6.とても良い子

 モニタの中に羅列されたデータの変動を見ていたエディは、少しだけ首を反るようにして大欠伸をした。先ほどから試みているセントラルバンクへのアクセスは、二重三重のセキュリティウォールに阻まれて上手く進まない。本来のACUAか、あるいはそれを操る管理者であれば容易なのかもしれなかったが、今のエディにはそのどちらも遠い存在だった。


「子狐ちゃんを持ってくればよかったかな」


「厄介ごとを増やすのはよせ。アクセス出来ないと言っても、完全に弾かれているわけではない。どこかに穴がある筈だ」


 アーネストの言葉にエディは肩を竦める。


「わかってるよぉ。それにあの子狐ちゃんはカラスより使いにくそうだし」

「あの殺し屋も使い勝手が良いとは思えないがな」


 メインコンピュータではない、小型の端末を操作しながらアーネストは言う。その小さなモニタでは何かのプログラムが実行されていることを示すパーセンテージが表示されていた。端末に接続されたコードは緩く長く伸びて、アーネストの首のコネクタに繋がっている。


「えー、カラスはとっても良い子だよ。何しろ俺の弟だもの」


「何一つ説得力に欠ける。……データダウンロード完了」


 モニタに表示された数値が動かなくなると、アーネストはコードを抜き取った。少々乱暴な手つきだったため、切断音が端末のスピーカーから零れる。


「やはりお前が見た女は「エストレ・ディスティニー」で間違いない。アーカイバに残ってた」


「こっちに転送出来る?」


「待ってろ」


 アーネストが端末を操作すると、エディが見ているモニタに黒いウィンドウが起動した。制服姿の少女が、強い眼差しを向けた画像が展開する。髪の長さや化粧の有無は異なるが、エディはそれがシズマと一緒に消えた少女だとすぐにわかった。


「父親はカイン・ディスティニー。母親はカンベ・ストラ・マリアベル……」


「少し経歴が妙だ。父親はヒューテック・ビリンズの社長で、母親はカンベ・オウリの養女。アンドロイドと人間の夫婦ということになる」


「そういえば少し前まで、アンドロイドと人間の間に生まれた子供っていう噂話があったね。それが彼女かな?」


 笑いながらエディは言ったが、アーネストは特にそれに反応は示さずに話を続けた。


「彼女はACUAに精通していたようだ。カラスやフォックスと出会ったのも、ACUAを通じてだったらしい。それが止まった今ですら、彼女はお前たちがいたサーバルームへ辿り着いた」


「つまり?」


「軽視は出来ないということだ」


 エディはエストレの姿を脳裏に思い浮かべる。邂逅は一瞬のみだった。しかし、あの時のシズマが浮かべた、驚いたような安心したような表情をエディは覚えていた。

 それを思い出すたびに、エディは憎悪に似た感情に支配される。あの空間の中で、シズマの感情は自分に向いていて然るべきだった。なのにあの少女は当然のように全て奪った。


「それに面白い情報がACUAのバックアップに残っていた」


 黒いウィンドウの表示内容が切り替わる。文字ばかりの羅列を見て、エディは最初怪訝そうな顔をしていたが、やがて眼を見開いた。


「これ、本当?」


「セントラルバンクにある彼女の個人口座の残高だ。正直、アンドロイドである俺ですら興奮は隠しきれない」


「これ欲しいなぁ。企業の金を使うよりもローリスクだし、足も付かない」


「口座ごとのセキュリティレベルを考慮しても、個人口座の方が比較的簡単に突破出来る。アクセス方法を変更するか?」


「……そうだねぇ」


 エディは暫く考えていたが、やがて両手を打ち鳴らした。狭い部屋に乾いた音が数秒だけ反響する。


「もっと良い方法があるよ。彼女から暗証コードを聞き出すんだ」


「聞き出すって、どうやって?」


「そもそも、彼女は暗証コードを知らない可能性がある」


 モニタの中から真っ直ぐにこちらを見つめるエストレに、エディは歪んだ笑みを向ける。あの時に見た、自信に満ちた表情をエディはどうにかして崩したかった。あの目で見られるのは我慢がならない。自分が弱者のように思えてしまう。


「もし知っているなら、既に金を引き出しているはずだ。何しろACUAが止まっているにも関わらず、俺達の企みに勘付いたぐらいだからね。それが出来ないってことは、彼女にはネットワーク越しに暗証コードを使って金を動かすことが不可能な状態にある」


「なるほど。セントラルバンクの暗証コードは複雑だし、忘れる者も多いからな」


「でもね、脳のどこかにはその情報が転がっている筈なんだ。だったら彼女を殺して、頭蓋を切開でもしてさ、脳の中の電気信号を解析すれば暗証コードを見つけられる」


 エディは躊躇いもなくそう言った。「父親」はエディの足の肉を奪う代わりに、いくつかの知識を与えてくれた。否、エディに直接何かを教えたわけではない。磨り減った足の縫合と止血を待つ間、エディはその部屋で行われているあらゆるものを見て、聞くことが出来た。知識を得るにはそれで充分だった。コンピュータと同じで、中の構造を理解などせずとも、使うことは出来る。


「要するにエストレを捕まえるというわけだ。また殺し屋でも雇うか? それとも、リムジンでお迎えに上がったほうが早いかな?」


「アンドロイドってのは無粋なんだから。硝子の靴を履いたお姫様は自分で城まで来たんだよ?」


 モニタのデータは今もゆっくりと変わり続けている。誰かが望む作り物の噂話は、ネットワークを伝わり世界に伝播する。エディが望む世界がすぐそこまで迫っていた。


「彼女は俺達のところに来る。ダンスパーティを開いて待つとしよう」


 エストレの危険性を、エディはあの短い時間で悟っていた。あの時、エストレは危険を覚悟でサーバルームに現れた。それはイオリを助けるという目的もあっただろうが、それよりもブルーピーコックを守るためだったに違いない。本来であれば、あの後に筐体を破壊して復旧手段を絶つ筈だった。だが、不意打ちを受けたエディはそれを諦めるしかなかった。

 そこまでの行動力のある少女が、中途半端に引き下がるとは思えない。きっと一矢報いてくるに違いなかった。


「自信満々だな。お前の弟も来ると言うことだぞ」


「勿論わかってるよ。寧ろ一緒じゃないと困る」


 データの変質を表す音が室内に響いた。画面の色がわずかに変化し、青い光がエディの顔を照らす。血の気を失ったように白くなった唇は、見た目とは真逆の熱の籠った声を出した。


「あいつにお姫様を殺してもらうんだから」

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