2.賭けの勝算

「だから暗証キーが欲しかったんだろ?」


「貴方、キャンディーを買うのに文具屋に行くタイプなの? ACUAは噂話を操るネットワーク。ハッキングの足掛かりにする場所じゃないわ。ましてセントラルバンクのセキュリティはこの国の中でもトップクラスのセキュリティを誇るんだし」


「じゃあなんだよ」


 眉を寄せてシズマが問うと、エストレは出来の悪い生徒に言い聞かせるような柔らかい声音を使って続けた。


「イオリはセントラルバンクに侵入するためのルートを探そうとしていたのよ。ACUAを使えば、セントラルバンクにまつわる噂話を一気に集めることが出来る。普通のハッキングでは探すことの出来ない、「ネコの抜け道」とか「掃除のために開いている窓」の情報がね」


「まさか、直接中に乗り込んでハッキングを仕掛けようとしたのか?」


「その可能性は高いと思います」


 オセロットが横から口を挟んだ。


「イオリ様は、一人でバーコードを手に入れようとしていました。私がお手伝いを申し出ても断られましたし」


「……本当にそうかしら?」


 静かな疑問符がエストレの口から零れた。天井に投射された時刻が動き、光源の位置が僅かに変化する。


「イオリはセントラルバンクに忍び込むためにACUAを動かしたかった。それは一人で乗り込んで、山猫ちゃんにプレゼントを持ってくるため。それって矛盾してるわ」


「何がだ? あのガキが一度決めたら頑なだってことは知ってるだろ。鉄骨のほうが熱すれば曲がるだけ素直だ」


「それは知っているわよ。じゃあ仮にイオリが一人で成し遂げたいと思っていたとするわ。どうしてブルーピーコックを調べに行く時にシズマに同行を求めたのよ?」


 単純なまでのその疑問にシズマは口を噤む。イオリの性格上、もし最初から一人で行動するつもりであれば、ACUAが止まった程度で他者に助けを求めるとは思えなかった。

 そもそもイオリは、自分にハッキング以外の能力がないことを自覚している。いくらセキュリティの穴がわかったとしても、単独で乗り込むほどの体力や運動神経がないことぐらいは理解している筈だった。


「元々、誰かに協力してもらうつもりだったって言うのか?」


「一年前にそうしたようにね」


 シズマは一度瞬きをした。ジリッと眼窩を囲む筋肉が収縮する音が脳内に響く。それが消えるのを待ってから、自信なく口を開いた。


「……フリージア、か?」


「だと思うわ。イオリはフリージアに「自分をセントラルバンクまで運べ」と依頼していたんじゃないかしら。フリージアが消えて、イオリは戸惑った筈よ。だって自分一人ではどうしても出来ない計画を立てていたんですもの」


「あいつはフリージアの存在に気付いていたのか?」


「明確でないにしても、何か感じ取っていたとは思うわ。だからシズマに頼んででもACUAを動かしたかった。そう考えると辻褄が合う」


 シズマが未だに困惑を浮かべるのを捨て置いて、エストレは興奮気味に続けた。


「イオリはそれらの情報をフリージアに渡すつもりだったに違いないわ。つまりACUAを動かすことが出来れば、私はフリージアをシズマに返すことが出来るし、シズマはヴァルチャーに一矢報いることが出来る。山猫ちゃんはイオリからプレゼントを貰うことが出来る。素晴らしいわ。サンタクロースに転職出来るかも」


「出来すぎた話だ。詐欺じゃないだろうな?」


「詐欺でもこの際、良いじゃない。清く正しく生きているわけじゃないもの」


 悪戯っぽくエストレは言う。シズマはそれに少し言い返したくなったが、気の利いた言葉は出なかった。自分の考える「清く正しい生き方」とエストレの考えるそれが一致している自信が無かったためだった。


「オセロットにはセントラルバンクに向かってもらい、私たちはそれより先にエンデ・バルター社に乗り込み……」


 指を鳴らす乾いた音が、カップの中の液体を揺らした。


「絢爛が制御しているACUAのコピーを停止する。会社の中のメインネットワークに侵入すれば容易な筈よ。絢爛からは本来のACUAにアクセスが出来るはず。そうじゃないとコピーなんか作れないもの」


「そうすればACUAが復活するってか」


「そしてイオリが調べていた情報……セントラルバンクへの侵入経路をオセロットへ転送する」


 オセロットは心得たように一度頷いた。


「中に侵入すれば良いのですね? ネットワークを繋ぐために」


「その通り。貸金庫の暗証キーか私の口座のパスコード、どちらか一方だけでもハッキングで手に入れれば口座の中のお金を移動することが出来る。そのためには山猫ちゃんがセントラルバンクのメインネットワークのアクセスコードを解析する必要がある」


「前にイオリ様にお願いして、ネットワーク技術に関するプログラムをいくつかインストールして貰いました。お役に立てると思います」


 生き生きとした口調で少女型のアンドロイドは答えた。誰かの役に立つことが嬉しいのか、それともイオリへの恋慕に似た感情がそうさせるのかは不明だった。アンドロイドの自立型思考回路は人間とほぼ変わらないとされている。だが違法に作られたオセロットの思考回路がどのような仕組みになっているかは、その頭蓋のチップを分析しなければわからない。


「絢爛と私のお金、どちらも取り上げてしまえば彼らの野望は潰える」


「そりゃいい。寝物語には最高のハッピーエンドだ。ところで、勝算は?」


 シズマの問いかけに、エストレは少し驚いたような顔で振り向いたが、そこにある表情が一種の期待を込めたものだと言うことに気が付くと、芝居がかった仕草で右目を瞑った。


「貴方が決めていいわ」

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