2.ウィッチ
その光景を見た瞬間、シズマはザワリとする感覚を得た。
ハラジュクのメインストリートを歩く人間の殆どが、耳や腕にウィッチを付けていた。アンドロイドの方は外見からはわからないが、偶にこめかみのあたりに指を接着させる仕草から見るに、内蔵式の物を使っていると思われた。
メインストリートの入口には、ウィッチの即売会場が出来ており、道行くものは競うようにそれを買い求める。極僅かに存在する非利用者は、まるで自分たちが悪いことでもしているかのように店の前を通り過ぎ、突如として始まった流行から目を逸らしていた。
「どうなってんだ、これ」
「早速、ACUAの力を利用し始めたってところかしら。今、ACUAは停止状態で、そのコピーが「
「絢爛?」
「エンデ・バルター社のデータベースサーバの名前よ。由来知りたい?」
エストレの言葉に対してシズマは首を横に振る。
「ジュニア・スクールの宿題じゃないんだ。名前の由来なんか聞かなくても生きていける」
「宿題になったら聞くわけね」
「俺が宿題をやるタイプに見えるのか」
「そもそも学校に行くようにも見えないわね」
エストレは人混みの中に手を伸ばすと、流れに埋もれかけていたオセロットの手を握って引き戻した。金髪を少し乱したアンドロイドは、初めて見る雑踏に対して戸惑っていた。
「大丈夫?」
「このまま海まで流れ出るところでした。アキハバラと違って、流れが急すぎます」
「貴女にはピッタリの場所だと思うんだけど。気に入らない?」
オセロットは首を傾ける。自分に投げかけられた言葉に否定形の疑問文が入っていることを認識すると、今度は首を左右に振った。
「いいえ、いいと思います。トイレの落書きみたいで」
「詩的な表現だわ」
ウィッチを手に入れた人々は、流行の玩具を手に入れた子供のような興奮を露わにして雑踏へと紛れ込んでいく。友人同士、あるいは恋人同士でウィッチを操作して、そこに出て来た情報を追うように様々な店へ吸い込まれていった。
「理解したわ。これはウィッチの持つ力を企業に誇示するためのデモンストレーションね」
「だろうな。ACUAの研究をしていた企業は、あのネットワークが止まったことに気付いているはずだ。そして丁度良いタイミングでウィッチの爆発的な流行。何があったか理解するには十分だ」
「そして賢い企業は、エンデ・バルター社に取引を持ち掛ける。自分の企業の情報をウィッチに流すように」
歩き出したエストレは人の流れなど意にも介さず進んでいく。まるでそうすることが当然だと言わんばかりの足取りに、周囲も何となく気圧されて道を空けているように見えた。
エストレという少女は常にそうだった。自分という存在に何の疑いも持たず、絶対的な自信を持っている。それを裏付けているのは、能力やら見た目やら、そんな小さなものではない。エストレは「エストレ・ディスティニーであること」そのものを誇りとしている。例えそれに疑義を唱えるものがいたとして、エストレは鼻で笑うに違いなかった。
「あらゆる企業が、エンデ・バルター社にお金を払うわ。少しでも多くの情報をウィッチに流して貰うために」
「都合よく加工した情報を?」
「その通り。閲覧者はその情報に踊らされる」
「お前が自分の店でやったことと同じじゃないのか」
疑問をそのまま口にしたシズマに、エストレは首を左右に振って否定した。
「そもそもACUAは噂の変質を確認するために作られたものだから、噂を流すこと自体は正当なの。どう変質するかはあくまで人任せ。私が「こういうお店を出しました」という噂を流しても、お客さんが来るか来ないかは賭けなのよ」
「だが、もはや賭けではなくなった。小さくコインを賭けていた連中は、大胆に金を積めるようになったってわけだ」
ウィッチに流された情報のためか、小さな店に大勢の客が詰めかける光景があちらこちらで見られた。店の人間も、突然訪れたビジネスチャンスに戸惑いを隠せないようだった。
普段はその店の軒先を溜まり場にしているらしい野良犬達は、迷惑そうに唸り声を上げながら路地裏に身を潜めている。
「情報に踊らされるってのは滑稽だな」
「偶にならいいわ。詰まらないダンスパーティも全力で踊れば楽しいものよ。毎日だとうんざりするわね」
途中、ドラッグストアの横を通り抜けたシズマは、あることを思い出してエストレに尋ねた。
「店はいいのか?」
「別に私がいなくても問題はないわ」
「あぁ、共同出資だって言ってたな」
「まぁその代わりに来週は嫌と言うほど働く羽目になるでしょうね。折角だし、今度何か買ってくれる?」
「お前が金を払ったらな」
香水の類に興味がないシズマは、そんな言葉で誤魔化しながら足を進める。ドラッグストアを越えると、一気に人の波が引いた。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、緩やかな坂が伸びる先まで目視で捉えることが出来た。
いつもは繁盛しているであろうクレープ屋の店員は、唐突に訪れた暇を持て余すかのように商品を渡すための小窓を拭いていた。
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