4.噂話の雑音

「まるで花の種を風船につけて飛ばすイベントみたいだな。それが今では大企業がこぞって欲しがるものになったんだから面白い話だ」


「アセストン・ジスティルは自分の撒いた種が大樹になることを知らなかったのよ。だから、彼は自分で作り出したACUAを回収することが出来なかった。その制御をブルーピーコックの変則演算式に託し、更にその調整を複数の管理者に任せることで、どうにか大樹を地面に縛り付けた」


 ワイヤーを束ねた幹に手を置き、エストレは微笑んだ。不敵にも見えるそれが、余裕によるものなのか虚勢なのかは本人のみしかわからない。


「全ては此処から始まった。此処には、ACUAとして制御されなかった頃のネットワークが残ってる」 


 ワイヤー同士が結合している箇所に指を掛けたエストレは、その間に差し込まれていた細い鉄線を抜き取った。折り重なったワイヤー同士が、バチバチと爆ぜるような音を立てながら左右に開く。

 内側には外側と同様にワイヤーの束が詰まっていたが、外気に晒されていない分、少し色が白く見えた。そしてその中に、今では殆ど見かけなくなった黒いネットワークケーブルが顔を覗かせていた。


「災害時の緊急用ネットワークよ。ある場所を中核にして、半世紀以上前に設置された代物だけど、その後に第三技術革命が起きたために行政からは忘れ去られてしまった。ノーマークでありながらも公的なネットワーク。彼はこれに目を付けたの」


「なるほど。違法なネットワークと違って認証を必要としないし、目的が緊急用だから構造はシンプル。噂話を流して他の媒体に載せるにはもってこいだったってわけか」


 シズマは「木」の中を覗き込みながらそう呟いた。


「んで、この時代遅れかつヘンテコな形のケーブルは……」


「ブルーピーコックじゃないと繋げなかったというわけですね」


 オセロットに台詞を攫われて、シズマは眉を寄せる。そしてその表情のままエストレに疑問符を投げた。


「それで、これをどうするって言うんだ? お前、此処には「起死回生の一手」があるって言っていたが、ジスティル博士に願掛けでもするか?」


「失礼ね。博士はまだ生きてるわよ。最も、自分が生み出したACUAのことも、既に覚えてないでしょうけどね」


 ケーブルを木の中から引きずり出したエストレは、その先端についていた樹脂製のカバーを外した。密閉された木の中にあったとは言え、それは随分と古びていた。既にカバーを横断する傷がついており、間違って力を入れれば粉々に砕けそうなほどだった。


「骨董品だな」


「誰かの頭を殴るには十分よ」


「違いない。何しろ金持ちの家には必ずと言っていいほど置いてあるからな」


 パチン、と軽い音がした。黒いケーブルの先のアタッチメント部分についているツメが開いたことによるものだったが、エストレは指先でそれを押し戻した。


「このネットワークなら絢爛にアクセス出来る」


「だが通信速度も処理容量も今とは比べ物にならないだろう?」


「えぇ。向こうがチーターならこっちは老いぼれた猿というところね。でも十分だわ」


 元自宅から持ち出した、手のひらに載るほどの小さな端末を取り出したエストレは、黒いケーブルの先を側面のスリットに差し込んだ。全体的に古臭いデザインをした端末は、その見た目に相応しい間抜けた電子音と共に起動する。


「百人の男を射止めるのに百人の女は要らないわ。大事なのは致命打を与えられるかどうかよ」


 小さな黄ばんだ画面に、黒い歯車がいくつか表示されて同時に動き出す。それは非常に単純な仕組みをしていた。定周期で無作為な文字列を生成し、絢爛に向かって送信するだけの、今日日子供でも作れるようなプログラムだった。


「これで何が変わる?」


「……噂話には「雑音」が付きものよ」


 エストレはケーブルが端末から抜け落ちないように注意しながら、幹の中に押し込んだ。突然の新参者に対して、ワイヤの束は迷惑そうな声を上げながらも、徐々にスペースを開けていく。


「一つの事柄に対して、様々な人が抱く感情。それらは情報を故意に操作しようとする場合に邪魔になる。素敵な映画には素敵なコメント、美味しい物には美食家の称賛が必要で、非難は邪魔な「雑音」になる」


「誉め言葉しかない映画なんざ興味わかないけどな」


「世の中、シズマみたいにひねくれ者ばかりじゃないし、そう言った手合いのほうがお金を落としてくれるわ。でもね、雑音は一方で噂話を伝播させる能力を持っている」


 ワイヤーを元のように重ね合わせて端末を封じ込んだエストレは、オセロットに声を掛けて鉄線をそこに差し込ませた。

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