3.聖地

「これもウィッチか?」


「正確に言えば、駅の周りに客が集まりすぎた結果、こちらまで流れる人がいなくなったのよ。これを見た企業はますます焦るでしょうね。少しでも彼らに有利な取引を持ち掛けなければ、自分たちが倒産することは目に見えているわ」


「だが、エンデ・バルター社ってのはそんなに大きな会社でもないんだろ? 大企業から金を受け取ってばかりじゃ、あっという間に反発を買うんじゃないか?」


 エストレはその疑問に対して、あっさりと「そうね」と返した。


「小さな会社だもの、すぐに買収されてしまうわ。そうされないためには、どういう手段に出ると思う?」


「……買収を持ち掛けた会社の悪評を流す」


「それじゃどんな報復を受けるかわからないじゃない。追い詰められた者ほど怖い存在はないわ」


「確かにな。折角手に入れたものを奪われる恐怖に震えたくはないってか」


 坂に入ると、店も人もますます少なくなった。小洒落たカフェのテラス席では野良猫が優雅に昼寝を楽しんでいる。その奥ではアンドロイドが店の床を掃除しているのが見えた。


「じゃあ他に考えられるのは……」


「はい」


 二人の間を歩いていたオセロットが左手を真っ直ぐ上に上げる。


「はい、山猫ちゃん」


「逆に自分達から契約を取りに行く、という手段が考えられます」


「正解」


 エストレは指を弾きながら返した。


「ACUAのことを知っている有力な企業に対して、「ウィッチの性能を高め、新しい情報媒体として流通させるために御社のデータを使いたい」と契約を持ち掛ける。彼らもそれまでのACUAの研究成果があるし、ウィッチを使って試してみたいと思うはずよ。このままじゃ長年の研究が水の泡だもの」


「エンデ・バルター社が金を払って有力企業を抱き込み、自分達の製品を護るってわけか。確かにそっちのほうが合理的だな。しかし、金はどうする。金がないところと契約する酔狂な会社は無いだろう」


「別に今無くてもいいのよ。然るべき時に利用できる状態であれば」


 エストレは思わせぶりな言い方をした。シズマはそれを見て、頭の中にいくつかの思考を巡らせる。ウィッチは不完全とはいえ、ACUAの機能をコピーしている。ネットワーク上にある情報の殆どを恣意的に操作出来ると考えて良い。

 それが金に繋がるとするならば、変動の激しい株式市場ではなく、どこかにプールされているものが対象となる。


「エストレ。お前が俺に払う金は……」


「チュウオウ区にあるセントラルバンクにあるわ。百年以上の歴史を誇る優良銀行。エンデ・バルター社が融資を受けているのも同じ場所よ」


 エストレはシズマの問いかけに悩む様子もなく答える。それが、シズマの考えが間違っていないことを表していた。


「人生を何度かやり直してもお釣りがくるほどの大金。彼らがあの存在に気付いていないわけがないわ。あのお金を彼らが得ることが出来れば、それこそ何でもできるでしょうね」


「冗談じゃねぇ、俺の金だぞ。どっかの横柄な依頼者には額面だけで仕事させられて、しかも肝心のパスワードは脳味噌の中で迷子、そのうえ兄貴面した野郎に取られるなんて話、あって堪るか」


「前半全部私の悪口だけど、まぁ概ね同意するわ。あのお金を全て引き出してしまえば、彼らにとっては痛手でしょうね」


 坂を登り切ると開けた場所に出た。強い風が一陣吹き抜けて、それと共にバタバタと何かを打ち付ける音がする。音の正体は、小さな広場の中央に立っているワイヤーツリーだった。

 ハラジュクの象徴であるワイヤーツリーは、どこかの新鋭芸術家が廃棄物で作ったもので、高さは十メートルもある。細い針金を複雑に編み上げて作られた円錐形の木には、人々が願い事を書いたリボンが巻き付けられていて、それが風が吹くたびに音を鳴らしていた。


「木の形状をしたオブジェと認識します」


 オセロットがワイヤーツリーを見て呟いた。


「リボン状のゴミが付着しています」


「あれはゴミじゃないわ。皆のお願い事よ」


 人通りのない道路を横切り、エストレはワイヤーツリーへと近づく。遠くから見ると単なる色の洪水に過ぎなかったリボンに、それぞれ文字が書かれているのが確認出来た。他愛もない願い事から、呪詛に似たものまで、多種多様なものが混在している。


「まさかここでお願い事をしろって言うんじゃないだろうな」


 苦笑しながらシズマは目の前に垂れている赤いリボンを手に取った。恐らく子供が書いたのであろう字で「世界征服」と綴られている。世界が魅力的に見えるのは子供の特権に違いなかった。シズマにはどこも掃溜めにしか見えない。

 オセロットは少し背伸びをして、オレンジ色の長いリボンを指先で何度か弾く真似をした。猫が玩具に飛びつくような姿に似ていたが、眼差しは真剣だった。


「アセストン・ネットワークに関わる人間にとって、ここは聖地なのよ」


 エストレは一人、木の幹の方へ近づきながら口を開く。


「色々な人間の「想い」が無差別に集まり、そして一つのオブジェクトとして存在する。アセストン・ジスティルはこのワイヤーツリーから着想を得て、ACUAを生み出した。沢山の願い事の中から無作為に選び出した情報をネットワークに載せて、その情報がどのように遷移するのか実験したの」

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