episode7.忘却と想起の狭間で
1.インストールする猫
オセロットの眼の奥で、チカチカと赤い光が走る。
「インストールしました」
「解析出来る?」
「少々お待ちください。あまり静的思考メモリを積んでいないので」
シンジュク繁華街から少し外れた場所にある喫茶店は、レトロ感を売りにした内装をしている。天井から下がった液体プラスチックの照明や、床を覆う偏光素材などは、古い映画の中でしか見ることがない代物だった。壁に掛けられた無重力オブジェが規則的に球体を動かし、球体から放射されたレーザー光が天井に時刻を映し出す。
「ちょっと凝りすぎね」
エストレがアイスコーヒーを一口飲んでから言った。シズマはオブジェから視線を外して、隣に座る相手を見る。
テーブルを挟んで向かいに座ったオセロットはこめかみを抑えながら何やら考え込む仕草をしていて、当分戻ってきそうになかった。
「過剰な装飾というやつだわ」
「これぐらいの方がわかりやすいだろ。コーノなんか好きそうだ」
「あの人は古い映画のシチュエーションが好きなだけだと思うわ」
テーブルの上には三つのグラスが置かれている。エストレとシズマはアイスコーヒーだが、オセロットのグラスには経口洗浄液が入っていた。
アンドロイドは食事の必要はなく、特殊な筐体でない限りは食道も味覚も存在しない。しかし、発声するために人間の気道や肺に似せたパーツは搭載されている。経口洗浄液はそれらのパーツに付着したゴミなどを電子分解してくれるものであり、飲食店ではアンドロイド限定で販売していた。
誤って人間が飲んでも害はないように調整されているが、「経口洗浄液を間違えて飲んで吐いた」という笑い話はあらゆる場所に転がっている。
「解析モードに移行しました」
オセロットが笑顔を浮かべてそう言うと、エストレは小さく頷いた。
「意外と早いわね」
「でも性能はあまりよくないです。必要最低限しか積まれていないので」
「この際、精度は求めないわ。貴女にインストールしてもらったのは、トーキョーの地下に張り巡らされた地下隧道の地図よ。その中のN88ポイントにフォーカスして」
エストレは自分の手元にタブレットを取り出し、同じデータを画面に表示させながら告げる。しかし、その台詞が画面を起動するより先に出たのをシズマは聞き逃さなかった。
「お前、いつ覚えたんだ?」
「何が?」
「アイスローズにデータ貰ってから今まで、中身の確認なんかしてなかっただろ」
そう指摘すると、エストレは大仰に顔を顰めて首を横に振った。
「タブレットにインストールする時に少し見たじゃない」
「一瞬だろうが」
「昔から暗記力はいいのよ。運動神経はさっぱりだけど。お陰で女の子にはモテなかったわね」
タブレットに細い指が走り、一点をタップする。座標を示す数字とそこにある建築物の情報が半透明のバルーンで表示された。バルーンの枠は棘の生えた蔓を模したものになっており、エストレの指が動くのに合わせて青い薔薇が咲いては枯れていく。
「エンデ・バルター社の地下にネットワークが複数集結しているのがわかる?」
「はい。いくつかはこの会社で作られたもののようです。……でも数が多すぎます」
「恐らく、ACUAを乗っ取るために用意された疑似ネットワークね。いくつかのアクセスポイントを結合して、クローンを作る。情報を掻き集めるのには最適な方法よ」
「つまり、此処にスーパーコンピュータ「絢爛」があるのでしょうか」
「これだけの量のネットワークを制御するには普通のサーバでは無理よ。まず間違いないわ。もし違うとしても、このネットワークを無効化すればウィッチは力を失う」
オセロットは両目を何度か瞬きさせると、右手の人差し指で自分の唇を軽くなぞった。
「此処に潜入するのですか?」
「私たちはね。貴女には別の場所に行ってもらう。G19ポイントにフォーカスして」
「……アクセスしました。アジアコミュニティ系列、セントラルバンク」
シズマはそれを聞いて目を見開いた。横で涼しい顔をしているエストレに顔を向け、口を開く。
「冗談だろ。あんなところに忍び込むつもりか」
「彼らはセントラルバンクにあるお金を流用したい筈よ。私の預金口座が空になれば彼らは困る筈。でも恐らく、彼らは私が口座のお金を動かせないのを悟っている」
指を弾く音が店内に響く。仕事に従事していたアンドロイドが怪訝そうに顔を向けたが、他に客もいないせいか注意する素振りはなかった。
「彼らは私がセントラルバンクに行くと思うでしょうね。父が作ったとは言え、私個人の口座だもの。私が自分の身分を証明出来れば、口座のパスワードを再発行出来る」
「じゃあさっさとやっておけよ。こういう事態になる前に」
「出来ないのよ。父が口座を作る時に私を「アンドロイド」として書類を作成してしまったから。それもわざわざバーコードまで用意してね」
「そういやクソガキが、お前の父親の貸金庫の暗証キーを欲しがってたな。それもセントラルバンクか」
「貸金庫?」
シズマは、イオリが貸金庫に入っているであろうエストレのバーコードを欲しがっていたことを説明した。エストレは興味深そうに何度か頷きながら聞いていたが、話が終わると嫣然と微笑んだ。
「それに目を付けるなんて、流石はイオリだわ。でもどうしてそれを手に入れるのにACUAを動かす必要があったのかしら?」
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