9.善なる犠牲
消毒液の臭いが鼻をつく。まだ幼さを残す少年は口の中に入れた飴を舐めながら、昨日より短くなった自分の右足を見ていた。母親はきっと今頃、勝てもしないギャンブルに興じているころだろう。息子を切り取って作った金だということを百も承知の上で。
先日持ってきた「戦利品」が口の中の飴玉一つであることを考えれば、今日の結果も自ずと知れる。
「父親」はこの頃は人工皮膚の研究に明け暮れているようだった。皮膚組織を特殊な薬品に漬けて、そこにナノマシンを投入して細胞そのものを変質させる実験らしいが、別にエディは興味がなかった。例えその実験に自分の皮膚や肉が使われていたとしても。切り取られた足は既にエディのものではなくて、ただの肉の塊に過ぎない。
「多分、あの男は「善人」なんだよね」
飴を口の中で転がす。人工甘味料の成分が喉を刺激した。ただ、強烈な消毒液の臭いのほうが強すぎて味はよくわからない。
「小さな犠牲で多くの命を救うのが好きみたい。コストパフォーマンスがいいんだって。要するに俺たちは皆の幸せから切り捨てられたってこと」
声は空しく部屋に響く。「父親」はコスト削減のためにエディの足の処理を完璧に行い、化膿させたり傷を悪化させる真似はしなかった。
並んだベッドはカーテンだけで仕切られて、空調の音だけが微かに聞こえる。エディは自分の声がそれなりに響くのを確認するように、何度か無意味な音を放ってから隣のベッドを見た。
「ねぇ、聞いてる?」
返事はない。白いカーテンの向こうにある気配は身じろぎすらしない。それでもエディは構わずに話し続けた。こうして話していられるだけ自分は幸福だとエディは思っていた。
「あの男は俺に義足をくれるらしいよ。ということは今度は左足を削る気だろうね。流石にそれは勘弁願いたいかなって思うんだよ」
エディは枕の下に手を滑り込ませると、そこに隠していたメスを握りしめた。人工水晶で出来た美しい刃にエディの茶色い髪が映りこむ。母親譲りのそれを、いつか青く染めるのが夢だった。
メスの柄の方を、カーテンの隙間から向こう側へ差し出す。
「お前をあの男から守ってあげる。だから、俺のお願い事訊いてくれない?」
カーテンの向こうで微かに動く気配がした。エディはそれに気付いて口角を吊り上げる。
エディは「悪用」が得意だった。手に入れたものは知識でも物体でも人でも、なんでも利用する。しかし一つとして適切に使われることはない。エディはそれに罪悪感を覚えることはなかった。例え悪用するのが、自分より小さな子供だとしても。
「お兄ちゃんの言うこと聞いてくれるよね?」
カーテンの向こうでメスが握られる。その微かな感触を掌に感じて、エディは興奮を覚えた。どこまでも白く、どこまでも清潔なこの地獄の中に、二人の命と息吹だけが存在していた。
episode6 end and...
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