もっと複雑なものにしたうえで、トーキョー内のネットワークなど使わない。かといって個人が思い付きで行うには、ACUAの持つ性質を理解しすぎている。


「とりあえず、そのメタデータはブロックしたいな。出来る?」


「なんて軽々しいのだろうね。もしかして私は積み木遊びでもしているのか? 色々なブロックを積み重ねて、家や子犬を作るあの遊びだ」


「崩れると子供が大泣きするやつね。大丈夫、失敗しても俺は泣かない」


「私の失敗を笑って楽しむのがお前の流儀だからな。そんな紳士的なイカレ野郎に朗報だ」


 アーネストは天井から吊り下げた巨大なモニタを指さした。その明るすぎる輝度のせいで、指のシルエットは黒一色に染まり、人工皮膚特有の関節部の歪みまでよく見える。


「絢爛が拾い上げた「噂話」だ。どうやらエストレ・ディスティニーは山猫を一人でお使いに出させるみたいだぞ」


 モニタに表示されているのは、会話を断片的に文章化したものだった。たった一日で爆発的な売上となったウィッチには、周囲の情報を収集して定期的にサーバに送る仕組みが実装されている。ユーザは絢爛から一方的に情報を得ているようで、実際にはその一部を自分たちで担っているということになる。

 二人が見ているのは、ある喫茶店で働くアンドロイドが使っているウィッチのデータだった。


「初めてのお使いには見守る人が必要だと思うけどね。随分スパルタなママだこと。代わりに行ってきてあげたら? 折角だし、さ」


「辿り着いたら抱きしめて頭を撫でてやればいいんだろう?」


 アーネストはエディの言葉に対して軽口で返した。モニタの前に手を翳して、虚空を撫でる動作をする。


「私の場合は愛情表現が過ぎて首をもいでしまうかもしれないが」


「いいよ。シズマ以外ならどうなったって」


 吐き捨てるようにエディは言った。そこには一片の躊躇いもない。エディにとってシズマは、不要な物を切り捨て続けてきた人生において唯一固執する物だった。

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