3.Friend Of A Friend
病院の正面ゲートを通り抜けて、三人は外へと出た。すれ違いに青い救急車が敷地内へと入っていく。車両の側面には「全ての命にエールを」という、少々前時代的なフレーズが書かれていた。
シンジュクの中でも閑静な場所に建っている病院は、周囲の殆どが関連施設か、あるいは集合住宅で埋まっていた。飲食店は見舞客向けに営業しているらしく、今は既に店じまいをしてしまっている。殆ど人通りもなく、静寂だけがそこにあった。
「オセロット、服は着替えた?」
「はい。病院のお手洗いで着替えました。脱いだ方はご指示の通り、刻んでトイレに流しましたので、証拠隠滅バッチリです」
エストレに話しかけられたオセロットは、人懐こく応じる。相手をしてもらえるのが嬉しくて仕方のない様子だった。イオリのことなど気にしていないかのような態度に、シズマは少し不快感を覚える。
「話の続きだけどね」
照明がぼんやりと地面を照らす中、一定の速度で歩きながらエストレが切り出した。ヒールの低いブーツを履いた細い足が、照明によってさらに引き延ばされた影を地面に縫い付けている。
「貴方が知っている通り、ACUAは噂話を広めるためのネットワークよ。そこには嘘も真も玉石混合に詰まっている。これは以前にも説明した通りね」
「それで、噂話を自由に操作出来るように、各企業や団体が研究を行っている……。そんな話だったな?」
「えぇ。噂がただの情報と違うのは、無責任に伝播していくことにある。誰かから聞いた、どこかで見た。そんな情報を皆が好き勝手に広めていくのだから、当然と言えば当然ね。FOAF……、
「FOAF?」
聞き覚えのない言葉にシズマは首を傾げた。
「噂話……まぁ都市伝説でもいいわ。こういう出だしのものを聞いたことが無い?」
これは友達の友達から聞いた話なんだけど……。
実は友達の友達が旅行に行った時に体験したんだけど……。
「あぁ、よく聞くフレーズだな」
「友達の友達……つまり自分と無関係でありながらも、どこか近しい存在だと錯覚させるものよ。噂が広まる時、そこには不確定要素が存在する。それが、FOAF。曖昧な部分は人の想像力を刺激し、興奮を呼び起こす」
道は緩やかな曲線を描きながら、町の方に伸びている。人工樹が規則的にならんだ道には、ゴミ一つ落ちてはいない。出来の悪いジオラマの中を進んでいるような、殺風景な光景だった。
「フリージアはACUAのFOAFなのよ」
「……そいつが噂を広めていたってことか?」
「違うわ。噂話に出てくるFOAFは年齢も性別も人種も不明であることが多いの。ACUAが機能するためにはどうしてもFOAFが必要となる。フリージアはACUAによって生み出されたパーツのようなもので、ACUAが停止したことにより消えてしまったの」
一気に捲し立てたエストレに対して、シズマは眉を寄せて下唇を軽く噛む。
「早口言葉コンテストに出たら優勝出来そうだな。じゃあなんだ? 俺はその、幽霊みたいなやつを相棒にしていたってのか?」
「そうよ。フリージアの死に関する噂はいくつもあった。ただの運び屋としては不可解なほどの。それはACUAの処理の一つなんでしょうね。データの破綻などをリセットするために、フリージアという存在を再起動するのよ」
あの、と少し後ろを歩いていたオセロットが口を開いた。小柄なためどうしても遅れを取ってしまうのを、少し早足にすることで補っている。薄暗い歩道の中で、金色の髪が不自然に浮いて見えた。
「その方は実態を持っていたんですか? 肉体と言うか、ええっと……」
「フリージアは個体ではないわ。恐らく情報の集合体よ」
エストレは振り返りもしないで答えた。暗い歩道が大通りへと交わり、途端に照明の量も車の量も多くなる。液晶壁面のバスが、騒々しい音楽と映像を巻き散らしながら三人の前を通過していった。所謂、女性向けの求人サイトであり、人間またはアンドロイドを専門の店へ斡旋する業者がよく町中を走らせている。
「……人間とアンドロイドの五感は、微弱な電気信号で処理される」
華やかなバスを見送りながらエストレが声を出した。
「誰かに触られたとか、何かを見たとか、そういうものは全て電気信号に変換出来るの。フリージアはそれらの情報を放出しながら、そこに存在していたのよ」
「それを制御していたのがACUAか。確かに、それなら消えたというのも納得出来るが……。どうしてお前はフリージアを覚えているんだ?」
その疑問に対して、エストレは複雑な表情を見せた。
「私が人間になったからだと思うわ。一年前まで私の……「アンドロイドと人間の間に生まれた娘」の噂はACUAの中でアクティブだった。でも今は非アクティブ。データベースには存在しているけど、オンラインでは探し出せない状態にある」
エストレはいつものように、思考をまとめる時の癖で指を弾いた。
「ACUAに依存して生きるフリージアに対して、私は噂抜きで接触することが出来た。だから、ACUAが止まっても影響は受けなかった。私の噂は既に、変質することのない完成形だから」
「なるほどな。で、お前はそのフリージアをどうしたいんだ?」
指を弾く音が軽やかに響く。
オセロットが真似しようとして指と指を擦り合わせているが、どれも空気が抜ける間抜けな音にしかならなかった。
「どうするか決められなかったから、私は貴方を追ってきたの」
狭い路地へと入ったエストレは、振り返りもせずに言った。二人が付いてくることを微塵も疑っていない背中だった。大通りからお情けで分けてもらったような照明が点々と続く道に三人分の足音が溶け込む。
「フリージアは貴方の相棒だし」
「俺は覚えてないのにか?」
「それが問題なのよね。でも、こういうのはどうかしら」
銀色の髪をなびかせるようにエストレは振り返る。口元には悪戯っぽい笑みが広がっていた。
「フリージアを取り戻せれば、ヴァルチャーに一泡吹かせられるわ」
シズマはその言葉を聞くと口角を吊り上げた。脳裏には、殺しても殺したりないほど気に食わない男が、似たような表情で笑っていた。
「最高の相棒じゃねぇか」
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