6.諦観とギャンブル

 シズマはカウンターにマグカップを乱暴に置くと、片手で頭を抱えた。


「俺が狙撃することを知っていて、自分のメインパーツをわざわざ移動させた上で撃たれたって言うのか? なんのために?」


「少なくとも趣味ではなさそうですね」


 小首を傾げた格好でオセロットが呟く。右目の奥で微かに点滅している光が見えた。頭蓋内にあるチップが現状与えられている情報を一気に処理しているようだった。


「わからないぞ。世の中、酸素を吸うのが趣味の奴だっているからな」


 口調は冗談めいていたが、シズマの目にも当惑が浮かんでいた。


「アーネストは狙撃を知っていたが、敢えて死んだふりをした。ということは、狙撃されるのが目的だったことになる。しかし何故そんなことしなきゃならないんだ?」


「掃除をする必要があるからよ。部屋が汚れたら掃除しなきゃいけないでしょ?」


 エストレは当然のように言いながら、冷めて来た珈琲を飲む。


「貴方が引き受けた仕事は、対象者の殺害とある物体の運搬。フリージアが消えたために、貴方はその何かを探さなければいけなかった。かといって殺し屋が一人のこのこと現場に行くのは馬鹿げている。貴方は掃除屋を頼るしかない。掃除屋は貴方を連れて行き、その物体を探させる」


「……ヴァルチャーは俺が来るのを知っていたのか」


 エストレは小さく頷いてから続けた。


「彼は貴方を殺し屋に襲わせることで、メモリチップの正体に目が向くように差し向けた。貴方の性格を知っていれば、そう難しい誘導じゃないわ。私だって同じ手段を取るかもしれない」


「人を単純みたいに言うな」


「そんなこと言ってないわ。シンプルというだけよ。彼は掃除屋。もしかしたら一年前の事件で半壊したヒューテック・ビリンズ社の掃除をしたのかもしれない。そこで彼は、貴方が何に関わっていたか知ったのよ」


「ACUA、か」


「彼らはACUAのパスワードが欲しかった。それには管理者に目の前でパスワードを打ち込んでもらう必要がある。イオリと接触するために、彼らは貴方を利用した」


 シズマは思わず大きな舌打ちをした。オセロットがそれに驚いて肩を跳ねるが、元々そちらに気を回す余裕はない。イオリが怪我をした原因が自分にあることを改めて思い知らされ、心中に黒い感情が渦巻いていた。


「そのために連中はメモリチップを抜いたのか」


「いいえ、違うわ。彼らはACUAのサーバが何処にあるか知らなかったのよ。だからイオリに接触を試みたの」


「じゃあ何でメモリチップが……」


 脳裏に、知らない筈の姿が映る。シズマは口の中の水分が失われる感触を味わいながら、小さい声で呟いた。


「フリージア」


「貴方が引き受けた仕事のうち、半分は既に終わっていたのよ。フリージアの手によって。FOAFであるフリージアはACUAのメインサーバが何処にあるか、調べるまでもなく知っている。あの人の腕なら、一人で忍び込んで一人でメモリチップを取ってこれる。彼らはそれを知っていた」


「知っていたって、フリージアの正体をか?」


「えぇ。ACUAの研究は日々進められているから、フリージアの存在を知っている企業や団体がいても不思議ではないわ。彼らはフリージアが邪魔だった。その存在を消して、更にACUAのパスワードを手に入れるのに、この方法は非常に効果的だったというわけ」


 シズマはカウンターに置いた指で、天板を軽く引っ掻いた。ギチリと音がして、指先が摩擦で擦れる痛みが脳に届く。


「何でフリージアは、そんな仕事を引き受けたんだ。そのせいであいつは消えたんだろう?」


「諦めたのよ」


 珈琲の表面に視線を落としながらエストレは呟いた。


「ACUAが止まれば自分が消える。そんなことはわかっていた。でも自分が断ったところで、別の誰かがチップを抜く依頼を受けるだけ。だから自分で自分の存在を消す道を選んだの」


「……あいつは、俺に言わなかったのか」


「それはわからない。言ったかもしれないわね。でも貴方は多分、真面目に聞かなかったんじゃないかしら。昨日、私の話を笑い飛ばしたみたいに」


 嫌味っぽいその言葉に、シズマは返す言葉もなかった。しかし、仕事仲間から突然今の内容を打ち明けられても、確実に本気にしないどころか、相手の正気を疑う自信はある。


「まぁ、なんだその……。悪気はないと思うんだけどな」


「えぇ、それは仕方ないわ。私も自分で行きついた仮説に驚いたぐらいだから」


「ヴァルチャー達は何のために、こんな手が込んだことをしたんだ? まさか泥棒の真似事をしたいわけじゃないだろう?」


「エンデ・バルター社の「ウィッチ」を知っているでしょう? 情報閲覧に特化した、あの会社が誇る専用デバイス。彼らがACUAのシステムを乗っ取り、そこで加工した情報をウィッチに流すことが出来たら……。自分たちの都合の良い情報だけを使用者に提供出来ることになる」


「他の企業を差し置いて、奴らがACUAをコントロールしはじめたということか?」


「いいえ、そこまでは到達していない」


 エストレは指を弾いて音を出した。


「彼らはACUAを完全に掌握したわけではない。何故なら、重要なパーツであるFOAFフリージアを排除したからよ。情報を変質させてしまう不特定要素を制御するほどの能力は、彼らにはない」


「不完全なネットワークか」


「そう。だからこそ、フリージアを取り戻すことが出来れば、彼らの目論見は破綻するの。最高でしょ?」


「勝算はあるんだろうな?」


 シズマが問いと、エストレは大昔の映画女優がやるかのように、片方の眉をきりりと吊り上げて、口の両端を引き延ばすように笑った。


「あろうとなかろうと、やるしかないじゃない。ハイリスク・ハイリターンのギャンブルは嫌い?」


「知ってるか。エストレ・ディスティニーと話すのはな、それ自体が一つのギャンブルみたいなもんだ」


 二人は顔を見合わせて笑う。リビングに響く、どこか狂気に似たそれに釣られたように、オセロットの幼い笑い声もドロリと混じりあった。


episode5 end and...

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