7.アナログとデジタル
半壊したフェンスの上で、自分と同じ名前の鳥が黒い羽を広げてギイギイと鳴いているのをシズマは黙って見つめていた。毛羽立った翼には油の膜が張っている。恐らくどこかで廃油を浴びたものと思われた。
「カラス」
唐突に名前を呼ばれて、シズマは我に返る。それと同時に狭い店内に流れる古い歌謡曲が耳に入り込んできた。
いつも孤独なの いつも泣いているの
この川を長く伸びた爪で漕いで 貴方のところまで行けたなら
「友達とご歓談中のところすまないね」
「気にするな、あいつとはジュニアスクールで席が隣だったんだ」
窓の向こうの油まみれのカラスは、不自由に羽を動かしながら視界の外へと消えた。
アイスローズはそれには目もくれず、カウンターの上にグラスを置いて、その中に酒を注いだ。安いウイスキー特有の、くどいまでの琥珀色がグラスを満たす。
「フォックスが入院したっていうのは本当のようだね」
「……どうやって知った?」
「これさ」
アイスローズは酒瓶の置かれた棚に引っかかっている、小さな装置を指さした。シズマの隣に座ったエストレが、それを見て声を出す。
「ウィッチね。貴女が買うとは驚きだわ。アナログな情報屋だと思っていたのに」
「アナログだからこそさ」
開店準備中の店内には、シズマを含めて三人しかいなかった。オセロットは少し離れた場所にある喫茶店で「留守番」をしている。流石にこの界隈にセーラー服の女の子は浮く、と言ったのはエストレであるが、シズマから見れば彼女も同じぐらい不自然な存在だった。
「デジタルもアナログも、それぞれ一長一短だ。だけど、どちらかに傾倒してしまうと本質を見失う。ネットに書いてあることは全部正しくて、主婦の井戸端会議はくだらない、なんて考える奴は情報屋には向いてないよ」
「しかし実際、役に立たないことばかり喋ってないか?」
シズマがそう言うと、アイスローズは鼻で笑った。
「それはあんたが無能なんだよ。アタシなら「魚が安くなった」って情報だけで明日の株式の暴落を予言出来る」
「だったら株で儲けて店の内装をどうにかしろよ」
「生憎、絶対勝てる勝負に興味はないのさ」
そんな言葉と共に、もう一つグラスがカウンターに置かれる。その中にはメモリチップが二つ入っていた。
「頼まれたものは用意したよ。トーキョーの地下隧道の網羅図だ。公的に発表されているものと、下水道のマップから割り出した有効経路、二つのデータをマージしたものだ。かなり正確になっている筈だよ」
「ありがとう」
エストレが礼を述べてグラスを手に取る。華奢な手首に店内の照明と外からの陽光が当たって、細やかな陰影を生み出すのを見つめながら、アイスローズは溜息をついた。
「出来ることなら、お嬢さん。あんたにはこういう道に踏み込んでほしくないね」
「踏み込んでいるわけじゃないわ。歩いてたら偶然道が繋がっていたのよ」
「アタシには無理矢理ブルドーザーで道を繋げたようにしか見えないけどね」
「じゃあ後で立ち入り禁止の看板でも立てておくわ。境界線だけ教えてくれる?」
メモリチップをグラスの中から摘まみ上げたエストレは、それを指先で挟むようにしながらアイスローズに視線を向ける。
「もう一枚は?」
「一緒に頼まれた、掃除屋ヴァルチャーについての調査結果。といってもカラスのほうが詳しいかもしれないけどね」
揶揄するような口調に、シズマは眉間に皺を刻む。
「詳しくねぇよ」
「兄弟仲良くすべきだよ。血は水より濃いって言うだろう?」
「兄弟じゃねぇし、濃いからなんだってんだ。濃いのがいいならシンジュクに行くんだな。チーズドッグ売ってる店が山ほどある」
アイスローズは肩を竦めながら、空いたグラスに同じウイスキーを注いでシズマの方へ差し出した。
「アタシも職業柄、ヴァルチャーには色々融通してやったけどね。あんたと一緒にいるのは殆ど見たことがなかった。いつ頃からの付き合いなんだい?」
「忘れた。何でそんなこと覚えてなきゃいけねぇんだよ」
面倒そうにシズマは答えて、グラスの中の酒を煽った。度数だけ高く、味の殆どしない液体が喉の奥へと流れ込む。喉から胃までが焼け付くような感覚を味わいながら、シズマはそれを紛らわせるかのように口を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます