5.謎めいた依頼

 窓にかかった鎧戸の隙間から、朝日が細く差し込む。シズマは体の上にかかっている埃くさい毛布を取り払うと、ソファーの上に体を起こした。元は高級品だったらしいソファーにも、埃がうっすらとかかっている。


 別の一人掛け用のソファーの上には、オセロットが猫のように丸くなって、スリープ状態に入っていた。アンドロイドにも休息は必要となる。人間のように無意識に情報の取捨選択が出来ない彼らは、スリープ状態に移行することで、自分のメモリに蓄積された情報を整理する。


「……基本的にこいつは何か掴んでないと気が済まないのか?」


 オセロットが枕のように両手で抱きしめているものを見て、シズマは思わずそう零した。デフォルメされた大きな鮫のぬいぐるみは、少女の腕の中で海老のように反り返っている。


「昔、パパから貰ったのよ」


 リビングに併設されたキッチンで、何やら作業をしていたエストレが声を発した。


「気に入ったみたいだから、貸してあげたの。多分、戦闘用のプログラムが入っているから、丸腰でスリープ状態に入れないんでしょうね」


「普通に武器持って寝ればいいじゃねぇか」


 オセロットの武器であるマチェーテは、ソファーの下に置いてあった。昨日、この場所に辿り着いた後に手入れをしているのをシズマは見ていたが、イオリの返り血がついている他は綺麗なままだった。


「イオリがいなくて寂しいのよ」


「そうは見えなかったけどな」


 毛布をその場に置いて、シズマはキッチンの方へ向かう。少し低めに作られたカウンター越しに中を見ると、携帯加熱パネルが白い光を放っていた。パネルの上に置かれたマグカップからは香ばしい匂いの湯気が立ち上っている。インスタントコーヒーが入った袋と小さな生クリームの容器も一緒に並んでおり、何をしているかは一目瞭然だった。


「用意がいいな」


「朝は珈琲に限るわ」


「でも生クリームは入れるのか」


「甘いものは必要よ。健康への冒涜にならない限りはね」


 差し出されたマグカップを、シズマは礼を述べて受け取った。それに口を付けながら、改めて室内を見回す。埃の匂いが満ちたその部屋は、半分ほどが破壊されていた。

 壊れた扉は床の上に転がったままで、壁にはいくつもの銃痕。天井の照明パネルのカバーは、中途半端に千切れてぶら下がっている。床に敷かれたカーペットには、所々に黒い染みが付着していた。それが人間の血液であることを悟るのは大して難しいことでもない。


「もう此処には住んでいないんだろう?」


「えぇ。ママとパパのお葬式を上げてからは、別の場所で暮らしているわ。本当は売り払いたいのだけど、人が死んだ家って売れないのよね」


「墓場は売れるってのに皮肉な話だ」


 エストレは自分の珈琲を淹れると、そこに生クリームと蜂蜜を乗せた。廃墟と化した曰く付きの家で飲むには、それはあまりに平和な様相をしている。


「昨日の問いに、まだ答えてなかったわ。貴方が途中で寝ちゃうから」


「あぁ、君が子守唄みたいに聞かせて来たやつか。お陰で夢見が最悪だ。死んだ母親が全裸で上海リリーの真似事をしてた」


「鶏の真似をして結婚するの?」


「それは『Der blaue Engel嘆きの天使』だ」


 キッチンの中にあるスツールに腰を下ろしたエストレは、マグカップの中身を一口飲む。実際には生クリームしか飲み込めていなかったが、それを億尾にも出さずに話し始めた。


「じゃあどうする? 最初から話しましょうか」


「少なくとも、フリージアを探して皆に聞きまわっていたところまでは覚えてるぜ。俺が奴と仕事をしていたって君の店で言っていたことも」


「なら、その続きからにしましょう。貴方がフリージアと何の仕事をしていたか調べたら、エンデ・バルター社のことが出て来た。雇い主は同じ会社の取締役。名目は「使い込みに気付いた社員の処分と、その証拠品の回収」」


「よく調べられたな」


「別に難しいことではないわ。ACUAがなくても、目的と目標さえ明確なら情報はすぐに集められるもの。標的の名前は「アーネスト・グランドフィールド」。エンデ・バルター社の役員の末席ね。貴方、彼について調べた?」


 その問いにシズマは少し不機嫌になり、更にそれを正直に顔に浮かべた。


「下調べもせずに仕事に挑むほど酔狂じゃねぇぞ」


「だからホテルの内部には侵入せずに、外から狙撃した」


「セキュリティがガチガチだったからな。あのホテルのスイートは、施錠が可変的サイバーロックなのに加えて、ドアや窓を開けた回数まで記録される始末だ。面倒毎は避けるに限る」


 文句あるか、とシズマが言うと、エストレは涼しい表情で首を左右に振った。


「貴方のやり方に口を出す権利は私にはないわ。貴方が政治家で、これが政策だというなら話は別だけど。私が言いたいのは、そのガチガチのセキュリティをもう少し活用すべきだった、ということよ」


 漸く生クリームの奥の珈琲に辿り着いたエストレは、思いのほか熱い液体に驚いて唇を噛む。クリームの上にかかっていた蜂蜜は、支えを失って珈琲の中に落下した。


「貴方が狙撃を行った後に、あの部屋のドアは内側から開いているわ」


「……どういうことだ?」


「狙撃を失敗した、ということですか?」


 いつの間にか起きていたオセロットが声を発した。ソファーの上には用済みとなった鮫のぬいぐるみが、毛布を掛けられて眠りについていた。


「俺が殺しを失敗したって言いたいのか、山猫」


「でも内側から扉が開いたというのは、そういうことではないのですか?」 


「俺は奴の脳天をレーザーガンで撃ち抜いた。それは確かだ。どうせ誰かが中にいて、助けを求めに出て行ったんだろう」


「一時間後に?」


 エストレは落ち着いた声でシズマの抵抗にトドメを刺す。


「扉が開いたのは一時間後よ。助けを求めに行くには少々のんびりしすぎね。しかも……ホテル側はその部屋からアンドロイドの破損筐体を回収していないわ。つまり出て行ったのは撃たれた本人ってことよ」


「……じゃあ、頭と肩を撃たれて生きていたってことか? 有り得ないだろ、そんなの」


「人間ならそうね。でもアンドロイドはその気になれば、頭蓋部に仕込んだ電子チップを移動させることが出来るわ」

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