episode5.欠けた歯車
1.悪趣味な男
赤い血飛沫が吹き上がる中、シズマは咄嗟に銃を抜いたが、それよりもオセロットのほうが早かった。背負っていたマチェーテを鞘から抜き取り、そのままエディに向かって振り下ろす。しかし、ワイヤーがその刃を受け止め、エディの顔の寸前で止まった。
「子猫ちゃん、怒るのはいいけど、キツネちゃんが死んじゃうよ? せーっかく殺しはしなかったんだから、報復よりも救助を優先してほしいなぁ」
そう言われて、オセロットは動きを止める。
首を抑えて床に倒れ込んだイオリは、体を痙攣させながらもまだ生きていた。オセロットはどうしたら良いのかわからないように視線を泳がせる。シズマは、まるで迷子の子猫が彷徨うかのような様子を見て舌打ちをした。
「山猫。救護プログラムはインストールされてるか」
「はい、基礎と応用が」
「じゃあイオリの応急処置をしろ」
そう告げると、オセロットはすぐに踵を返してイオリの傍へしゃがみ込んだ。一方、シズマは銃を構えて、エディを牽制する。
「どういうことだ」
「物騒なものを仕舞ってくれない? お兄ちゃん、気が弱いから気絶しちゃう」
「説明しろ!」
怒鳴りつけられたエディは、鼻白んだような顔をした。仕方なさそうに溜息をついてから、シズマに向かって口を開く。
「これがボランティアに見える? 仕事だよ、お仕事」
「掃除屋のか。誰に雇われた?」
「雇用主のことは守秘義務により教えられないよぉ。お前だってそうでしょ?」
「イオリを殺すのが目的じゃないな。依頼内容は何だ」
歯車を親指で回し、銃口を調整する。しかし、エディはそれを見て楽しそうに笑みを深くした。
「詮索されるのは好きじゃないんだよね。あんまりしつこいと、殺しちゃうかもよ」
「短絡的な野郎だな。シンジュクのカブキ・ストリートで客引きを虐殺してこいよ。あいつらのしつこさは全世界が認めてる」
「ねぇシズマ、何をそんなに怒ってるわけ?」
理解出来ない、と言いたげにエディが尋ねる。染めた髪にはイオリの返り血が付着しており、重力に負けてダラリとその尾を伸ばしながらも、冷却された部屋の温度のために固まりつつあった。
「仕事なんだから仕方ないじゃない。それともキツネちゃんはお前のオトモダチだから危害を加えるなって?」
「騙し打ちみたいな真似をしたのが気にいらねぇんだよ」
「お兄ちゃんは別に騙してないよ。そりゃ「キツネちゃんを傷つけたりしません」って言ったら、騙したことになる。でも俺はそんなこと言ってないでしょ」
「それならお前は「用済みになったら殺す」とどこかで言ったのか。そういうのはな、屁理屈って言うんだ。頭の中に叩き込んでおけ」
「やだねぇ、可愛くないったら」
エディは聞き分けのない子供にするように、小さな溜息をついた。しかしその指先には依然としてワイヤーが構えられたままで、シズマが攻撃したらすぐに反撃に転じるのは明らかだった。
「このままさ、行かせてくれないかな? お前だって、キツネちゃんを病院に連れていきたいでしょ?」
「元から足止めの材料としてイオリを半殺しにしたんだろうが」
イオリはまだ死んでいない。それがシズマの行動を制限してしまっていた。もし完全に息の根を止められていたなら、シズマは構わずにその遺体を放置してエディの体に銃弾を撃ち込んでいたに違いない。しかし、息がある以上はそういうわけにもいかなかった。例えシズマがエディの額を一撃で撃ち抜けたとしても、エディはその間にイオリにトドメを刺すことが出来る。
「そういう甘さがお前の弱点だと思うよ。キツネちゃんにも山猫ちゃんにも優しく優しくするのは結構だけどさ、それで自分の足枷増やしたらどうしようもないじゃない。まぁお陰で俺は仕事しやすいけどね」
「足枷ついた相手じゃないと仕事が出来ないのか。とんだイージーランナーだな」
「お前がキツネちゃんの頭を撃ち抜けば、足枷は無くなるじゃないか。どうしてそうしないの?」
こちらの心の中を見透かすような言葉に、シズマは思わず言葉を飲み込んだ。相手の言っていることは、裏社会に生きる者にとっては至極真っ当だった。そしてシズマも、その理屈は理解している。理解しているからこそ、イオリに銃口を向けることは出来なかった。
エディは動かないシズマを見て微笑む。そして更なる追撃をしようと口を開きかけた、その時だった。
「貴方と違って悪趣味じゃないからよ」
オセロットのものではない、凛として迷いのない女の声がサーバ室に響く。エディとシズマはその声の方向に視線を向けた。先ほど入ってきたサーバ室の扉に寄り掛かるようにして、銀髪の少女が立っていた。
「エストレ!?」
「まぁ欠点は趣味が悪いってことだけど、別に致命的ってわけじゃないわ。少なくとも、貴方みたいに卑怯ではないし」
驚くシズマを他所に、エストレは淡々とした口調をエディに向ける。
初めて見る女を相手に、エディは一瞬だけ戸惑うような表情を浮かべたが、それでもすぐに不敵な笑みに変えた。
「卑怯、ねぇ。初対面のお嬢さんにそんなことを言われるとは思わなかったな」
「私も初対面の人に言うとは思わなかったわ。ところで提案なんだけど、イオリを運び出させてくれない? 貴方はその後に部屋を出るの。どうかしら?」
「嫌だと言ったら?」
「残念だけど、代替え案はないのよ」
エストレは微笑みながらそう言うと、手に持っていた小さな端末を操作した。途端にサーバ室の照明が全て落ち、けたたましい警告音が部屋中に響き渡る。それは鼓膜を揺るがさんほどの轟音だった。
暗闇と音の洪水の中、シズマの右腕を柔らかな手が掴む。反射的に振り払おうとしたシズマの耳元で、「こっち」と囁く声がした。殆ど聞き取れないほどの小さな声だったにも関わらず、シズマはそれを察知することが出来た。
手探りでオセロットの方に手を伸ばす。既に状況を把握したらしいアンドロイドは、血に塗れた手で握り返した。その先にイオリもいることを信じて、シズマは走り出す。それぞれの手で繋がれた命は酷く重かった。
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